山遊塾With You

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八十里越えと番屋山登山の第一日目です

2022年10月19日 | 登山
 ずっと以前から歩きたいと思っていた、八十里越えをやっと今回実現できました。司馬遼太郎の長岡藩士河井継之助について書かれた「峠」や、今年公開された役所広司主演同名の映画、それに只見線の11年ぶりの全線運行が10月1日から再開されたこともあって、膝が痛いの、腰が痛いのと言いながら、14日の内に小出駅まで行き翌朝一番の電車で長岡まで。何と言っても河井継之助は長岡の人だから、ここ長岡からバスを利用して栃尾まで行き、予約しておいたタクシーで八十里越えスタート地点になる吉ケ平に入りました。
 連れて行ってくれたタクシーの運転手が、まだ若い人で吉ケ平までは行ったことがないと言い、車一台がやっと通れる狭い山道を恐る恐る走ってくれましたが、まだ始まったばかりの紅葉を、鑑賞しながらの谷間の道は楽しいものでした。
吉ケ平は守門岳の北麓にあり、守門川最奥の集落のあった所で、現在はキャンプ場になっていて、2014年まであった小学校校舎跡には新しく吉ケ平山荘が建っていました。江戸から明治中期まで30数軒あったという村の面影は全く無く、小学校の門が残っているだけです。


 午前9時20分に山荘前を出発して、守門川に架かる樽井橋を渡り、緩やかな坂道を東に向かう途中の道脇に墓地があり、小さな墓石が並んでいました。どれもが字も読めないほど風化していて、こんな山奥でここの人たちはどんな暮らしをしていたのだろうかと、小さな墓石を見て暫く考え込みました。


 500mほど行ったところで道は二つに分かれて、分岐の石標には右に行くのが鞍掛峠、左は雨ケ池(本当は雨生ケ池・まおいがいけと言うそうです)と刻んであります。この標石は昔からあったものではなく、近年道が修復されたときに設置されたものでしょう。この標石は要所ごとにあって、このコースを歩く人にとっては大変有難いものだと思います。


 道は荷駄が通れるほどの広さがあり、それも緩い登坂なので歩くには楽ですが、足元は結構水っぽく靴もかなり水を含んでしまいました。また平坦な道も長い年月の間に崩落してしまった所や、小沢が道を横切る個所は必ず深くえぐれて通過に時間を食ったりしました。大きなブナの森を抜け、最初の水場で後ろを振り返ると番屋山がこちらを見下ろしていました。


 番屋山への分岐に小さな木ハシゴがあります。そこで今日の泊場の殿様清水までの時間を考えても、番屋山の往復は可能と見て登ってみました。


 大きなブナの幹に古い鉈目が沢山刻まれています。昔猟師や山仕事で入った人たちが残したものでしょう。


 山の斜面が崩落した後に新しく道が造られていました。両足がやっと乗るだけの狭い道です。


 番屋山には12時丁度に着きました。そこには雨生ケ池から登って来た5人の登山者がいて、反対側から登って来た私を見て驚いた表情をしていました。八十里越えを歩いている間に会ったのはこの5人だけでした。


 番屋山から北の方角に大谷ダムとひめさゆり湖が見えました。新八十里越えとでも言うべき、国道289号が近い将来あそこまで通じることになるわけです。


 番屋山で昼飯を食ってまた元の道に戻るのに20分かかり、登りも含め山頂の休憩も入れれば約1時間20分を余分に使ってしまいました。しかし高度が上がるに従いブナの黄葉も良くなり、それによってか元気も出て、荷の重さもあまり感じなくなりました。




 番屋乗越に着いたのが午後1時45分。標高872mの切通になっていて、ここで今まで尾根の西側を歩いて来たのが、東側に変わりました。


 このコースには白い肌のブナの大木が多く、道中目を楽しませてもらいました。


 このブナ沢への九十九折の下りは、黄葉の美しいブナの林になっていて、コース中で一番快適な部分でした。しかしブナ沢の流れを渡るには、危なっかしい丸木橋が待っていました。渡るとお助けロープに頼るガケ登りです。このロープに頼っての通過は数えきれないほどあります。


 そんな苦しい個所も通過すればハッとするような景観が現れてくるのです。兎に角この繰り返しがこのコースの特徴です。


 殿様清水の少し手前の空堀茶屋跡に着いた時が午後3時20分になっていました。目の前には烏帽子山の岩塔が聳えています。茶屋跡と言っても何もありません。昔はここに茶屋があったそうですが。


 殿様清水が近くなった道脇にブナの巨木が立っていて、その幹にはやはり沢山の鉈目がありました。


 午後3時50分に今日の宿泊予定地の殿様清水に着きました。途中番屋山に立ち寄って余分な時間を費やしたのに、到着予定時間に辿り着けたことでまず一安心。すぐにツェルトを張って体を休め、明日の長い道中に備えました。ツェルトで夜を明かすなど何十年ぶりだろう。夜半ツェルトの外に出てみると、雲一つない夜空に半月が輝いていました。物音ひとつしない山奥に一人居ても、別に寂しいとも思わなくなったのはやはり年のせいかな。