歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

アル・カポネと言うとギャング=マシンガンとありますが…。(ザ・プロファイラー)

2014年02月26日 21時00分26秒 | 日記

「俺たちに明日は無い」と言う映画があって、その最後もマシンガンで目茶目茶に警察から撃たれて死んで終わりです。

色々なギャングモノで、丸いマガジンのマシンガンは一つの決まりものとなっていますが、このマシンガンはトンプソンマシンガン、通称「トミーガン」と言います。

これは第二次世界大戦でも使われていました。基本的にはストレートマガジンで20発、その一方で丸マガジン(ドラムマガジン)は50発と100発の2つがありました。

このドラムマガジンは、弾よけの防弾性を期待していて、それで使ったという話もあります。

ですが大体このマシンガンでないと100発は撃てません。

今では「キャリコ」と言う小型の100発マガジンのマシンガンがありますが、このキャリコは22口径で45口径のトミーガンとは違います。

トミーガンは、長い間愛されていましたが、それは確実に動作すると言う意味で、昔の技術が必ず悪いモノと言う頭の悪いふざけた諭吉の寝言は通用しないのです。

トミーガンはイングラム同様、簡単な構造、大雑把な動作で、なかなかジャム(排莢時の動作不良で、薬莢が挟まって速射できない状態)を起こしませんでした。

また銃は撃つと必ず火薬の燃えカスが残り、銃の中に溜まります。その結果、動作不良を起こす事が当たり前で、大体30発で発生したもので50発も撃つと、もう大体ダメになる。

100発も撃って平気なのは、トミーガンぐらいでした。ゴルゴ13の愛用のARー16(Mー16)だが、これもマガジン2個撃つと閉鎖不良を起こして、発射不能となりまして、多くの米兵が殺されました。

その一方で、今テロリストの銃として非難囂々たる「カラシニコフ」は、実はアメリカのトミーガンに相当するもので、それ以上の能力を持っておりまして、ソビエトへの嫌悪感があったためにアメリカではさほど流行りませんでした。ですが、今は、その能力が正当に評価されて愛好家が増えています。

トミーガンは動作は確実なのですが、何しろ重い上に、反動が大きく、更には、射程距離が短く、命中率が悪いのです。

今は9mmパラベラムが普通ですが、この45口径は0.45×25.4=11.43mmとなりまして、1.2倍ほど大きいのですが、射程は50m程度で、100mになると当たらないし、当たっても大した事はない。

M16は1000m程度の射程がある。第二次世界大戦と言うか、南北戦争の頃には、既に、この程度の射程距離が確保されており、トミーガンは「近場のゴタゴタで使う道具」程度のモノで、所詮は「ギャング=やくざ=井筒のチョングソ」程度の「ヘタレの弱っちいチョングソの戦車のギアボックスも組めないし、戦車砲は一発撃つとアニメの様にバナナ破れの糞馬鹿がバカ面を見せながらひけらかす、程度の低いもの」である。

それぐらいで驚いてはダメだ。12.5mm(50口径ライフル)は2000mから6000mまで届く。

そんな遠くで当たるのか?と言うと学校で偉そうな事をほざく糞教師で戦争に関わった糞馬鹿は「あんなもの当たる分けが無い」とほざいて自分の無能さをひけらかしたが、これが「当たる」のである。

Mー16や、Mー16のカービンタイプのMX177なんかでも500m程度なら100発100中である。馬鹿教師を踊らせてやりたいものである。

ただ、トミーガンでは500mでは玉が届きません。所詮井筒レベル、チョングソレベルなのです。それにしても、どうしてチョングソって馬鹿で能無しなの?

Kー2戦車はチョンが自力製作(と言っても基本設計、製作は外国=ドイツのものである)にこだわったモノは全部「立派に動かない」し、B737にレドーム載せた早期警戒機は1機がアメリカで製作され、「残りはウリが組み立てるニダ、簡単ニダ、馬鹿でも出来るニダ」とチョングソトンすランドに持って帰ったが「馬鹿でも出来るものだが、馬鹿のレベルをはるかに下回るチョングソ」には「絶対に不可能」だったのだ。かくて「世界最高ニダ」は5機分の機体がトンすランドにはアルが、残念ながら動くのは永遠に1なのです。もうすぐ永遠の0になりますが。

また「よんビョンビョン島」攻撃で反撃に馬鹿みたいに手間取って何もできなかった自走砲は、実際には「全くの役立たず」で本来は1分に6発は撃てる「事になっている」のだが、実際はと言うと、一発撃つのに90秒かかるという「脅威の高性能、高速速射性」を誇る…、こんなの「誇る事?」

井筒レベル!

世界最高の高性能高速艇は建造途中、係留していたら「沈みました」とさ?

さて2020年までに月ロケットを打ち上げるという「麻薬でもやっているの?」と言う寝言を披露する一方、「ノロマ号」以降のロケット打ち上げは無い。

どうして、こうまで「無能」なの?「馬鹿」なの?「役立たず」なの?

井筒レベル。イムジン川、トンスル臭く。デカチン摩羅メス犯す?

まぁギャングの話をするには「経験者」が必要なのは分かりますが、所詮「チョン」です。

って事で、アルカポネと言うと何かすごい様に「チョングソ井筒」が持て囃しますが、所詮「クズはクズ」です。クズ同士、傷を糞をトンスルを舐め合って下さい。

臭いので、目障りにならない程度の「最果て」で勝手に腐っていろ。

チョン!の分際で。


「ブタの生き血」が大好物の男性、脳内から寄生虫19匹発見(Yahooニュース)

2014年02月26日 20時41分47秒 | 日記

馬鹿か?と言う向きも居るだろうが、実は、この豚の血は美味いらしい。

ドイツでもモンゴルでも豚の血や羊の血は蕎麦や小麦などを入れて腸に詰める「血のソーセージ」が有名である。

この豚の生き血が好きなのは、死ぬしかないんだろうが、基本的に美味いのは美味いらしい。

ドイツの記録映画では、マイスターとかじゃなくて、何か知らないが、若いアンちゃんが豚を裁いていた。

それは今日見ていた所さんの笑って許しての中に出てくるようなちんまりとしたモノじゃない。2mぐらいあるでかい奴である。

豚を裁くのだが、ハムもベーコンもそしてソーセージも作るのである。大体腸詰と言うが、腸の多くは血のソーセージに使われていて、食道や胃、十二指腸(豚にもあります)、小腸、そして、チョングソ大好きなウンコが入っている大腸である。

腸詰とは言うが、実は腸は全体のわずか80%で、実は残りの20%は残りの空洞のあいてる内臓に入れるのである。ただし!肺を除く。流石に入りません。腐れるのも早いし。せいぜい横隔膜ぐらいですよ。これは結構歯ごたえがあるらしい。

また、毛色の違うところでは、膀胱である。膀胱のソーセージには往々にして腎臓が切り刻まれて入っている。これがイギリス名物の「ハギス」である。ER2でも出ていた。この「ハギス」はプリンの起源なのだと言う。

何故?と思うのだが、これは豚の腎臓を刻んで膀胱に詰めているのだが、今度はモンゴルの羊の腎臓などを切り刻んで、茹でたものを羹(あつもの)と言う。これは「スープ」なのであるがドロドロのスープなのである。よく「羹に懲りて膾を吹く」と言うが膾というのは、魚や野菜の切り刻んだもので冷えたものである。羹は熱々のスープなので、それを聞くと意味が分かるだろう。

この羹の中で羊の羹がモンゴルや中国で貴重なモノとされた。だから羊の羹は「高級品」である。そんで、これがアンコで出来た「羊羹」の起源である。

どっちも「意味がよく分かりません」でしょう?

一方は肉肉しいもの、だけど現代のそれは「スイーツ」何故?

豚の血から、変な方向に回りましたが、どうせ無知な馬鹿文科系大学出が偉そうな事をほざくのだろうが、そんな馬鹿を目にしながら、この知識を知って居れば、鼻でせせら笑えます。


「技術と社会はどう向き合うべきか」(NIRA)「トランスサイエンス時代の生き方」横山禎徳まともです

2014年02月25日 21時34分23秒 | 日記

「トランスサイエンス時代の生き方」横山 禎徳 東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム 企画・推進責任者

「従来の技術は、試行錯誤の積み重ねである経験則から生まれたものだ。例えば、動力飛行機を発明したライト兄弟は、流体力学を熟知していたわけではなく、幾 多の失敗の経験が開発の土台となっている。それは、当時の技術が、いわば皮膚感覚で理解できるものだったことを示している。」

これは、実に立派なご意見で、キチガイと馬鹿女とは偉い違いだ。

この皮膚感覚と言うのが、今の技術が強大な巨塔ではないと言える。

毎度思うのは、技術の発展を嫉妬する馬鹿文科系大学出は色々ほざくが、手近な例示が出来ない。

彼の人の言う皮膚感覚は、機械の人間には理解できる。今の最新分析能力は手の感覚を越えるモノは無い。実際捜査電子顕微鏡レベルのオングストローム単位の厚みも手で分かるのである。それは「無学」と頭の悪い馬鹿文科系大学出が切り捨てる職人さんは分かるが馬鹿文科系大学出や馬鹿女:例:藤垣 裕子やキチガイ:例:夏野 剛は理解できないだろう。

また、実際に使うとユーザーとしての勘が出てきて「運用思想」つまり「使い勝手」が分かり、そこでの「知恵」が出てくる。そこまで来ると「研究を一般人に開放せよ」米本 昌平 総合研究大学院大学 教授の論旨と似てくる。

馬鹿文系大学出は、この「幾多の失敗の経験が開発の土台となっている。それは、当時の技術が、いわば皮膚感覚で理解できるもの」を「最初からアレルギー」反応を示し、弱点として触らないようにしている。

何より「私、この分野ダメだから」と議論から抜けるか、何にしても「否定」から始まる。これが今の「足を引っ張る系」である馬鹿文科系大学出である。それは何より馬鹿でゲスで腰抜けで卑怯で地位を得るためのサバンナ高橋のようなやり口だけが異様に突出したクズ野郎の集団となっている。

つまり無能で低能でゲスなのに自分の欲望だけは無限に広がり、それを低能でクズなのに達成したい外道が色々な小細工と真面目な人間の免疫の無さをいい道具として利用する、オーラのトンスル色の髪の毛と同じ論法で行われる事が基本的な議論を根底から破綻させるのである。

要は、どのカスを外すと話がスッと通るのだろう?と考えた方がいいのである。

大体研究を一般人に開放しても「無駄」である。なぜならイメージも沸かないし、使い道も分からない。

その際たるものがパソコンだろう。

パソコンをどう使うか?は私には山の様にビジョンがある。

職場ではAutoCadを使っているが3Dの無料のCADであるFreeCadがあるが、これを使おうと話そうとしてもDraftSightがフリーで使えるよ?と言う事を言っても分からない。

パソコンを使ってサーバ機能を使うと、ホームオートメーションが出来るよ。とか言っても分からない。

また、スマホがARMコアでAndroidはLinuxの一形態で簡単にサーバを構成できるよ?最近ではワンチップマイコンでも擬似サーバが出来るよ。とかUSBを使った計測が簡単だよ!配電盤の構成は、個体化(トランジスタ化)すれば大分小さくなるよ。と言っても分からない。

また声高にこの「技術と社会はどう向き合うべきか」と言う事を言うのだが、これも「失笑」を禁じ得ない。

どう向き合うべきか?は大抵の場合ジャーナリストとほざく「極めて戦争屋の論理に近いゲス」が「分からないものを誤魔化すレトリック」として使われている。それが今の糞の左巻きことマスゴミの「存念の根底」を見せる。

また糞の左巻きことマスゴミこそ、先のブログにも載せたが技術の発展の場であるベンチャーキャピタルで適当に投資銀行のゲス野郎が色々荒らし回った後で捨て台詞のような罵詈雑言を吐いて全く反省していない。

そして、またぞろマスゴミは「向き合う」を連発している。そこには「社会正義」を錦の御旗にして戦うとほざく「正義の戦士」の敵が「場末の飲み屋の暮らしも立っていかない婆さん」や「日々の生活に疲れているタクシーの運転手」や「酔客に翻弄されている居酒屋の労働者」であり、彼らに食ってかかって、憂さを晴らすか、飲み代を因縁をふっかけて踏み倒すか?である。朝日新聞は、その「こ乱行」が隠し様もなく福岡の一部地域では夕刊の発行もおぼつかない有様だ。

正直、技術とどう向き合うべきか?は、使い方を実感するまで無理で新技術のオンパレードで出ている限りにおいては上滑りも泥臭さも対応が着かず、結局は、二人羽織を羽織る事となる。

何よりも強く言いたいのは、色々分かるというと全ての責任を押し付けられるため、その馬鹿どもの多い所で優秀な人材は居ない方がすんなりと進み、馬鹿に利口は対応できないのであると私は実感した。

最終的に言うのは、大阪や、糞みたいな、強かを売り物にするゲス野郎に見られるが、こいつらは何時まで経っても、過去のイメージを変える事が出来ず、古いイメージをいつまでも押し付けるのである。

日産も大正製薬も同じである。

NIRAの人が何と言おうと、このゲスどもは口で何と言おうと力技を使う。

毎度スティーブジョブズが成功した一番の理由は?それは、このゲスどもが使う力技をもっと強い力技で黙らせて、加えて成功した実績である。

ここまで強く自分を信じられる人は居ない。それが出来たのはジョブズの場合若干切れた性格だったのだろうが、それ以外の昔の人は「色々と分かっていないから」だったかだろう。

私は、もう開発を「馬鹿相手に」することを完全に否定している。

では誰を相手にするのか?

子供である。

馬鹿はすぐ教育と言うが「面白がろう」と言う事を上から目線をしないのは有難い。

技術を進歩するとか開発するではなく、皮膚感覚を得るために触るのである。

それは「遊ぶ」のである。

それが私の最終的な結論だ。

年寄りはごめんだ。

馬鹿な上に反応が遅い。

それが「技術と社会はどう向き合うべきか」の結論だ。

年より相手に話すな。面白がるガキに話しかけろ。そして楽しく技術を無駄に使って遊ぶのである。


シリーズ識者に問う「技術と社会はどう向き合うべきか」妹尾 堅一郎さん、まともです。

2014年02月25日 21時05分55秒 | 日記

「技術を社会へ展開する事業構想力の時代」妹尾 堅一郎 特定非営利活動法人 産学連携推進機構 理事長

「技術は、産業を通じて社会に還元されなければならない。産業は、経済活性化と雇用の確保という重大な役目を担っている。」は、まぁ教科書の通りですが、毎度、この流れが滞ったのが問題なのである。

何故か?オーラのトンスル色の髪の毛に聞いてみては?

私の回答は、勝間和代が「出来ないビジネスマン専用の馬鹿番組」=「デキナビジ」に出ていたのが象徴的である。ひろゆき氏が相手でベンチャ企業が無いのはどうしてか?と起業しない側の責任をあげつらう馬鹿牝である。

だが、私のブログには何度も出ているが、1980年代後半にはベンチャーの投資リターンが得られるのは巨額投資を必要とするバイオしかなくて、それ以外では殆ど無かった。1980年代末には、このスッカスカのベンチャーを捏造して未公開株の売り抜けビジネスを投資銀行がやり、ベンチャーをスッカスカにした。また、その残滓としてインターネットバブルをやり、投資金額を釣り上げるという作業を行った。

それを見ていないような記事をインターネットバブル後クソミソにぶっ叩いたのが日経グループである。2000年から2001年の記事を見ると大笑いである。

実は技術を単純に技術として見るのは難しくなり、その上前をはねると言う「ゲスの利口」が出てきた。それが慶応の「ビジネスモデル」である。勝間和代が代表と言った方がいいだろう。また経営コンサルタントや税理士や投資コンサルタントなどは、この類で、どういう奴かというと「島耕作」か「島耕作に憧れるレイプ魔」であろう。

まぁ実物は?と言われると「ルネサステクノロジー」の理科系大学出以外の奴等の面を見ると、その「平均顔」が、その類だろう。因みに「平均顔」とは画像の特徴を平均化すると、その業界の人間の典型的な特徴を表すと言うものである。

氏の「要するに、技術のどの領域をオープンにして市場を加速的に形成し、どの領域をクローズにして収益を確保するか、つまり「オープン&クローズ」戦略を真剣に検討すべきなのだ。」と言うのは、その戦略を誰が行うのか?である。

ルネサステクノロジーの「島耕作」か「島耕作に憧れるレイプ魔」は「技術者はオタクだから機能ばかり盛り込もうとする。顧客のニーズを知り尽くしているのはプロの営業の我々だから、無駄の無い(機能の無い)大人の(クソつまらない)チップを提供できる」とほざいて「問答無用」で「独裁体制」を捏造した。まぁ「馬鹿文科系大学出のクーデター」である。

その結果「大人のルネサス」は「自動車の半導体という、大きなバックニーズを持ちながら、何故か営業的に新たな点を見出せない」と言う「技術ではなく方針や戦略」と言う極めて文科系的な所が「話にならない」と外国のメディアが「結論づけた」のである。

そのルネサスの「大人の結論」はARMコアを使った、名前だけ国内ウケしそうなRZマイコンである。

「小細工の最たるもの」だろう。

さて?大人のルネサスの営業の馬鹿?H8やSH、RXの営業の失敗は何が問題だ?

ああ、ルネサスの株はどうすれば買えるのかな?株主になれば「ネチネチ」聞けるんだろう?委任状を山と持って「核心の部分」を突きに突いてやろうか!ああ!

これまでの発源と今後の方針に関して、聞きたいことが山ほどある。

さて、妹尾 堅一郎 特定非営利活動法人 産学連携推進機構 理事長の疑問に答えるなら、会議の場の空気を読んで、場の研究をし尽した「お約束」の権化は、かつての大本営同様、結局、着実な技術や論理の戦いではなく、ノリや目新しく目立つモノに飛びつき、囃し立て、その結果、食いつぶし、飽きて捨てるのである。

それは日本の旧陸軍や海軍の愚劣な戦略その物である。

平和の中にかつての悪行の腐臭が臭う。それはオーラのトンスル色の髪の毛の好きなモノは、何より戦争を好んだ奴等の愚劣な気まぐれとごまかしである。それこそ臭い穴の暗く狭い奴だろう。この言葉を逆にすると美輪明宏となる。このトンスル臭い暖色の校門性交野郎は、何より不正と腐臭と劣化と賃貸と根絶やしの実態である。そして、何より気まぐれのその場しのぎの性欲をひけらかすやり方は、まさに、国も会社も家庭も焼き尽くす一番の危険な毒である。

まぁ男色のトンスル野郎のゲスのカスのカマの低能の心霊詐欺師のやることはこんなものだろう。

いずれにしても見てくれを幾らイジっても食言を幾らひけらかしても、我々技術者科学者の目は、頭脳は切れのいいナイフだ。

論理的破綻は幾らも切れる。馬鹿文科系大学出の低能さは、実によく見える。


シリーズにしちゃいました識者に問う「技術と社会はどう向き合うべきか」(NIRA)馬鹿女の言い分

2014年02月25日 20時46分24秒 | 日記

「科学技術の社会的責任を問う」藤垣 裕子 東京大学大学院総合文化研究科 教授

まぁ読んで見てください。大体この論法は押井守やオーラのトンスル色の髪の毛がほざくネタである。

馬鹿でゲスでカスがなんぞほざいていると言うのが事実である。

福島第一原発の話であるが、この福島第一原発では、まず文部科学省の次官クラスから「この件(つまり原発とその影響を分からせる事)に関しては研究結果を発表する事を『禁じる』」と言う命令が「公式にされない正式」に布告されたのである。

この事を言わない時点で藤垣 裕子なるゲスの低能のカスの卑怯物体で、必ず死後地獄に落ちるであろう外道である事は約束された。せいぜいオーラのトンスル色の髪の毛から「校門性交」を叩きこまれなさい。

福島第一原発の問題発生時に、この命令が布告されたのに対する対処が「海外のサイトに出ている研究結果を見なさい」と言うもので、また国の紐付きじゃない科学者のブログなどの情報を貰った。その結果私は3月20日の時点で、その後半年間起こる問題を既に把握していた。

それを「分からない」「理解できない」と吹聴して、馬鹿でゲスで卑怯で、低能な私に分かるように科学技術を説明しなさいと、無様で無様で仕方の無い藤垣 裕子が「チョングソの用にほざいている」のであります。

つまり東京大学大学院総合文化研究科 教授は「馬鹿でもなれる」上に「馬鹿だから、その席に就いた」のですね?

よく分かりました。

さて、その後の科学者の抵抗は、別の手でやられました。それは「活断層攻撃」です。2011年以降の原子炉再開が足止めを食っているのは、地学関係の科学者が公のプロセスで「地震問題」で納得できる論拠を提出しなければならないのだが、それを「正面切って」阻害しているのである。

簡単に言えば「日本は原発を作れる場所は何処にもない」と言っている。

これは、この馬鹿でゲスでカスで卑怯で外道な東京大学大学院総合文化研究科 教授藤垣 裕子に幾ら説明しても馬鹿だから分からないので、説明するのは無理と判断し、「あのなぁ~おばぁちゃん?ええかぁ~?日本はな?地震がぎょ~ぉさん来るんで、危ないんや?分かるかぁ~?そんなんで、何処掘っても、活断層言うもんがあんねん!その上に原子炉置いたらいかんのやけど、今の原子炉の殆どは活断層の上やねん?だから、今の原発は動かしたらあかんのや?分かるかぁ~?」とわかりやすすぎる説明のみで、この「なんやぁそら!あたいは聞いとれへんでぇ~」と言う、今回の「科学技術の社会的責任を問う」と言うこの馬鹿でゲスでカスで卑怯で外道な東京大学大学院総合文化研究科 教授藤垣 裕子のお門違いな「ご指摘」と言う名の「思考停止と無知と低能」を他人の所為にする、悪行への「初歩的反論」をしました。

グレード1は終了。グレード2は、この馬鹿でゲスでカスで卑怯で外道な東京大学大学院総合文化研究科 教授藤垣 裕子の「程度のレベル」を判断して発動する予定です。

「まず敵の全滅は確定しており、問題は、如何に全滅するか?の過程が問題でしょう」