続いて、仁和寺。
BS番組のプロファイラーで、V6の岡田君が映画に関連して訪れていました。
また、戊辰戦争について、15分の講談師のお話と当時の戦闘の様子を描いた絵巻が見れる特別展があったので、初めて中に入りました。
徳川義信率いる旧幕府軍を、仁和寺宮嘉彰親王が朝命を受け官軍となった新政府軍を率いて、旧幕府軍を大阪まで後退させ、ついには徳川義信が江戸へ退却するに至る働きを見せました。
江戸から明治への転換期に、大いにゆかりのある寺です。
以下、ウィキ引用。
新政府軍は武器では旧幕府軍と大差なく、逆に旧幕府軍の方が最新型小銃などを装備していたが、初日は緒戦の混乱および指揮戦略の不備などにより旧幕府軍が苦戦した。また、新政府が危惧していた旧幕府軍による近江方面からの京都侵攻もなかった。翌1月4日も旧幕府軍の淀方向への後退が続き、同日、仁和寺宮嘉彰親王を征討大将軍と為し錦旗・節刀を与え出馬する朝命が下った。薩長軍は正式に官軍とされ、以後土佐藩も錦旗を賜って官軍に任ぜられた。逆に旧幕府勢力は賊軍と認知されるに及び、佐幕派諸藩は大いに動揺した。こういった背景により5日、藩主である老中・稲葉正邦の留守を守っていた淀藩は賊軍となった旧幕府軍の入城を受け入れず、旧幕府軍は淀城下町に放火しさらに八幡方向へ後退した。6日、旧幕府軍は八幡・山崎で新政府軍を迎え撃ったが、山崎の砲台に駐屯していた津藩が旧幕府軍への砲撃を始めた。旧幕府軍は山崎以東の京坂地域から敗北撤退し大坂に戻った。
この時点では未だに総兵力で旧幕府軍が上回っていたが、6日夜、慶喜は自軍を捨てて大坂城から少数の側近を連れ海路で江戸へ退却した。慶喜の退却により旧幕府軍は戦争目的を喪失し、各藩は戦いを停止して兵を帰した。また戦力の一部は江戸方面へと撤退した。
可愛らしいおみくじです。
歌会の再現? ググッてみてもわからなかったのですが、しずしずと音を立てずに進行していました。
当時はマスクはなかったけど、ちゃんとマスクで参加する人も。
マスクして逆に目立つという、久々の風景。
無料で入れる場所も広いですが、内部の庭園も相当広い。
最後はバスで京阪三条へ。渋滞の中、京都市役所から四条経由で三条に行くので、京都市役所でおりて三条へ歩いたほうが早いと運転手からアドバイス。それに従いました。
桜と紅葉の時期だけですが・・。とのこと。
ま、その頃しか来ないけど。
一人で居酒屋も考えたけど、1時間近く待つ必要があったので、おとなしく帰りました。
2日連続、がっつり京都のてくてくでした。