今日は、茨木の結城市でコンサート。ちょいと、練習が足りない気がするが、まぁ・・わしんところの、ボーカルべーべーは本番は強いからだいじょうぶかも?
んで、明日から宮城蔵王・・4日は増田さんのコンサート・・・連休は、休む間もなく暮れてゆくのだった・・・
さて、ミネさん記事も、佳境!


この日は、えもいわれぬ思いに駆られる場所に行くので気は重い。空も重く、しとしと雨。
離島に渡る港の前の、外人墓地・・・・ペリー上陸の地の碑・・・そして、ペリーの船の船員が起こした強姦事件・その船員は村民に追われ、崖から落ちて昇天。
その、ウイリアム・ボートの墓など見た。

やがて渡嘉敷。出航可能なぎりぎりのうねりで、完全に船酔い・・・・レンタカーを借りて大江健三郎氏と「集団自決に軍の関与があったか?」で争った、現地隊長の陣地など見て・・・


整備されているが、ほとんどメンテされず、落ち葉に埋もれた歩道・・・ハブが怖い。いくつか崩落しないようにコンクリで固められた壕の周辺には、あそこも壕だったに違いないという、窪みなど結構な数だ。赤松大尉が率いる日本兵は、結局玉砕しないまま敗戦を迎え、米軍に投降。生き残った兵士は、戦後も生き続けたのです。住民には集団自決を命じておいて、自分たちは命惜しさに投降したのだった。軍隊は国民を守らない。当たり前のような真実が見て取れる。


続いてやってきたのは集団自決の跡地。斜面を落ちないように柵などあるが・・・何度行っても、恐ろしい「気」を感じる場所だ。
雨だと、滝が現れるらしい・・・水がある場所に集まって、その沢は赤くそまったという。赤松隊本部壕から、わずかに。小高い尾根を1つ超えた場所である。

読みずらいが、最後の3行を読んでほしい。


ベニヤ板でできた、小さな船で、爆弾積んで特攻だからなぁ・・・勝てないねぇ。

何故か、曽野綾子の建てた碑もある。ひどいものだ。「親が子を鎌で殺す・・・その集団自決を、愛だと書いてある」・・・美しい国の本質か?

晴れていれば、七色に輝く離島のビーチ。それをミネさんに見せられなかったのは、残念だった。


ちょうど、海開きに遭遇!どんなもんかと、興味津々だった。ここでの僕の「新発見その1」だった。


村民あげてなんだな。
祝詞を上げて、お歴々が頭を下げ・・・
海上保安庁のヘリが「安全祈願のメッセージ」を海に落とす。


間近でヘリを見るのも初めて。

落ちたメッセージを、これまた保安庁職員が拾いに行き、神棚に収めるだよ。


このようなモニュメントもある。僕らは島を1周する集会道路をすべて回ったのだ。

港の見える展望台。

左へ目をやれば、田んぼが見える。
震災の時、種もみも流され、この年の稲作りに窮したという。
それを救ったのは、2期作が出来る沖縄だったという。
残った備蓄の種もみを沖縄で栽培してもらい、増やせば、農家に配布できると・・・・思いついた職員はエライ!

沖縄を占領した米軍は、本土への侵攻のため、伊江島を飛行場として整備する。
邪魔な住民は、渡嘉敷や座間味に強制移住させられる。1年後に帰れるが、その時の渡嘉敷・座間味の住民に感謝の意を込め、伊江島の人達が、記念碑をたてて残っている。

戦前の渡嘉敷や座間味は、鰹節で栄えた島だった。
あの、尖閣の島に有った、日本の施設ってのも「鰹節工場」の跡だ。
回遊の関係で、今は鰹節は無いが、当時の工場の煙突が残っていた。
こうして、3日目の集団自決の島を訪ねるは、帰りのフェリーでも船酔いしながらも・・・終わったのだった。
この夜の泡盛は、沁みた・・・・体中に染み渡った・・・。
んで、明日から宮城蔵王・・4日は増田さんのコンサート・・・連休は、休む間もなく暮れてゆくのだった・・・
さて、ミネさん記事も、佳境!


この日は、えもいわれぬ思いに駆られる場所に行くので気は重い。空も重く、しとしと雨。
離島に渡る港の前の、外人墓地・・・・ペリー上陸の地の碑・・・そして、ペリーの船の船員が起こした強姦事件・その船員は村民に追われ、崖から落ちて昇天。
その、ウイリアム・ボートの墓など見た。

やがて渡嘉敷。出航可能なぎりぎりのうねりで、完全に船酔い・・・・レンタカーを借りて大江健三郎氏と「集団自決に軍の関与があったか?」で争った、現地隊長の陣地など見て・・・


整備されているが、ほとんどメンテされず、落ち葉に埋もれた歩道・・・ハブが怖い。いくつか崩落しないようにコンクリで固められた壕の周辺には、あそこも壕だったに違いないという、窪みなど結構な数だ。赤松大尉が率いる日本兵は、結局玉砕しないまま敗戦を迎え、米軍に投降。生き残った兵士は、戦後も生き続けたのです。住民には集団自決を命じておいて、自分たちは命惜しさに投降したのだった。軍隊は国民を守らない。当たり前のような真実が見て取れる。


続いてやってきたのは集団自決の跡地。斜面を落ちないように柵などあるが・・・何度行っても、恐ろしい「気」を感じる場所だ。
雨だと、滝が現れるらしい・・・水がある場所に集まって、その沢は赤くそまったという。赤松隊本部壕から、わずかに。小高い尾根を1つ超えた場所である。

読みずらいが、最後の3行を読んでほしい。


ベニヤ板でできた、小さな船で、爆弾積んで特攻だからなぁ・・・勝てないねぇ。

何故か、曽野綾子の建てた碑もある。ひどいものだ。「親が子を鎌で殺す・・・その集団自決を、愛だと書いてある」・・・美しい国の本質か?

晴れていれば、七色に輝く離島のビーチ。それをミネさんに見せられなかったのは、残念だった。


ちょうど、海開きに遭遇!どんなもんかと、興味津々だった。ここでの僕の「新発見その1」だった。


村民あげてなんだな。
祝詞を上げて、お歴々が頭を下げ・・・
海上保安庁のヘリが「安全祈願のメッセージ」を海に落とす。


間近でヘリを見るのも初めて。

落ちたメッセージを、これまた保安庁職員が拾いに行き、神棚に収めるだよ。


このようなモニュメントもある。僕らは島を1周する集会道路をすべて回ったのだ。

港の見える展望台。

左へ目をやれば、田んぼが見える。
震災の時、種もみも流され、この年の稲作りに窮したという。
それを救ったのは、2期作が出来る沖縄だったという。
残った備蓄の種もみを沖縄で栽培してもらい、増やせば、農家に配布できると・・・・思いついた職員はエライ!

沖縄を占領した米軍は、本土への侵攻のため、伊江島を飛行場として整備する。
邪魔な住民は、渡嘉敷や座間味に強制移住させられる。1年後に帰れるが、その時の渡嘉敷・座間味の住民に感謝の意を込め、伊江島の人達が、記念碑をたてて残っている。

戦前の渡嘉敷や座間味は、鰹節で栄えた島だった。
あの、尖閣の島に有った、日本の施設ってのも「鰹節工場」の跡だ。
回遊の関係で、今は鰹節は無いが、当時の工場の煙突が残っていた。
こうして、3日目の集団自決の島を訪ねるは、帰りのフェリーでも船酔いしながらも・・・終わったのだった。
この夜の泡盛は、沁みた・・・・体中に染み渡った・・・。