館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

アーネスト・ストーマン 僕の育った音楽Sの仲間たちその5。

2019-01-26 06:08:57 | 僕の育った音楽
明日が本番なので、何かとバタバタ・・・・ギターの弦を張り替えた。

それと、例の赤ラベル・・・・Y氏のところにリペアに出した。

しかしまぁ・・・相次いで、名だたる大企業の不祥事が報道される。ほとんど内部告発で、本来ならまっとうな組合が取り上げ追求する事案だが、もはやこの国の大企業の組合ってな、働く側の見方では無いのだろうね・・・

湿度の少ない日々で、のどがガラガラ・・・お肌はカサカサだ・・・・この喉・・少し花粉の影響を感じるのだが・・もう、飛んでるのかな?いや?飛んでるな。
やだねぇ・・・・やな季節だねぇ・・・


さて、土曜は(今日はどようだよな?)音楽だ!!知らない人が多いやつだ!




ベンチャーズ・・・その後、サイモンとガーファンクルだった。

初めて、アメリカのルーツミュージックのような香りのする音楽は「ジャック・エリオット」だった。高校1年生の時だ。
そこから、カーターファミリーがすぐやってきて、のめりこんだなぁ・・・

そのころ聴いたものにこちらの「アーネスト・V・ストーマン」さん等がある。

まだ、フォークとかカントリーとかが未分化な1930年代・・「オールドタイムミュージック」の時代である。

検索すると・・

ヒルビリー系音楽家で”カントリー音楽の父”と呼ばれています。1893年5月25日にヴァージニア州キャロル郡で生まれ、1968年6月4日に死去しました。本名はアーネスト・ヴァン・ストーンマン( Ernest Van Stoneman )です。3歳の時に母が亡くなり、父親の手で育てられ、父親や従兄弟達からギター、バンジョー、ハーモニカ、オートハープなどの演奏や伝承音楽を学びました。1918年に結婚すると、大工などの色々な仕事に就き、音楽は身内や近所の人達を楽しませるためだけに演奏していましたが、24年にレコードでヘンリー・ウィッター( Henry Whitter )の歌を聴いたのを転機に、1924年にニューヨークに行き、オーケーに2曲を初録音しました。以降、1925年から29年までにオーケーやビクター、エディソン、ジェネット、パラマウントなどに200曲以上を録音しました。大恐慌の時代に入ると、32年に家族と一緒にワシントンに居を移し、色々な仕事に就きながら食いつなぎました。とてもひどい貧窮の中で、芸能競技会での優勝やTV番組へ出演して人気を得ていき、スターデイ、ワールド・パシフィック、MGMなどにアルバムを残しました。1967年にはCMAの”Vocal Group of the Year”に選ばれ、2008年には”Country Music Hall of Fame”に入りました。

などと出てきた。そうだねぇ・・・確かにカントリーよりかもしれない。

だが、ハーモニカを弾きながら、ギターもならして、歌を歌うってスタイルは、ウディーやら、やがてボブ・ディランなど影響を受けていると思う。

これ以上彼にはのめりこまなかった・・・どこか都会的な「カーターファミリー」が僕のアイドルになったのだった。

久々に、針を落とすかな・・・・


コメント
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