請川から熊野本宮まで、あと40分、熊野古道は続いてますが、車でぴょーん。
自分の足で、山から街、街から本宮に入って行くと、じわじわと感動したかもしれませんが、
山しかない環境から、本宮にワープしたので、体感的につながっておりません。
時間に余裕がある方は、熊野本宮に車を置いて、本宮に帰ってくることをお勧めします。
最初はそのプランだったのですが、バスの時間を逆算すると、大阪4時なんでパスしました。
逆にそんなに山中を歩きたくないという人は、本宮に車を停めて、十数分だけバスで請川に移動して40分だけ歩くのもいいかも。
熊野本宮、明治22年の水害のため、高台に移っています。
ワールドカップの日本のユニホームでおなじみの、八咫烏。
古くからある八咫烏のシンボルを探しましたが、最近の新しいものしかなく、ちょっと残念。
御朱印を頂きました。
参拝道につきものの階段。
ハイキング程度とはいえ、13km程歩いた後、登りはいいけど下りはね・・。
私、ご当地ソフトは食べる人。
ミルクソフト。この辺に牧場あったっけ?
明治22年の水害の前は、熊野川の中州に本宮はありましたが、今は新しい鳥居のみとなっています。
明治22年の水害前の熊野本宮。
2011年にも大きな水害があり、泊まったことのある温泉宿が被害に会ったりして、
この辺は、毎年、台風が直撃したら大きな被害が出そうなイメージが定着していました。
そのイメージでここに降り立つと、なんでこんなところに作ったん?という疑問。
中洲に熊野大社本宮が建立されてから明治22年まで、無事だった期間がいくらあったのかが次に知りたくなった。
以下、ウィキペディアを引用。
1871年(明治4年)に熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)として国幣中社に列格し、1915年に官幣大社に昇格した。
現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州にあった。明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている[1]。
熊野坐神社として、はじまりを調べると851年。
851年から1889年の災害まで、別の場所に移すことを考えないほど、水害がなかったのか、建物が被害にあっても同じところに作り直したのかは不明。
土地はいくらでもあったので、たぶん、1000年ほどの間、水害らしい水害はなかったが正解かと思います。
ここにも新しい八咫烏。
古い八咫烏は見つからず。
昔の堤防の名残。奥が新しい堤防。ここは下流側ですが、新堤防は途中で止まっています。
右側に新しい堤防。
下流側に堤防はなく、開いてます。
今は鳥居しかないので、頑張る必要はないし、水害の後、池になっちゃうし。
ってところでしょうか。
昔の熊野大社の石垣。
まだ時間があるので、湯峰温泉へゴー。
世界遺産の「つぼ湯」の待ち時間2時間半とのこと。
公共の源泉に入りましたが、熱くて少ししか入れず、すぐに出る。
最初から加水の一般風呂に入ればよかった・・。
源泉ありがたがりあるあるでした。
つぼ湯は単体ではなく、熊野古道の一部としての世界遺産。
温泉も楽しんでの世界遺産に納得であります。
ようやく宿。
西日本一でっかい露天風呂が自慢の「わたらせ温泉」です。
好きな温度の場所でじっくり汗をかけるので、自分的にはここがいいかも。
よく、ネットの検索で、お勧めでつぼ湯が出てきますが、宿泊でもしない限り2時間半は待てないし、朝6時でも宿泊客が殺到するので、
待ち時間はいっしょとのこと。
待っている人がいると長湯できないし、温泉来て、せわしないのは温泉ではないのです。
宿は少し高めでしたが、料理はがっちり豪華で損した気分はありません。
安さにこだわって、飯がしょぼいと後で思うぐらいなら、多少散財するほうが良いのであります。
昼飯1コイン以下なんで、罰は当たらない。
次々でる料理の優しい味付けと、生ビール。ひたすら吸収でありました。