オリンピック開催は、やはり疑問が残ったと思う。
①開催時期の不自然さ・・・誰もが知る真夏の東京はスポーツイベントには適さない。
②コロナ禍での開催の是非1・・・ルールの下にフェアであるべきスポーツで予選が開催されない地域があったこと、参加したくてもできない地域があったこと、それ自体、オリンピック精神に反するのではなかったか。
③コロナ禍での開催の是非2・・・バブル方式などと云う有名無実の形式を盾にとってコロナ禍にもかかわらず、バブルの外側を無策のまま押し通した。
④コロナ禍での開催の是非3・・・オリンピックの閉幕後に、東京での感染拡大はピークを越えた。このことは、オリンピック開催と感染拡大の因果関係を表しているに他ならない(そのことは日本人がパラリンピックにそれほど興味がないということかもしれない)
⑤開催の目的がぶれていた・・・『復興五輪』というテーマに無理があった。
なぜ東日本大震災からの復興が「東京」だったのだろうか。
いつの間にか『コロナに打ち勝ったことの証』にすり替わった。
政権維持のプロパガンダに利用されていたことは、誰が見ても明白だった。
それらは、アスリートファーストとはほど遠い変遷であり、そのどれもが満足いく形まで達成できているとは思えないもになった。
アスリートの活躍そのものは、メダルの数などは度外視して、とても感動的なものでした。
アスリート自身が感じる感動には「五輪」というステージが大きいと云えるでしょうが、観戦する側が感じる感動は、国旗掲揚と国歌演奏以外通常の世界選手権の延長線上ではなかったか。
これはコロナ禍での開催というトゲが、感動に対してもTV観戦のそれのように少し冷めたものに変えてしまったことからくるものの気がする。
コロナに打ち勝ってはいない現実がそこにあったということでしょう。
オリンピックと世界選手権の違いはというと・・・
クーベルタン男爵のスピーチ
「オリンピックで最も重要なことは、勝つことではなく、参加したということである。これは人生において最も重要なことが、成功するかではなく、努力したということと同じである。本質的なことは勝ったかどうかではなく、よく闘ったどうかである」
クーベルタンの姪の息子のジョフロワ・ド・ナヴァセルは、
「誤解してはいけない。ただ参加することに意義があるのではなく、よく闘うことが大切だとピエールは言いたかったのだよ」と。
武器で相手と戦うのではなくはなく、ルールのあるスポーツで相手とともに自分とも闘うことなのでしょう。
オリンピック休戦なんてこともあります。
(2019年の第74回国連総会において、国際オリンピック委員会や外務省の協力のもと、186カ国が共同提案国となり、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会開催期間中のオリンピック休戦決議が採択された)
記憶に残るのが、
2000年シドニー大会競泳に出場した赤道ギニアのエリック・ムサンバニ氏の泳ぎです。
彼は、持ちタイムがオリンピック参加標準記録に達しておらず、各加盟国・地域に男女1人ずつ与えられる特別枠、ワイルドカードで出場した選手です。
ワイルドカードの3人のうち2人は「ヨーイ」の声で飛び込んでしまってフライングで失格。残ったムサンバニはひとりで泳ぐ羽目になりました。
まるでもがいているようなその泳ぎは印象的で、なんとかゴールにたどり着きました。
その記録1分52秒72は、優勝したオランダのピーター・ホーヘンバンドの記録48秒30から1分以上も遅い、オリンピック史上最も遅い記録でした。
それでも、会場を揺るがす拍手をうけて、ムサンバニには笑顔があふれて、「泳ぎきることが目標だったから、金メダルを獲ったようにうれしい」と胸を張りました。赤道ギニア新記録でもあったようです。

そして、教科書にも載った前回の東京オリンピックでは(私の記憶にはありませんでしたが)男子1万メートル『ゼッケン67』ラナトゥンゲ・カルナナンダ氏(セイロン(当時))。
彼は、残り3分間はたった1人で陽の落ちたトラックを走り続けました。
そんな彼に、国立競技場を埋めた観衆が声をあげて、はじめは冷やかし、やがてその声は大きなうねりになりました。
そして力を振り絞ったカルナナンダが最後のラストスパートでゴールしたとき、7万観衆からは優勝したミルズよりも、6位入賞した円谷よりも、さらに大きな拍手が起きました。
東京大会から7年後、最後まで走りぬいたヒーローは『ゼッケン67』として日本の教科書(光村図書出版の『小学新国語四年下』)に載ったのでした。

私の思うオリンピックは、相手に勝つことと同じように自分に勝った人たちに注目する大会です。
市川崑監督がフォーカスしたあの映像の人たちのようにです。
そんなことを「夏草や兵どもが夢の後」に感じました。