時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

代表チームを「作る」

2010年05月12日 | サッカー
W杯南アフリカ大会に向けての代表チームが発表され、一部サッカーファンの間では話題になったよう。私はぱっと見て、ちょっと驚いたのですが、よく考えると、まあ、こんなもんなんだろう、という選考だったのではないかと。

あれこれとネット上の議論を眺めてみたのですが、戦術的な観点からこれこれの選手を選ぶべきだった、という意見が多かったようです。正当な議論の仕方にはちがいないんだけど、そこのところはもう、現監督が思い描けて、かつ使いこなせる戦術の範囲で決まってしまうものだろうから、しょうがない。

しかし、選ばれた顔ぶれとここまでの経緯を振り返ると、「なんと選択肢が狭まってしまったことか」と思います。「サプライズ」なんて言葉が使われるほど、「この期に及んで突然この選手が選ばれたらびっくり」という状況になっていたわけで。公式戦、親善試合を通じて、新たな選手が頭角を現し、それがチームの戦い方をじょじょに変え、中心選手は入れ替わり、気がつくと数年前とはかなり違うチームに.........ということはまるでなく、中心選手も戦い方もそのままで(最後には戦い方がぐらついてきたようですが)、その中心選手たちが力を落とした分だけ弱くなり、他国との相対的戦力差も開き、という現状を再確認させられます。宇都宮徹壱さんの記事(Sportsnavi)にあったとおり、4年前のジーコのチームがメンバーの若返りに失敗(ってかそんな気まるでなかった)していただけに、次の4年を担当する監督にはなおさらそれを求めたかったのですが。

トルシエさんが、2002年日韓W杯を2年後に控え、ユース準優勝組(~五輪代表)に切り替えたとき、彼らは現代表よりその時点では力が劣っていたでしょう。でも代表として使われ続けることで自覚を持ち、力を伸ばし、前世代では到達できないレベルに達し、全体として代表のスケールを一段大きくしたと考えます。そういう新陳代謝による「進化」を繰り返さない限り、チームの力が先細るのは、代表だろうと、クラブチームだろうと(またどのスポーツでも)、同じことでしょう。

もちろん、トルシエさんの思い切った世代交代は、自国開催で、予選に勝たなくていい状況だったからこそ可能だったことですが、2、3年先(2010年のこと)を見据えて伸びしろのある選手を見出し、現代表に守ってもらいながら鍛え、主力に押し上げる、ということができなかったものか(長友くらいでしょうか)。目先の状況への対応に精一杯で、新戦力を試すなどという余裕もない現監督の戦いぶりを見る限り、若い選手たちが情けなかった、競争に勝てなかっただけ、とは思えないのです。

こういう健康な新陳代謝のない澱んだ状況では、大きく伸びる可能性を秘めた選手たちが精神的に(よくわかりませんがひょっとしたら技量の上でも)スポイルされていくような気がしてなりません。それは、世界の強豪を目指すはずの日本サッカーにとって、取り返すのに何年もかかるほどの大変な損失であり、「とりあえず今回勝てば」なんてことで埋められるようなことではない、と思うのです。育成枠を設けろ、ということではありません。戦いつつ、新しい才能を導入し、「今回の戦力」として引っ張り上げられる手腕を持つ人でなきゃダメだろう、とくに日本のような発展途上のチームの監督には、ということです。

以上、選抜の最終発表を振り返って、あの監督選びはやはり、間違いなく失敗だった。今回のW杯の結果がどう出ようとも、そう結論付けられる、と思っています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿