山遊塾With You

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気の向くままに歩いています。

8月14日の台風明けに青梅街道3回目で青梅駅~奥多摩駅間を歩いて来ました。

2022年08月17日 | ウォーキング
 青梅駅を午前5時半にスタート。まだ完全に雨が上がった様子はなく、時折パーツと強い雨が降りかかる中を傘を差して歩きました。それでも炎天下を歩くことを考えると楽なものです。上の写真は青梅駅南口です。青梅街道はここからが面白くなるのです。2回目までは車の多い車道歩きであまり面白味のない区間でしたから。




 スタートして暫く行くと道はかぎ型に曲がり、その左手に熊野神社が現れました。ここは昔森下陣屋があった所です。


街道右手に七兵衛公園なるものが現れました。その入り口に年代不明の石塔が立っています。字も読めません。勉強不足で申し訳ありません


みやのひら駅を過ぎて多摩川が大きくV字に曲がる所に出て来たのが古刹明白院です。


 ひなたわだ駅で左に分かれ対岸を走る吉野街道へ行く神代橋があり、その分岐にあるのが青梅街道を通る人なら誰でも知っているへそまんじゅう総本舗です。






 石神社を見て旧道に入ると右の崖下に馬の水飲み場がありました。そしてその中にはメダカが沢山泳いでいました。誰かが飼っているのかも。




 石神前から二俣尾に至る旧道は(アオイ)通りとなっていました。私にはこの字が読めません。


 この道はふたまたお駅の先で終わっていました。ただし人が通れるだけの陸橋があり、それを利用して現在の青梅街道に出ることができました。写真はふたまたお駅です。






 軍畑駅手前に着きました。大きな立派な橋が多摩川を跨いでいます。軍畑大橋です。鎌倉街道の渡し場が橋の下にあったと言います。


 鎌倉街道と青梅街道が交差する手前に平溝川に架かる大正橋がありますが、車で通る際ほとんど気が付きません。橋の袂に橋の歴史とモルタルで歴代の橋が描かれています。大正橋は現在の青梅街道として使用されていますが、橋の欄干が時代を表しています。


 交差点からすぐのバス停の先に昔の石橋が連続して残っています。川井橋と読めます。ここには昔小さな川が2本あったようです。昭和初期に造られたもののようで、当時の青梅街道はこんなに狭い道だったのですね。この先で旧道は右の山側に分かれています。




 御岳駅のすぐ上、北側に慈恩院があって高水三山への登山口になっています。今しもトレラン姿の若者が三人登って行きました。


 通行止めの柵がなされた細い道は今は廃校になった古里中学校への道です。


 更に行くと右の崖の窪みに小さな六地蔵がありました。四つしか見えませんが後ろに二つあります。


 山に向かって登る狭い急な階段の先には川井八幡神社があるのです。


 古里駅に着きました。ここから現奥多摩街道も道幅が狭くなっきて、お盆の休日を使ったマイカーやバイクにヒヤヒヤしながら歩くのです。兎に角青梅街道は車の多いところです。そこで旧道に入るとホッとします。


 鳩の巣への途中にこんな立派な石塔群がありました。霊山信仰が盛んだったころの物でしょう。三つの霊山名が彫り込まれています。


 鳩の巣トンネルの脇を通って白丸ダムに立ち寄りました。立派な魚道を持つ観光ダムなので、見学の人たちが下の方に結構あるいていました。


 そして今回のコースのハイライトである数馬の切通しへ向かいました。狭い階段や桟道はあまり人が通らないらしく、草も茂り苔も生えて足元が悪く、せっかく探勝路として整備された道がもったいないと思いました。途中には小さな馬頭観音が崖にめり込むように置かれていました。


 途中の石垣にしっかりした案内板がありました。










 数馬の切通しは鳩の巣と氷川(現在の奥多摩駅)との間にあって、昔はこの間の通行には大きく山を越えて行く必要があっっため、ここの岩を人力で砕いて大変な苦労の末、道を造ったといいます。現在切通しを通り抜けてもその先は行き止まりになっています。






 その後は氷川トンネルを避けて旧道を奥多摩温泉もえぎの湯に向かって歩きました。もえぎの湯手前に日向の馬頭観音がありました。この観音様は文仁11年の年号が刻まれており、現在の位置よりずっと上にあったそうです。変わっているのは観音様の頭の上に馬の顔が乗っています。ここからは奥多摩駅までは10分ほどでした。もえぎの湯には沢山の車が停まっていました。駅到着は12時57分でした。やっぱり10時過ぎからはいつものように暑かったです。