館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

小出裕章講演会+市原康TRIO’ライブに行ってきた。

2011-11-08 06:49:03 | 生活雑感


一生こんなところに来るとは想像もしなかった・・・
東京大学に、毎年、そして何十年も日本一「東大生」を送り出している高校であった・・
その東大生が、官僚や、御用学者になって、今回の事態を当事者のように、招いている現実が、確かにある。のだ・・・

んだから、僕がここにいるのは、子どものお受験とか・・では、もちろん無いのは、言うまでも無い。



まさに不屈の研究者・・・そして、今とっても世の中から「必要と」されている方、小出助教氏の講演会、そして、JAZZドラマーの市原康トリオの演奏という、カップリングの企画にお上りしたのだった。

ブログで知り合った方からの情報で、行きたくて、アクセスして、申し込んで、もぐりこんだ。




時間は短かったが、圧巻の講演であった。
まさに、福島・・・原発のうそや、起こってしまった現実の「重たさ」「大きさ」「取り返しの付かない事実」が語られ、体中に沁みた。
足すものも引くものも要らない語り口・・

「夢のエネルギーと信じ、その力になりたいとこの研究の道に進んだ」
「その研究過程で、原子力は、人類が扱えない、あつかってはいけないと、思い至り、反原発の道に研究や実践の舵を切りなおした時はまだ3基しかありませんでした」
「そして今、何も出来なかった無力感があります・・」

どこまでも、真摯な方であった。

市民レベルで、草の根の反原発の取組みが、日本中の小さな町や村で立ち上がることが、原発を押しとどめる力になる気がした。

そして、小さな声、力にならないと思っても、できる方法で「原発は要らない」と、声をあげ、手を上げることが大事と思った。

しかし、すごい学者だ。本も読みやすく、話も上手である。



じつは、小出氏も市原氏もここの学園の出身者で、その同窓の方々が「同窓会」を開いたのだった。その同窓会の式次第の1つが記念講演・2つが懇親会・そして最後は、市原トリオの演奏であった。

なんだかねぇ・・・立食で、美味しい物も食べたのだった。



還暦は過ぎたが、長くスタジオワークで多くのミュージシャンを支え、自己のトリオでも演奏活動を行っているドラマー、市原康トリオの演奏が最後に集まりを盛り上げたのだった。

ピアノは福田重男・・・ロンカーターやひのてるまで、名だたるミュージシャンと活躍したかたである。
フレーズは流れるようで、綺麗なアドリブが続く・・

ベースはスエーデンに活動の拠点を置く、森 泰人・・・コニッツやゲッツとの共演など活動歴だ。

ヨーロピアンタッチの穏やかで、やさしいベースであった。

席が、前のほうであったが、音のバランスが・・・・??であった。

思い切って、真後ろ、最後尾に移ったら、まあ!トリオの演奏が見事に映えた。



震災と原発・・・・大きなうねりに、どうも日本人は萎縮から解き放たれて居ないように思う。

僕らが音楽を問う時、未だ、「歌どころではない・・」と、チケットの売れ行きも芳しくない・・・

暗いときこそ、文化の力は大事だと思っている。

あの世界大恐慌におびえたアメリカでは、カーターファミリーによって「キープオンザサニーサイド」が生まれ、JAZZの世界では「オンザ サニーサイド オブ ストリート」が生まれ、21世紀になった今も、歌い・演奏され続けている。
権力の側は決して歌わないが、無名の民は、口ずさみ、演奏し、連帯してきた。

生み出せればすごいが、僕らの手でなくても、これから生まれるに違いない、こんな音楽に出会え・歌うことが出来たらなんて素敵だろうと、思っている。

来年は、我がT市で、反原発で集いたい!

そして、小出先生が来たら・・・・

などと、想像力たくましく・・・この記事を書く僕であった。

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東京散歩その1。

2011-11-07 07:17:45 | 旅は続く


久々のお上りだった・・・・

まず、CDを覗かねば・・・・・

っと、新譜を絡め、いくつか欲しいのが買えたぜ!



女房が一緒だった・・・・この夜にある「講演会」をお目当てに、同行だったのだ。

まず、昼飯。



その後、冷やかしに、この駅・・・巣鴨に降り立ったのだった。



なにしおう「巣鴨地蔵どおり商店街」・おばあの聖地と聞いたが・・・本日の東京散歩はここだ。



いや・・・この柄の・このデザインの服など、満載であった。



なんだか、「刺抜き地蔵」の場所は、並んでいた。
で・・・・どうも、観音様を洗ったりしているのだった・・・



地蔵様は、何処にも無い・・・本堂のお守りなど売っている若いお坊さんに聴いたら
地蔵様は、本堂の奥に鎮座し、ご開帳の時しか拝めないらしい・・・

そのご開帳から、すでに100年は経っているらしく、次のご開帳の計画は無いらしい・・・

若い坊さんに、見たことあるの?と聞いたら、無いそうだ。

なんだかねぇ・・・・僕のような、不信心の輩には、ネタのような、話なのだ。

信じるものは、救われる・・・世のたとえなのだった。



こんな店は、ひくしかないべ?

60過ぎの勝負パンツ!



こうなごやジャコの量り売りが、実に旨そうだったので、購入。

りっぱに地元に、お金を落としたのだった・・・エライ!



これから、夜は長い講演会とJAZZライブ。

早めにまず宿にチェックイン。

宿で飲む酒をコンビニで買わねば・・と思っていたら・・・

何と!宿の隣は「沖縄ショップ」、道路の向こうは「酒屋」であった。



沖縄の「わしたショップ」で、泡盛とつまみを購入。



泡盛で最高に臭い「白百合」を呑む・・・・・

40分ほど休み・・・・夜のイベントに出かけたのだった。

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本日!原田俊太郎トリオ・・・ライブ!

2011-11-06 07:14:07 | ロスト シングアウト


ロストが自信を持って贈る、JAZZライブ当日です。

写真の3人が、最高の演奏をおおくりいたします、です。


当日券OK!

090-2562-4258 で、僕につながります。
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ジョニ・ミッチェル 僕の育った音楽Mの仲間達その24。

2011-11-05 06:43:28 | 僕の育った音楽
そうなのだ!土曜は音楽だ。



才女のイメージ。

アメリカでは、多くのファンのみならず、ミュージシャンに愛され、一流のミュージシャンを従えた感があるが、日本ではいかがだったろうか?

ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell、1943年11月7日 - )・カナダのミュージシャン、画家。本名はロバータ・ジョーン・アンダーソン(Roberta Joan Anderson)。1997年にロックの殿堂入り。1969年から2007年にかけて、グラミー賞を9回受賞している。

フォーク系シンガー・ソングライターが出発点だったが、まあ、そんな枠に収まる方ではなかった。楽理・スタイル、果ては楽器まで束縛が無く、いや・・そればかりか、音楽そのものからの束縛さえ無いかんじだな。

その音楽の凄みは、鋭い批判精神の内在が、もたらすように思う。

捕らえがたいミュージシャンだが、時々、聴きたくなる方である。


画像は、「Mingus (1979)」。

名の通り、JAZZの巨人、チャールズ・ミンガスへのリスペクトのアルバムだ。




ザ・バンドの「ラストコンサート」での、彼女の「コヨーテ」が、僕にはすごいシーンである。
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T市の平地林のキノコ達・・・・驚くべき群生であった!

2011-11-04 06:25:12 | 山菜・きのこ・釣り
これは、10月23日の記録である。(来年に大事な・だいじな記録)





お山でなく、我がT市の公園散策。

お目当ては、キノコ。

昨年は、公園で遊ぶ、ガキドモに踏まれ・・・悲しい姿に立ち尽くした。



ヒトヨタケ。

食えるが、酒と一緒は不可というキノコなので、僕には毒きのこ。



コガネタケ。普通に旨い。



ムジナタケ。
食菌だが、旨くないので、とらない。



お目当ては、ガキドモニ踏まれず、見事な群生だった!!!!!

ハタケシメジ!!!


写真・たくさん株があるのだが、分かる?



参った!



興奮の時間。



これほどの群生は、めったにお目にかかれない。



子どもの居ない中年夫婦・独身のおじさん2人に分けた。

炒め物・鍋・ホイルでバター蒸しと、食べた。

超A級の、見事なキノコだ。

まだ、発生のご様子。

また、いぐ!



コメント (6)
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