山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
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旧中山道ウォーク本庄から高崎まで

2014年01月27日 | ウォーキング

 第5回旧中山道は本庄宿から高崎宿までを歩きました。本庄宿は中山道最大の宿場と言われたところで、今でも当時の面影を残す所が多く、一日見て歩くだけでも面白い町です。たとえば安養院。ここには小倉家の墓所があって、そこには有名な俳人の句碑など32基があります。つぶさに見て歩くと結構楽しめます。またこの寺の裏に「木食普寛上人」の墓と、上人を奉った神社があります。普寛上人は木曾御岳信仰の開祖と言われています。

 ローヤル洋菓子店にも寄ってみました。明治時代の赤レンガ造りの建物で、前身は本庄商業銀行の建物です。上の写真がその菓子店です。

 本庄宿から1時間足らずで神保原に着きました。神保原北信号の手前に浅間山古墳があり、上に登って古墳の中を覗いてきました。この古墳上の方が大分削られており、崩れないように土嚢で固めてありました。

 神流川(かんながわと読みます)の手前に常夜灯が立っています。本物ではありませんが、埼玉県側と群馬県側に立っています。これは昔橋がなかったころの道標として立てられたのでしょう。この神流川を境にして埼玉県とはさようならです。

 群馬県に入るとすぐに新町宿です。ここには史跡旅籠「高瀬屋」跡があって、文化2年小林一茶がこの宿場に宿を取ったとき、夜中に神流川の常夜灯を造るための寄付を求められ、あたふたしたシーンが日記に書き記してあります。また新町は現在東松山市で行われている、スリーデーマーチ発祥の地です。その碑が温井川(ぬくいがわ)の橋の袂にあります。ここで昼休みにしてお弁当を食べました。折から風が強くなり気温も下がってきて、30分ほどで腰を上げてしまいました。

 烏川に架かる柳瀬橋を渡ると倉賀野宿で、その入口に閻魔堂があり、そこが日光例幣使街道との別れ道で、立派な常夜灯と石の道標が立っています。倉賀野は江戸幕末の勘定奉行小栗上野介忠順ゆかりの地です。横須賀に近代的な大型艦船を建造するためのドッグを建設しました。それはいまでも使われているそうです。さらに室町時代の見事な板碑のある安楽寺に立ち寄るなどして、丁度午後3時に今回の目的地の高崎駅に着きました。

 一行七名。少々お年を召したお方ばかりですが、何とか無事歩き終えました。次回は3月30日で高崎から碓氷峠の手前、横川まで歩きます。参加は自由です。集合は高崎駅に午前8時半です。