磯田道史氏の『 無私の日本人の中の「穀田屋十三郎」 』を読みました。
12月に観た『殿、利息でござる!』の元になった話しです。
「穀田屋十三郎」は『国恩記』という史料をもとにしているとか。
『国恩記』とは、江戸時代後期に仙台藩吉岡宿(現:宮城県黒川郡大和町吉岡)で行われた救済事業に関わる諸資料をまとめたもので、著者は龍泉院栄洲瑞芝(りゅうせんいんえいしゅうずいし)和尚とありました。
当時の吉岡宿は、「但木氏」の領地内であり仙台藩自体の直轄領ではなかった為に、仙台藩から助成金が給付されず、さらには傳馬(幕府の公用をこなすために宿駅で乗り継ぐ馬のこと)使役で疲弊していた。
そこで造り酒屋穀田屋十三郎が茶師菅原屋篤平治と組んで、仙台藩に1000両という金を貸し付け、その利子で宿場を救済しようと企て、奔走したということです。
物語を読み進めていくと、感動的なエピソードだけではなく、当時から役人は「事なかれ主義」で上を向いて事に当たっていることなどが知れました。
しかし、もっと驚いたのは、江戸時代合戦が本務の武士たちは民政にかかわらず、庄屋(肝煎)が国を下支えしていたという事実。
また、鋳銭御用(寛永通宝を鋳る)などといって商人に銭を作らせたこと。
など、時代劇だけでは解らない当時の社会の有り様が驚きの連続でした。
さらに、倫理道徳に於いて一般庶民の意識が高く、「体面」を重んじそれは一種の宗教に近かったことも初めて知りました。
そして、「味噌は味噌臭きがよく、武士は武士臭きがよし」という家康が好んだと云われることばに代表されるように、そこに生きる人たちは身分相応の振る舞いが求められ、江戸時代の上流者は「身分相応のことをしろ」と庶民から容赦のない突き上げにさらされていたとか・・・。
そのことが「恥の文化」に繋がっているように思えます。
私たちも、政に携わる者たちに「身分相応のことをしろ!」と言い続けなくてはいけません。
江戸時代を学ぶことで、今を知ることができるのではと感じました。
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