シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
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熊野本宮をてくてく

2019年03月21日 | 散策

請川から熊野本宮まで、あと40分、熊野古道は続いてますが、車でぴょーん。

自分の足で、山から街、街から本宮に入って行くと、じわじわと感動したかもしれませんが、

山しかない環境から、本宮にワープしたので、体感的につながっておりません。

時間に余裕がある方は、熊野本宮に車を置いて、本宮に帰ってくることをお勧めします。

最初はそのプランだったのですが、バスの時間を逆算すると、大阪4時なんでパスしました。

逆にそんなに山中を歩きたくないという人は、本宮に車を停めて、十数分だけバスで請川に移動して40分だけ歩くのもいいかも。

熊野本宮、明治22年の水害のため、高台に移っています。

ワールドカップの日本のユニホームでおなじみの、八咫烏。

古くからある八咫烏のシンボルを探しましたが、最近の新しいものしかなく、ちょっと残念。

御朱印を頂きました。

参拝道につきものの階段。

ハイキング程度とはいえ、13km程歩いた後、登りはいいけど下りはね・・。

私、ご当地ソフトは食べる人。

ミルクソフト。この辺に牧場あったっけ?

明治22年の水害の前は、熊野川の中州に本宮はありましたが、今は新しい鳥居のみとなっています。

明治22年の水害前の熊野本宮。

2011年にも大きな水害があり、泊まったことのある温泉宿が被害に会ったりして、

この辺は、毎年、台風が直撃したら大きな被害が出そうなイメージが定着していました。

そのイメージでここに降り立つと、なんでこんなところに作ったん?という疑問。

中洲に熊野大社本宮が建立されてから明治22年まで、無事だった期間がいくらあったのかが次に知りたくなった。

 

以下、ウィキペディアを引用。

1871年明治4年)に熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)として国幣中社に列格し、1915年官幣大社に昇格した。

現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで社地は熊野川中州にあった。明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている[1]

 

熊野坐神社として、はじまりを調べると851年。

851年から1889年の災害まで、別の場所に移すことを考えないほど、水害がなかったのか、建物が被害にあっても同じところに作り直したのかは不明。

土地はいくらでもあったので、たぶん、1000年ほどの間、水害らしい水害はなかったが正解かと思います。

ここにも新しい八咫烏。

古い八咫烏は見つからず。

昔の堤防の名残。奥が新しい堤防。ここは下流側ですが、新堤防は途中で止まっています。

右側に新しい堤防。

下流側に堤防はなく、開いてます。

今は鳥居しかないので、頑張る必要はないし、水害の後、池になっちゃうし。

ってところでしょうか。

昔の熊野大社の石垣。

まだ時間があるので、湯峰温泉へゴー。

世界遺産の「つぼ湯」の待ち時間2時間半とのこと。

公共の源泉に入りましたが、熱くて少ししか入れず、すぐに出る。

最初から加水の一般風呂に入ればよかった・・。

源泉ありがたがりあるあるでした。

つぼ湯は単体ではなく、熊野古道の一部としての世界遺産。

温泉も楽しんでの世界遺産に納得であります。

ようやく宿。

西日本一でっかい露天風呂が自慢の「わたらせ温泉」です。

好きな温度の場所でじっくり汗をかけるので、自分的にはここがいいかも。

よく、ネットの検索で、お勧めでつぼ湯が出てきますが、宿泊でもしない限り2時間半は待てないし、朝6時でも宿泊客が殺到するので、

待ち時間はいっしょとのこと。

待っている人がいると長湯できないし、温泉来て、せわしないのは温泉ではないのです。

宿は少し高めでしたが、料理はがっちり豪華で損した気分はありません。

安さにこだわって、飯がしょぼいと後で思うぐらいなら、多少散財するほうが良いのであります。

昼飯1コイン以下なんで、罰は当たらない。

次々でる料理の優しい味付けと、生ビール。ひたすら吸収でありました。


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