
海があふれ、海水の入り込んだ土地は、雨がほとんど降っていないのに、海水はそのままに、夏草が旺盛に茂っていた。ここは、3,11のまま・・・


家族旅行なのだが、長女はここを見ていないので、本人の希望もあって、やってきた。
僕は、3,11の秋から、毎年ここに来ている。

ガレキの山はすっかり片付き、テトラポットの現場施工が始まっていた。
盆中で重機は動いてはいなかった。



慰霊の碑が建っていた。
隣に立つポールは、津波の到達の高さを示すモニュメントだ。
すごい高さだ。

着実に、復興の歩みが、ここにもやってきた感じがする。
人びとが家を補修し・・あるいは、新築し、住み始めている。電気は毛細血管のようにつながり、明かりをともしていた。


漁港では、店が始まっていた。
3,11・・・津波の地は、愛する人たちがいれば、歩みは遅くても、援助すべき国の体たらくがあっても、やがて復興するだろう。
だが、今も、毒を大気や海に放出し続ける地は、復興など考えることは不可能だ。
僕は、そんな思いを、ここ宮城の亘理町、荒浜海岸に来るたびに思う。

到達時間に止まったままの校舎の時計は、現在時刻を刻んで動いていた。体育館も新しくなった。元気に手を上げる子供たちは居ないが、その子供たちが帰れるように、建物の修復が始まっていた。そして、新しい碑が建っていた。
碑を建てる・・その行為は、原点を定め、ここから出発だと、そんな意思を感じた。

昼飯は、こちらの季節料理「ツブ飯し」・・・実に旨い!
長女に褒められた!


午後2時過ぎに、常宿「元気荘」に入った。
女房子供は、風呂でまったりして、近くの店に「ソフトクリーム」など食べに行くらしい・・・(僕はもう、50万年はソフトクリームなるものは食っていない・・・)
で、沢に挨拶・・・・
雨が全く降っていないらしく、渇水。
東北の豪雨は、日本海側・・・分水嶺の東には来ないのか?
もっと北の東北は降ってるらしいが・・・
1時間半で2回のあたりで、2匹の釣果だ・・・ひどい渇水の沢は、難しい釣りなのだ。
獣道を通って、道路を目指したら、熊捕獲のワナがねぇ・・・怖わっ!

宿に戻り、旨い夕飯や、露天を楽しんで、家族旅行の初日は終わったのだった。