館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

沖縄・・学徒たちの慰霊碑に立つ時・・・・観光コースでない沖縄スポットその4。

2017-04-15 04:09:09 | 旅は続く
昨日は、なんだか疲れて、8時に寝た・・・・そしたら、もう4時にはどうしても目が覚めてしまった・・・まあ、普通か?

たけのこを偵察に行ったが、まだ、姿もなかった・・・

今日は、子供たちが集まるらしい(たくらみがあるような・・・)。にぎやかになる・・・また、早く酔いが回って、寝るに違いない。

さて、ミネさんへ、レクチャー記事が続く。



来週は、佐野のVIPをご案内して、島に行く。色々取材して、希望も聞いて、彼が行った場所の点と点を繋ぎ、「南部戦線・ひめゆりと白梅の足跡をたどる旅」そして「集団自決の島・渡嘉敷島を訪ねる」の2本をメインに据え、市場(マチグァー)散策と夜の那覇のゆったりとした企画も入れて、ほぼ、計画が定まった。
レクチャーや、「ここを、こうした視点で見るのもいいよ~」との思いで、選んだ3か所の講釈を語る記事が今回だ。これから4月まで、まずは3つ。ネタ切れの週には1つ2つ挿入するかもしれないのだった・(今回はその挿入第一弾)・・・ミネさん!たのしみだねぇ!



健児の塔・・・・・沖縄師範学校男子の慰霊碑。



白梅の塔・・・・沖縄第二高女の慰霊碑。



ずいせんの塔・・・・首里高女の慰霊碑。


載せてないが、ひめゆり(沖縄師範・女子部)含め、21校の学徒が動員され、たくさんの人たちが、犠牲になった。

すべてが、どこかに慰霊のために、石に刻まれて立っているのが沖縄だ。

僕はこの多くの碑の前に立つ時、いつもこんな思いがふつふつと沸き上がってきて、しばし立ち尽くす。

「皆、エリートたちで、その知識や技能を平和のなかで修練することが出来たら、どんなにか戦後の沖縄は変わっていただろうか」と・・・


まあ、今でいえば、東大とか京大とか・・・名だたる最高学府に学ぶ学生たちだった。

彼ら彼女たちが、生き残って、戦後沖縄の政治や経済や芸術に関わったら、今も続く、米軍の占領下のような沖縄にはならなかったのではないだろうかとね。

若き知性たちが、その多くが残らなかった沖縄・・・・出発から不足して・遅れた沖縄と、思う時、無念でならないのだ。
コメント
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