こちらに来て一年目に主に一緒に仕事をしたのは、韓国の学生でした。韓国語を研究対象言語に考えていた、ということが大きいのですが、同時に「ともかく大勢いる」ということもあります。そうして関わっていると、韓国人の留学生としてここにいることと、日本人留学生との違いを感ずることがしばしばありました。
日本に帰ったら、7月の2週目に韓国に行ってフィールドワークをやりますが、その準備のため、共同研究をしている韓国の学生二人と仕事をしていたときのことです。午前中から仕事を開始、12時近くになり、ちょっと席を外して戻ってきた彼らは「先輩がお昼を食べに行こうって言ってる。ごめんね。一時間で戻ってくるから。」と言う。で、「分かった、ここで続きをやってるよ」と送り出しました。「先輩の誘いだから、断りにくいんだ」とのこと。
授業の宿題やら何やら片付けながら待っていたのですが、ちっとも現れません。私もおなかが空いてきたし、冷房も効きすぎて寒いし、その日はW杯のアルゼンチンvs.コートジボワールという魅力的なカードがあったので、見たかった(そこまでに仕事は終わるだろうと思っていた)。3時近くなっても戻らないので「ここまで待てば許してくれるだろう」と思って、置手紙をして出ました。
彼らは後でずいぶん謝っていました。「予定したすぐ近くの食堂ではなく、初めて行く遠いところに連れて行ってくれたので、時間がかかった」のだそうです。先輩に連れて行ってもらって「仕事がある。一緒に仕事をしている同級生も待たせているので帰ります」とは言いにくいのでしょう。約束をして一緒に仕事を始めたのに、中座して3時間待たせるとは、日本人ならちょっと考えられない気もしますが、こういういい加減さと背中合わせの、彼らの大らかさのおかげで、研究主任である自分の仕事の遅さを大目に見てもらってきていることも、逆にある。幸い宿題が完全に終わって、多少分析の続きもして次の作業方針を彼らに残せたので、まあよしとしました。サッカーも見られたし(ここまで見た中でベスト!)。
それでも思うのは、このように「図書館で仕事をしていると、そこに誰かしら先輩がいて、その誘いがあると断りにくい」という状況は面倒そうだなあ、ということ。もちろん彼らはそういうネットワークの恩恵も受けている。例えば、この大学(I U Bloomington)には、彼女たち出身大学の学生の会(一大学単独の!)があって、彼女はそこのWebかなんかで募集をかけて、初年度のルームメイトを見つけたのだそうです。ここでわれわれの実験のパイロットテストが順調にこなせたのも、そういうネットワークのおかげ。
韓国人留学生の話では、韓国人社会ではある程度のレベルの職に就こうと思ったら留学による学位が当たり前とのこと。だから、多くの人が来るし、いろんなタイプの人が来る。そのせいでしょうか、彼らは「アメリカにいても韓国人社会の中で生きている」という感じがします。どこに行っても同国人に会う、同国人の目を気にしている、何をやっているかという情報も、すぐに回るらしい。一方、日本人同士の、とくに大学院生のつながりは概して薄いようで、そのせいか、私は自分が日本で出た大学の出身者は、今のところ一人も知りません。お互い関心度も低い。たまに会って「ああ、元気ですか? 何してるんです最近~」みたいな感じ。それは気楽でもあって、私はその距離感が嫌いでない。
一年間、日本人は教室に自分一人という状況でやってきましたが、留学してるんだし、そのほうが英語の勉強になるし、どうということはありません。日本人の先輩に助けてもらったこともいろいろとありましたが、できる限りは自力で生活を整えてきたつもりです。自国にいてもそれなりの職にありつけることの多い日本人で、わざわざこんなところまで来る人は、私のように「日本じゃないところに来たのにまた日本人コミュニティにがっちり組み込まれるのはうっとうしいし、つまんない」という傾向の人が多いかも(私はたんなるはぐれ者ですが)。
(でも、先日の引越しのときは、日本人お二人にたいへんお世話になりました。それに、日本語の実験では皆さんにお世話になってます。感謝!!!)
以上は、たんなる「違い」ですが、「困るな」と思うこともありました。先日、ある方のお宅でお昼を食べながらW杯を見よう、という集まりがありました。韓国の学生も二人来ていて、ビールまで出していただきました。酒に弱いし、あまり好きでない私は、乾杯だけ付き合ったのですが、一人の韓国人女性が「Kenji~なによ~、がっかりよ~」と強引に飲ませようとするのです(がっかり、って・・・)。「このあと実験がある」と言っても(本当でした)許してくれず、注がれるし、飲み干すまで許してくれませんでした。お酒を無理にでも進める文化は日本にもありますが、私は嫌い。「あなた方は、ここでも韓国人社会の中にいるのかも知れないが、ここはアメリカで、私は韓国人じゃないのですよ。」と言いたい。ここでも自分たちの社会・文化の中に生きるのは構いませんが、違う社会背景をもつ人のことは、尊重してほしい。この件に限らず、そのことを忘れがちな傾向が、なくもない気がします。
夏に韓国に行くことにもなるし、今後も自分のフィールドとするつもりですが、仲良くなりたければ、ぐでんぐでんになるまで飲め、という文化に付き合えといわれるのは勘弁してほしい。こういうような食い違いのせいで仕事に支障が出てくるのは避けたいので、なんとか、上手くやりたいものです。
写真は今日買ってきた、保存食料。一ヶ月離れるので、計画的に冷蔵庫の生ものは使い果たしました。これは8月に帰ってきたときの、当座の食べ物。一つは台湾のチキンラーメンもどき、$0.69。あとの二つが韓国のものです。日本でも売っている「辛ラーメン」が$0.79、チャジャンミョンが$1.19です。こんなものがこの安さで当たり前に手に入るのは、韓国人がたくさんいる恩恵です。
日本に帰ったら、7月の2週目に韓国に行ってフィールドワークをやりますが、その準備のため、共同研究をしている韓国の学生二人と仕事をしていたときのことです。午前中から仕事を開始、12時近くになり、ちょっと席を外して戻ってきた彼らは「先輩がお昼を食べに行こうって言ってる。ごめんね。一時間で戻ってくるから。」と言う。で、「分かった、ここで続きをやってるよ」と送り出しました。「先輩の誘いだから、断りにくいんだ」とのこと。
授業の宿題やら何やら片付けながら待っていたのですが、ちっとも現れません。私もおなかが空いてきたし、冷房も効きすぎて寒いし、その日はW杯のアルゼンチンvs.コートジボワールという魅力的なカードがあったので、見たかった(そこまでに仕事は終わるだろうと思っていた)。3時近くなっても戻らないので「ここまで待てば許してくれるだろう」と思って、置手紙をして出ました。
彼らは後でずいぶん謝っていました。「予定したすぐ近くの食堂ではなく、初めて行く遠いところに連れて行ってくれたので、時間がかかった」のだそうです。先輩に連れて行ってもらって「仕事がある。一緒に仕事をしている同級生も待たせているので帰ります」とは言いにくいのでしょう。約束をして一緒に仕事を始めたのに、中座して3時間待たせるとは、日本人ならちょっと考えられない気もしますが、こういういい加減さと背中合わせの、彼らの大らかさのおかげで、研究主任である自分の仕事の遅さを大目に見てもらってきていることも、逆にある。幸い宿題が完全に終わって、多少分析の続きもして次の作業方針を彼らに残せたので、まあよしとしました。サッカーも見られたし(ここまで見た中でベスト!)。
それでも思うのは、このように「図書館で仕事をしていると、そこに誰かしら先輩がいて、その誘いがあると断りにくい」という状況は面倒そうだなあ、ということ。もちろん彼らはそういうネットワークの恩恵も受けている。例えば、この大学(I U Bloomington)には、彼女たち出身大学の学生の会(一大学単独の!)があって、彼女はそこのWebかなんかで募集をかけて、初年度のルームメイトを見つけたのだそうです。ここでわれわれの実験のパイロットテストが順調にこなせたのも、そういうネットワークのおかげ。
韓国人留学生の話では、韓国人社会ではある程度のレベルの職に就こうと思ったら留学による学位が当たり前とのこと。だから、多くの人が来るし、いろんなタイプの人が来る。そのせいでしょうか、彼らは「アメリカにいても韓国人社会の中で生きている」という感じがします。どこに行っても同国人に会う、同国人の目を気にしている、何をやっているかという情報も、すぐに回るらしい。一方、日本人同士の、とくに大学院生のつながりは概して薄いようで、そのせいか、私は自分が日本で出た大学の出身者は、今のところ一人も知りません。お互い関心度も低い。たまに会って「ああ、元気ですか? 何してるんです最近~」みたいな感じ。それは気楽でもあって、私はその距離感が嫌いでない。
一年間、日本人は教室に自分一人という状況でやってきましたが、留学してるんだし、そのほうが英語の勉強になるし、どうということはありません。日本人の先輩に助けてもらったこともいろいろとありましたが、できる限りは自力で生活を整えてきたつもりです。自国にいてもそれなりの職にありつけることの多い日本人で、わざわざこんなところまで来る人は、私のように「日本じゃないところに来たのにまた日本人コミュニティにがっちり組み込まれるのはうっとうしいし、つまんない」という傾向の人が多いかも(私はたんなるはぐれ者ですが)。
(でも、先日の引越しのときは、日本人お二人にたいへんお世話になりました。それに、日本語の実験では皆さんにお世話になってます。感謝!!!)
以上は、たんなる「違い」ですが、「困るな」と思うこともありました。先日、ある方のお宅でお昼を食べながらW杯を見よう、という集まりがありました。韓国の学生も二人来ていて、ビールまで出していただきました。酒に弱いし、あまり好きでない私は、乾杯だけ付き合ったのですが、一人の韓国人女性が「Kenji~なによ~、がっかりよ~」と強引に飲ませようとするのです(がっかり、って・・・)。「このあと実験がある」と言っても(本当でした)許してくれず、注がれるし、飲み干すまで許してくれませんでした。お酒を無理にでも進める文化は日本にもありますが、私は嫌い。「あなた方は、ここでも韓国人社会の中にいるのかも知れないが、ここはアメリカで、私は韓国人じゃないのですよ。」と言いたい。ここでも自分たちの社会・文化の中に生きるのは構いませんが、違う社会背景をもつ人のことは、尊重してほしい。この件に限らず、そのことを忘れがちな傾向が、なくもない気がします。
夏に韓国に行くことにもなるし、今後も自分のフィールドとするつもりですが、仲良くなりたければ、ぐでんぐでんになるまで飲め、という文化に付き合えといわれるのは勘弁してほしい。こういうような食い違いのせいで仕事に支障が出てくるのは避けたいので、なんとか、上手くやりたいものです。
写真は今日買ってきた、保存食料。一ヶ月離れるので、計画的に冷蔵庫の生ものは使い果たしました。これは8月に帰ってきたときの、当座の食べ物。一つは台湾のチキンラーメンもどき、$0.69。あとの二つが韓国のものです。日本でも売っている「辛ラーメン」が$0.79、チャジャンミョンが$1.19です。こんなものがこの安さで当たり前に手に入るのは、韓国人がたくさんいる恩恵です。