米大統領選挙の混乱 <2>
民主主義を支えているのは、少数意見を尊重する(自由主義)ことと、多数決で決まったことに対し、「自らの意思」で従うことだと思います。
そこが、自らの意思ではなく「国家の意思(権力)」で従っている権威主義体制の国との違いでしょう。
世界の動き(変化)が、とてつもなく加速している現在、権威主義の国々の方が対応のスピードに勝っている部分があります。
それらの国々に対抗するために、民主主義国家でも権力集中が起こり独裁的傾向に拍車がかかっている気がします。(経済の停滞も一因でしょうが)
『自分の意思で意見を持ち、他人の意見も尊重する』『問題は話し合いで解決する』ということこそが民主主義の何事にも代えられない素晴らしいところではないか。
政策の実現のみを追うがために独裁色を高めることは、権威主義体制に近づいていくような恐怖を感じてしまいます。
その最たるものがトランプ氏の存在であり、目立たないところで日本の官邸がそれに追従している感があるのです。
アメリカでデモが頻発するのは、「デモをしていても食える」豊かさが一つの要因ではないか。
勿論格差社会から目を背けるわけではなし、職を失ってデモをするしかない人もいるだろうが・・・。
デモでの略奪はイデオロギーの違いがさせることではない。そして、貧困故に起こった「打ちこわし」的なものでもないと感じてしまう。
一種のストレス発散がその主たる原因ではないか。
乱暴な言い方をすれば、『貧困』のレベルが他国と異なっているのではないか。
ストレスの源は所得格差の広がりか。
所得格差の広がりは、新自由主義の限界を示すものではないか。
その不満を突くことが、トランプ氏のうまさであり、支持者の原動力になっているのではないか。
(当のトランプ氏は格差を生んでいる一部の富豪であるが、アメリカには「アメリカンドリーム」というものがあり、トランプ氏の豊かさは目標にこそなっても非難の対象にはなっていない)
民主主義を支えているのが多数決で決まったことに対し、「自らの意思」で従うことだとすれば、
新自由主義で謳われた『トリクルダウン効果』も、富裕層が「自らの意思」で貧困層に資本を投資することが行われなければ、経済は今後立ち行かなくなると云えないか。
ピケティも「21世紀の資本」で、『所得分配』の必要性を謳っています。
自分ファーストのトランプ氏の「悪あがき」こそが、所得格差を生んでいるアメリカの実態といえるかもしれません。
そんな時、「国家の意思(権力)」による経済の方が一見優れているように見えてしまう危険が生じるのでしょう。
バイデン氏はトランプ氏が言うように「社会主義者」ではないと思います。
しかし、トランプ氏に50%近くの票が入った現実は、バイデン氏の今後の政策に対しても無視できないものになっていると思うわけです。
またまた、まとまりのない文章になってる?(私の頭の中が整理されていない不安)
読みづらくて申し訳ない。
<おまけ>
州最高裁よりも連邦最高裁判所の判断が上?
選挙制度に対する州の判決が連邦裁判所の介入できる項目だとすれば、大統領選挙の投票方法も国で統一することができるのではないか・・・と思いました。
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