館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

岩手のサンマのかば焼き。

2018-11-25 05:48:13 | 缶詰はすばらしい!


地方缶詰。



定番の「三陸産・さんまの蒲焼」はそのまんま、岩手缶詰株式会社産であった。


昭和16年に農水省の指導で出来た会社らしいが、木材加工含め、こうした国策企業って、結構できてるんだよな。
それが、まったく民間の会社になって、900を超える従業員で頑張っているらしい・・・



お姿は、大手メーカー含め、変わらず。




増粘剤などで、こってり・甘目ってのが、ほぼデジャブな感覚なのだが・・

こちらは、甘さ少なく・粘り気の少ないものだった。

これはこれで、さっぱりしてよいのだが、やはり(ってか、体調もあるわな・・)甘目が好みかも?
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ロストベーベーと行く秋の沖縄・その2・・・歴史ロマンと基地返還で莫大な経済効果の北谷・・・土産爆買いなど。

2018-11-24 04:48:17 | 旅は続く



2日目のテーマは、⓵ベーベーの希望で御朱印をもらう(2人とも御朱印帳っての持ってたぜ!)⓶しゃれた物の買い物⓷聖地巡礼である。

聖地・・・沖縄の国造り神話は日本書紀の影響を受けているが、その「八百万の神」はその後の日本のように民衆の支配の道具としての仏教が現れず、王朝の護持のための神社・仏閣であったので、そのまま民衆信仰として国造りの神々が今も残っている。困ったときは仏を拝まず、ノロが祈るか?
そうしたテーマの2日目だったので、琉球王国が出来たあたりの歴史遺産を訪ねるのも、僕は織り交ぜたのだった。

まずは、琉球王が普天間宮へ首里から向かう石畳道の一部が残され、整備されている「当山の石畳」を散歩。



中々の風情・・・・わしゃ、このような場所がすごく好み。




普天間宮で御朱印が次なのだが、時間が30分ほど早いので、砂川タクシーチョイスで、沖縄戦最大の激戦地「嘉数高地」に立ち寄った。砲弾で破壊された民家の壁が保存され、出迎える。



嘉数高台をめぐって1945年4月8日(7日)からの16日間に及ぶ戦いは、沖縄戦最大の激戦地と言って良い。
両軍の戦死傷者は合わせて約10万にのぼった(諸説あり)。
嘉数に投入された第62師団独立混成旅団には京都出身兵が多く(約3500名)、そのほとんどが故郷を見ずに嘉数にて戦死しているため、“京都の塔”が建てられている。



日本軍のガマやトーチカの残骸が残されている。



高台に建つ展望台からは、普天間基地が一望できる。密集した住宅が基地を包囲する、世界一アブナイ米軍基地だ。

この何倍もの大きさで、豊かな海を埋め立てながら新基地「辺野古」を作る暴挙が、安倍政権のもと民主主義と日本国憲法を踏みにじりながら進んでいる。



やってきました、普天間宮!琉球八社の1つ。戦争で破壊され、戦後再建された神社だ。沖縄では神社仏閣は戦争で破壊されたのち、再建されなかったものが多い。
御朱印ゲット!男2人は貴重なたばこタイム。




次にやってきたのは1400年代の古城。琉球王統・尚氏が統一目前の頃。尚氏を豊臣に例えれば、北条や武田が残っていた時代としよう。
その武田の居城・勝連城址である。世界遺産の1つだ。
曲線の城壁が美しく、惚れ惚れする城跡だ。




海中道路という海を渡る道路を通って、2つ目のテーマ「聖地巡礼」の島にやってきた。
イザナギ・イザナミの子天照大神・・彼女は高天原に住んで、やがて沢山の神々を生んで、天皇の系譜を作るという・・・
沖縄では神はニライカナイからやってきて、国造り・五穀作りを行い、島を作る。

そのイザナギさんたちが、沖縄ではアマミチュー・シルミチュー(本島では「アマミキヨ(女)」「シネリキヨ(男)」と表現されることが多い)。
彼女らの墓にやってきた。沖縄で有名な聖地・パワースポットだ。御朱印はもらえない・・・






その住んだ場所と言われている。



聖地を離れ、隣の島「平安座島」の漁協直売の店で昼飯。オリオンが沁みた!



見事においしい「海鮮丼」!




北谷へ向かう途中「巨大な嘉手納基地」を見ておこうと、道の駅の展望台・総面積は、約19.95平方キロメートル。3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。また、在日空軍最大の基地である。滑走路においては成田国際空港(4,000mと2,500mの2本)や関西国際空港(3,500mと4,000mの2本)と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということになる。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。ここを再開発したら、莫大な経済効果だろう。返せよ!!!




いよいよ2日のテーマの最後・・・爆買い?
おしゃれな買い物に、米軍基地の一部返還で、再開発され、お客でにぎわい、驚くべき経済効果を生んだ町、北谷(ちゃたん)にやってきた。
いくつかの店をベーベー達に紹介して、今や世界的に有名になった版画家の名嘉ボクネンさんの美術館で鑑賞・・そののち自由時間にした。
僕はハブボックスで、ポロユシを購入。ますえちゃんもあつこも、Tシャツやらかりゆしなど購入していた。



ここの最後はいつも無料の足湯!



4時過ぎにはホテル、荷物を置いて、市場にお土産の買い出しに出かけた。あつこ・・・かなりの爆買い!

そして、1時間のこれまた自由時間の後、夜の那覇に繰り出した。

まずはここ・・・・



乾杯!



今日はA級グルメ・・・・「豚のこめかみ肉のワイン煮」・・・パンに乗せてたべる。



普段食べられない部位の串焼きなど堪能する。



2軒目は大寿司・・・・最近お気に入り。



乾杯!

沖縄は寿司屋はいくらでもあるが、本土出身者が多い。ここは、沖縄の大将で、島ならでは寿司が食える。ホテルに近いのもお気に入り。




刺身とあぐー豚。クブシミーやミーバイの絶品の握りも食ったが、写真を忘れた~



そして3軒目・・・やはりせいぼーには挨拶ってんで、タンパラヤ!



乾杯!




沖縄そばや焼きそばも食ったが、写真は、ミネさんが見事にはまっている「てびちー」!!!!!!!!

こうして、2日目も暮れていったのだ・・・

旅に出る前、フェースブック仲間から「旅の恥はかきすて」」なさいませぬよう・・」と言われていたが・・・・

*******

妨害電波が入って、その話は、僕の記憶にだけとどめ・・次回に生かすか?
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ロストベーベーと行く秋の沖縄・その1・・・ひめゆりの道。

2018-11-23 05:05:14 | 旅は続く


行きはわくわくの心境。羽田でのおさしん。
今回は「まるっきりガイドツアー」なので、しかも、若いころ1度観光したベーベーと、初めてのベーベーなので、「島を好きになってほしくて」やや緊張で有った。

俺は、皆行ったことのある場所でも、島の空気が吸えればそれでOKなのだ。




8:50フライト、11:35着・・ほぼ定刻について、いつもお世話になる「砂川タクシー」でまずは昼飯!守礼そばのそばは美味かった!

この日のテーマは大きく2つ。

⓵ひめゆりのたどった道を追体験。
⓶そして、マスエの叔父さんの名が刻まれた「平和の礎」(へいわのいしじ)で、刻印を確認する。この事実を計画段階で聞かされ、1つ外し、このテーマに差し替えた。

だった。

午後からの5時間ほどで、かなりの場所を回るので、時系列的に追わず、一筆書きのように回ることで、テーマを追った。



ひめゆりたちの学び舎「沖縄師範女子部」と「沖縄第一高女」の有った場所を訪ねる。那覇の中心部、国際通りから近くの安里にある。今は大道小学校などの敷地。



彼女たちが、首里決戦の後方支援のために最初に召集された「南風原陸軍病院豪20号」を訪ねる。
事前予約を行い、ガイドさんが付いて、30ほどあった壕のうち、発掘・復元可能だった20号の中に入る。



やがて、首里は陥落し、戦線は南部に敗走・・・それに合わせて病院も分散・移動し、夜の闇の中数十キロの移動だった。
動けない患者は、青酸カリが配られる・・・




途中、分散した1つ「糸数壕(アブチラガマ)」は車中で場所だけ確認し、糸満の第一外科壕に行った。
「ひめゆり平和祈念資料館」は第二外科壕を抱くように建てられているが、ある意味有名どころなので、僕のガイドツアー以外でまた機会もあろうと、あえて、畑の中に突然ぽかんと口を開け、そして、ほとんど観光客はやってこないこの壕を選んだ。その分ここは当時の面影が感じられるのだ。



6月18日軍の解散命令以降、分散して従事していたひめゆりたちは、自力での脱出をしなければならなくなり、南部沖縄の原野を彷徨わなければならなかった。
最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決している。
その荒崎海岸は、僕の「ひめゆり」では外すことのできない場所だ。





ここでは、連れて来た誰もが、無口になり、立ち尽くす・・・



琉球石灰岩でもかなり古い石灰岩で出来ている海岸線・・・その石は、鋭利で硬く、クッション性の良い靴でも、鋭さを感じるのだが、ここを着の身着のまま、はたして靴は履いていたか?
などと考えると、逃げた彼女たちの痛みが少しでもわかる気がするのだった。




第二テーマ・・・・刻銘されている人数は24万1,525人(2018年6月1日現在)・・その中から、ますえの叔父さんを見つけるのだ。



あった!

何度も礎には来ているが、ごく身近な者の縁者を確認した今回の旅は、平和の礎を初めて、モニュメントでない「生身」の物と感じられた気がした。


小金沢辰五郎さん・・・・僕は認知症になって、何もかも忘れるまで、忘れることのない名前になった。



こうして「沖縄戦」をメインにした旅は終わった。途中琉球ガラスという、お土産として上位の物が作られている工房を見学し、購入。



少しホテルから遠い場所で砂川さんと別れ、市場など散策しながらホテルに向かう。
こちらも沖縄と言えば「やちむん」(焼き物の意)・・金城窯の皿など彼女たちは購入していた。僕はいつもの店で「ドライフルーツ」!ミネさんは奮発して「かりゆし」を購入した。



ホテルにチェックインし、しばしまったりやら、シャワーなど浴びて、夜の那覇に繰り出した。
初日は「沖縄B級グルメ」なのだ・・・翌日はちょいとしゃれた店・・・

乾杯なのだ!!




そう・・・コマネチで串揚げなんぞ食いながら、楽しい夜は始まったのだった。



タンパラヤ・・・セイボーの店は、かなり珍しく「満席」だったので、竜宮通りの「小桜」に向かった。



乾杯!





スルルーや島ラッキョウ・ミソピーなどつまみながら、ほろ酔いになってホテルに戻った。

こうして1日目は暮れていったのだった。



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一昨日の弁当・・・昨日の弁当。

2018-11-22 05:08:53 | グルメだ!
関東は寒いねぇ・・・・

もうね・・・島に戻りたい!

たくらみ中!




ひさびさだらうか?

が・・・・




中味はあいかわらずである。

大好きな、ちくわを煮たの・朝飯の残りの鮭・購入品のたくあんだ。

シャケってさ、見た目は旨そうだが、極旨もあれば、ぱさぱさで美味しく無いのもある。
色々あっても、紅鮭そして、大辛、、粘るような大辛が好き。いいんです塩分!しばらく前北海道からもらった大辛が旨かった。あれ以来、あれを超えるのにまだ巡り合っていないのだった。





晩の残りの筑前煮、そして、ボロニアソーセージと野菜を炒めたやつ!

白菜の漬物が、いよいよ美味しい季節になったぜ!

白菜の産地・・出荷額を見れば茨城がダントツだが、群馬、、とりわけ館林周辺も一大産地だった。今は時々3位に顔を出す程度だが、ベストテンには入っている。
そんなこんなで、直売には必ず並んでいるし、冬になると、地場の漬物屋さんが、浅く漬けて、バケツなどで売っているのだ。
それが美味しいので、最近は自分で漬けるのはやめたぜ。

わしゃ、白菜の漬物だけで、酒が飲めるのね。
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そういえば・・・16日・島へ出発前のお仕事。

2018-11-21 05:06:05 | 僕の菜園



今年の食用菊は、場所が良かったか?みごとな豊作!




最盛期だったので、冷凍保存のブツを作るべく、バケツで収穫し、茹でて冷凍した。
これで、来年春辺りまで楽しめる。

三杯酢が大好きなんだが、食用菊は案外好き嫌いのはっきりする食材と昨年知った。

あの、何でも食いそうな海坊主も、苦手部類だった。

さて、皆さん!!!あなたは、食用菊は食べますか?はたまた、食うもんじゃない部類ですか?




最後の、小ぶりのサツマイモ(正確には琉球が中国から導入し栽培していたが、薩摩が侵略して国も奪い、芋も持って行き、名前も奪い薩摩芋となった)を乾燥芋にした。




ゴボウ初収穫・・・・・素人のような(まったく素人だが・・)不細工な姿だが食うには支障はない。

あのペリーの時、日本人は、ブラックペーパー(海苔)と木の根っこ(ゴボウ)を食っていると本国に伝えられた物だが・・・




今春、種を取った「スイートピー」を蒔いた。キラちゃんからもらった手を使用。




トイレの電灯のスイッチのバネがヘタって、機能しなくなった・・・・




ホームセンターで、300円弱出費して、スイッチ部分を購入し、直した・・・・

こうして、後顧の憂いなく、島に行ったのだった・・・・
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