
日光・男体山・中禅寺湖の沢の水を集め、やがて大きな川となって、関東平野の東毛の地を、渡良瀬川が貫く。明治・・富国強兵の名の下に、列強の侵略を防ぎ・遅ればせながら、中国や朝鮮の地の植民地化に名乗りを上げようと、貴重な輸出産品の「銅」を堀り・精錬し、発生する「毒」を垂れ流しながらまい進した、足尾銅山。
最盛期には実に国内の4分の1の生産量を誇り、その大半90%超は輸出された。
そのお金が、日清・日露の戦費となって行くのだ。
そして、最初にして強烈な公害「足尾鉱毒」を生み出すのだった。
その鉱毒に人生と命をかけて戦った「田中正造」は来年、没後100年を迎える。
田中の戦いの地、栃木や群馬の両毛の市民が、「アースデイ・田中正造」と冠し、1日がかりのイベントを行なった。


福島原発の爆発で、とてつもない広大な土地が侵され、21世紀の日本は、おそろしいばかりの「公害」の只中だ。この、田中正造を考えるイベントに「原発」を考える企画がカプリングされたことに、主催者の見識の見事さを感じ、恐れ入った次第である。


足尾の今を、現在進行形で、活動続ける主催者の展示。

まったく、こんな、手口だわ。


太陽光を使った、ゆで卵などの体験イベント。

小出先生の講演まえの、若者のコンサート。


あかんべ山・その後・・と、音楽仲間の「チエ」の演奏・・・
声が一皮向け、進化した感じ?あっぱれ!


主催者挨拶・・・ついでに、市長も挨拶。

研究室には「田中正造」の写真が飾ってあるという、小出先生登場!
的を得た、論理明確な、見事な講演であった。
「福島原発から出たゴミは、除染物質は(先生は移染とのたもう・・・全くだ!消えるわけじゃなく、場所を移動するだけだわ・・・)あちこちに、処分地を分散するのは、ゴミを撒き散らすだけ・・福島第2原発にもってゆく以外に当面無い」との話は、納得。
長いが、「小出先生と田中正造の関係」はこちらの小出さんの論文でどうぞ。長いよ・・・クリック!

原子力を科学者として解析するだけでなく、原発を作ることの「反対運動」も実践してきた彼にとって、田中正造とその思想は、彼にとってもよりどころだったんだね。
ぶれない・見事なまでに真摯で「真理にのみ従順」な彼の、科学者としてのすがたに、あらためて原発は文明を破壊すると、肝に銘じた次第・・・・

質疑応答は少し間延びしたが・・・多くの参加者を得て、大きなイベントだった。
1人でも、隣人に、「原発はやめようよ!」と、語り始めるひとが増えることが願いだ。
最後に
田中正造のこんな言葉がある(実に有名だが・・)
「対立、戦うべし。政府の存立する間は政府と戦うべし。敵国襲い来たらば戦うべし。人侵入さば戦うべし。その戦うに道あり。腕力殺戮をもってせると、天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり。予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり。」
原発への長くなるだろう、戦いもしかり。尖閣や竹島を巡る争いもしかり・・・武器なんぞもたず、戦うことの大切さを説く姿が身に沁みる。
過去から学ぶなら、天理を武器にする、非戦のこの姿こそ大事だと思う。
戦争のために、1945年まで地球上に存在しなかった「セシウム」を生んだ事実、ベトナムでもイラクでも、戦争は破壊の何物でもなかった事実を見た僕らが、これからの多くの戦いに臨むとき、せめて、この学びに依拠する以外に無いと思う。
軍隊大好きな、新しい(そして古い)総裁なんぞがまた、出てきたこの時、田中正造が100年の時を越えて、立ち現れているように思う。