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熊野速玉大社、神倉神社、那智の滝をてくてく

2019年03月23日 | 散策

2日目は、雨の合間を縫ってどうするか。

予定では熊野川の川下りでしたが、1時間半も屋根なしの船はつらいし、川面の綺麗さも晴れの下でこそと思うので、

車ですが、熊野三山をコンプリートしようとのこと。

まずは昨日に続いて2カ所目、熊野速玉大社。

以下、ウィキペディア引用。

熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社の3つの神社の総称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。熊野権現も参照のこと。

2004年7月に、ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。

 

熊野三山って何?

ていう漠然とした疑問については、熊野速玉大社のホームページが分かりやすいので、以下、引用しました。

熊野信仰の起こり

私達の祖先は、一体いつの頃から「神」の存在を感じたのでしょう?古代の人々にとって、生命の保証のない大自然の中で生きていくことは、想像を絶するほど過酷であったと思われます。自然は、言葉で言い尽くせない驚異、感動、苦しみ、そして恵みを私達に与えます。
人間の生活を、また自らをも破壊してゆく自然の猛威、一方で暖かい光と豊饒の恵みをもたらす生命の泉としての存在・・・大自然の脅威と恵みは、古代人の心に「恐れ」と、気高く聖なるものへの「畏れ」を生み出していきます。
その中で私達の祖先は、自然をも超越した完全無欠の神を望まず、大自然の中にこそ存在し、災害も恵みも合わせ与える厳しくも温かい神を望みました。
熊野には、自然が作り上げた神聖な場所がいくつも残っていて、そのような特別の場所に、熊野三山の神々は降り立ちました。


災害も恵みも合わせ与える神。

自然そのものとも言えるものが信仰の対象なんですね。

伐採による保水力低下が原因で洪水が起こっても、その伐採した木で建った家に住んでるかもしれないし・・。

個人が大きく考えても、しょうがない。

 

いつものように、あれもこれも、上手くいきますようにと、恵みだけをお願いする。

ここに限らず、いつも10円程度の賽銭で、災いはなしで・・。

虫が良すぎる気もするけど、そもそも「神頼み」をしに参拝しているわけで、そこをなんとか・・。

熊野大社より、棟が多く、豪勢な感じ。

ほんとはすべてに参拝して賽銭を上げるそうなんですが、メインだけにしました。

ここでの御朱印は、近くの神倉神社もいっしょに書いてくれます。

続いて、神倉神社。

神様はまず、ここに降り立ったとのこと。

げっ、車で待ってるわ・・。

と、同僚に言いましたが、先に御朱印貰っちゃってるでしょう。と指摘される。

なんたら商法?と言いかけたけど、災いだけもたらされそうなので参拝することに。

両刀使いの神様って・・。

膝がやや痛いけど、斜め斜めにゆっくり上がる。

見えないけど、ここに神様がおられます。

昨日の熊野古道ではほぼなかった展望。

ちょっとの高度ですが、昨日が昨日なのでちょっとうれしい。

熊野灘に参拝道。人の営み。

ここは熊野灘。

南海トラフのど真ん中。

神様が与える災害と言えば、あれですか・・。

ってことで、以下、ウィキペディア引用。

 

南海トラフの地震の特徴と「地震像」[編集]

 
M9.1の最大規模の南海トラフ巨大地震の想定震源域(2013年、地震調査研究推進本部 地震調査委員会)

この南海トラフ巨大地震による被害については、超広域に
わたる巨大な津波、強い揺れに伴い、西日本を中心に、
東日本大震災を超える甚大な人的・物的被害が発生し、
我が国全体の国民生活・経済活動に極めて深刻な影響が生じる、

まさに国難とも言える巨大災害になるものと想定される。
中央防災会議、2012年[3]

南海トラフの地震は、約90 - 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生し、東海地震東南海地震南海地震震源域が毎回数時間から数年の期間をおいてあるいは時間を置かずに同時に3つの地震が連動していること(連動型地震)が定説だった。一方で、慶長地震は南海トラフを震源とすることに異論が出されており、南海トラフの地震は200年程度の間隔で発生すると考えるのが自然な姿であるという見解も存在する[4]

最も新しい昭和の地震は地震計による観測記録、それより古い地震は地質調査や文献資料からそれぞれ推定されており、今後も同じような間隔で発生すると推測されている。いずれもマグニチュードが8以上になるような巨大地震で、揺れや津波により大きな被害を出してきた。

 

この神社は落ちそうで落ちない岩で有名とのこと。

建物は何度も焼失しては再建しているとのこと。

カッコいい。

熊野大社は、1000年近く中洲にありましたが、それに比べると、こちらは90年から150年の超ハイピッチ。

地上120mのこの場所、それなりの意味がありそうです。

登りはいいけど、くだりはね・・。

ってことで、帰りは途中から女坂で降りました。

女坂も結構急なところもあるし、足元は水を含んだ粘土質で、余計に気を使いました。

やっぱり男も女も男坂をお勧めします。

続いて、浮島の森。

つくし誰の子、スギナの子。

お浸しで食ったのは小学生が最後でした。

泥炭で浮いている島に、様々な根腐れに強い木が威力争いしています。

昼飯は温泉の食堂で、マグロの角煮丼。

味付けバツグンでした。

最後は那智の滝。

最後の御朱印。

那智大社まで上がるかどうかってところで雨が強くなってきた。

もう、いいっしょ。

ってことで、那智と言えば、黒飴ソフト。

チョー甘ぇ。

帰り、荒れる太平洋をドライブ。

ヒラスズキを磯で狙うアングラーを見ましたが、ちょくちょく通うには遠いのですよ。

この年になると、うっ、寒。と言っておしまいでした。

印南サービスエリアであまおうソフトで口直し。

ここから、御礼に東大阪の自宅まで3時間、運転を代わる。

同僚の日産セレナの高速自動運転を試したかったのです。

50~114kmまで勝手に増減速をやってくれて、休日の和歌山の高速にはもってこいの技術でありました。

直線でもハンドルがじりじり左右に動いて、自動でやっていることを知らせてきます。

但し、白線のペイントが不明瞭な場所、トンネル、トンネルの前後など、白線をしっかり認識できないときは、自動ンドルはちょくちょくキャンセルになるし、紀ノ川当たりのきついカーブでは、追い切れずに自動ハンドルがキャンセルになります。

追い越し車線の真ん中のコンクリ―ト壁にかなり接近してから、やめまーす。ってなるので、居眠り運転すれば即事故。

いつもカーブの内側にいて、外側に大きく距離を開ける運転をする自分としては、カーブの外側の白線に近づきすぎては内側へ、近づきすぎては内側へ、自動でハンドルを切り足す挙句に、やめまーす。その時、コンクリート壁は既に目の前・・。

ちょっとまてや! と言うぐらいなら、きついカーブの内側にいるように、事前にハンドル操作してしまいます。

それでも、テレビの音を聞きながら、かなり楽に家まで帰れました。右足の仕事量って意外と全身の疲労に繋がってるんですね。

但し、こちょこちょ車線変更したり、前に詰めて割り込ませない運転をする人には全く無用で相反する技術であり、車の購入から間違っています。

ゆったりと構えて、バンバン割り込まれても、車が勝ってに下がるわな。帰る時間に大差ないわな。

って気持ちが大事です。

早く自分の新車で試したいけど、特に高速で行く用事ないなぁ。


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