日曜日、てんきとくらすで奈良の奥は午後から雨かも・・。
で、京都の京セラ美術館のポンペイ展と平安神宮の菖蒲のハシゴ。
10時、三条駅から歩いて美術館へ。
朝は晴れてたが、なんかどんより。
西暦79年10月24日。ヴェスヴィオ山噴火で火砕流発生。
逃げることもできずに、ポンペイが埋没。
イタリアのナポリの目と鼻の先?
空洞に石膏を流すと、焼失した人の形が超リアルに取り出せる。
富士の樹林帯も溶岩で木が消失してボッカリ危ない穴が開いてるのと同じ理屈でしょうか。
細かい、金属の部品みたいなものが半分溶けかかってくっついてる。
なんだぁ? 西暦79年にこんなのあったのか?
なんと、噴火の79年から140年後、ようやく日本は古墳時代でヤマト王朝。
この後の展示物はすべて、このカルチャーショックを引きずって見ることになります。
商売が成功した人は女性でも、公共建築物を提供したり、テルマエロマエの公共浴場、
上水道のインフラ整備が進んでました。
日本では、古墳時代であります。銅鐸は何のため?と謎だらけですが、ポンペイは現代に相当近く、わからんものなどありません。要るもの。今もあるものだらけ。車と家電がないだけと言っても良い。
ちょっと古い日本の上水道施設には、以下の写真よりボロくて現役のものはいくらでもある。
ブロンズ像、石像は、寸法をほぼ誤差なくコピーできる技術が発達しており、中流階級でも像や壁画を普通に家の中に飾っていました。日常の生活以上にプラスアルファの散財をし、日々の色どりを添えることが中流階級でもあったのです。
私は、自ら像や壁画にお金を出して家に飾ったことはありません。
せいぜい、テレビの前に各地の水族館のガチャガチャの景品を置くぐらい。
それも、たまの掃除の邪魔だと、空き缶に詰められてしまいました。
生活が安定すると、熱くなるイベントが必要になる。
劇場や円形闘技場がありました。闘技場は2万人で人口以上の規模。
あちこちから見に来たということです。
装飾品も、デザインなど今のものとしても売ってそうです。
埋没しなければ、次々と人にわたり、国を渡り、何度も溶かされて違う形になり、今頃、日本の金ブームに乗った人の手元にあったりして。
南アメリカであった、クンタキンテの「ルーツ」では、奴隷の子はずっと奴隷でしたが、
ポンペイでは、奴隷の子は奴隷でありません。市民権もあり。
女性も豪商になったりしてました。
実力主義。当時も格差は大きいけど、それは特に社会問題ではなかった。
日本での同じ仕事をする社員と派遣の格差は問題視されても良いが、誰でも最低限度の生活保証があるべきと主張されると、ちょっと違うような気がする。
働かざる者、食うべからずは、やっぱり必要だと思う。
奴隷用の拘束具。片足だけはめて寝る?
仕事中は、何かの映画みたいに鎖とかでわざわざ繋げてないのかな。
生産効率が著しく落ちるのは良いのかな。
ほぼ、今と変わらない様々な職と生活がありました。
水道はすでにある。燃料の牧はある。電気とガス、家電とスマホがないだけ。
日本では、古墳といまだ用途がはっきり判らない銅鐸の時代にです。
ワイン入れです。
フライパンもただの道具ではなく、装飾それています。
炭になったパン。テイクアウトでにぎわっていたとか。
一般庶民には台所はなく、台湾の屋台みたいに、ほぼテイクアウトだったみたいです。
となると、仕事をし、お金を稼ぐという日常が常にあったということです。
日本では、何かわからん銅鐸、竪穴式住居の時代にです。くどいですが。
医者もいました。
祈祷師やシャーマンやらでなく、西洋医学。
薬や探り針などの医者の七つ道具。
膣鏡。これを使う医療っていったい何なんでしょうか。
解説ないけど、家畜用か。相当大きいです。
グラム単位ではかれそうな天秤。
原理的にはシンプルで、今でも全く使えます。
これ、玄関前の床にモザイクで作った、猛犬注意。
卵の殻で小学校の美術の時間に作ったあれです。
元々色の違う石などの小片で作っているので、火砕流に埋もれても、そのまま出てくるようです。
地中海の魚介類。美食の数々。
財を成した人が、パーティーでふるまうようなこともあったようです。
成功して、ふるまって更に人気を得て、更に商売が回る。
自由であることが大きく効いているようです。
世襲制でない世の中。
アッピア上水道の5柱の女神。
インフラ施設に守護する神が付いている。
日本のインフラは、神を信じなくなってからの工業の産物。
ポンペイのように、神で何かを守護する発想とインフラ整備が同時進行で進んだからこそ、こういうものが生まれるのでしょう。
日本は災害でインフラがやられまくっているので、そろそろインフラ施設に守護神つけても良いんでないの。
効くかもよ。
顔は女性っぽいですが、ついてます。
穿いてませんけど。
お土産に炭パンクッキーがありました。
買ってませんけど。
悲劇に会った町を見に来たはずですが、ひたすら、カルチャーショック。
電気と家電がないだけと言って良いぐらいの生活が、2022-79=1943年前のポンペイにありました。
ちなみに明治維新は、1868年~ 1889年。
日本の自由な実力主義的な生活は、2022-1889=133年前に始まったばかりです。