下町のパンを食べてみませんか?

千住、緑町ゆうやけ通り下町のパン屋パレット

今日画像2

2008-12-07 19:15:39 | 夢見るお年頃

 

 
天王さまもクリスマスを過ぎれば正月仕様になるはず。
南千住駅西側の線路近くに在る高名な鰻屋さんは開店前の
追い込みか煙と匂いが周囲に漂っていました。
中学校の頃も国技館が蔵前に在ったので相撲が始まると
太鼓の音とともに蒲焼の匂いがしていたような気がします。

 
日本堤周辺にはトリコロールの旗が沢山立っていました。
ハスは刈り取られましたがメダカは元気に暮してました。


水素スタンドなんてガス会社の敷地内に在ったんですね。

 


隅田川の対岸(足立区側)に在るドック。


荒川区汐入地区のマンション群の対岸には
元祖億ションのシテヌーブが在り現在は橋も架けられ
汐入に住む人達は橋を渡った京成線や東武線の
駅の方が南千住駅より近いような気がします。

  
20年前はひっそりとした地域でしたが電車の車庫や
コンテナ倉庫の広いスペースにマンション群が出現しました。

 
日向と日陰の差は晴れた日にははっきりとするんですんね。

 千住大橋をタチコギで越えると
隅田川中央から足立区に入ります。
夕方は車で西新井橋を千住に向かって越える時に
3時の方向にゆうやけを背にした富士山のシルエットが
くっきりと見えました。


宮元町中通りの餅搗き

2008-12-07 11:24:39 | 携帯更新
10時半を少し過ぎて行ってみるとテントには長い列。先々代の睦会長は既に数パックの餅を手にツキ手を囲んで囃していたので後ろから肩を抱いて「重そうだから持ってあげようか?」驚いた先生「オゥ!これには訳が…」と怯えた様子。現会長にアノ人誰だっけと先日のパーティー会場で見かけた先代会長の名を聞けば「Yさんだよ」Yさんのダンス歴は長く有名とのことでした。「ってぇ事はヤッテルの?」と意外そうに聞くので「教えよか?」って答えたら「滅相もない」ですって!Kちゃんに「帰るね」と挨拶したら「遅すぎたね」なんて言うもんだから「早過ぎたの!」と言うと彼は親切だから僕にイクツ取って置けばイイの?なんて言ってくれたんですが長い列で待つ人達見るとコネで割り込むような気がして申し訳なく「ありがとう」でも出かけるから来年また来るよと会場を後にしました。お天気いいから自転車で浅草に向かいます。大きな規模ではないけれど37年間続く餅搗きを伝え受け継ぐ人達に敬意を感じます。

宮元町中通りの「お餅」販売

2008-12-07 09:35:42 | 携帯更新
坂道をおりて行くとテントの周囲に人だかり。手前の焚火に見知った顔を見つけて販売時間を聞くと「10時半から…」朝会ったオヤジのガセにやられました。
宮元睦の会長もいたので焚火に当たりながらの世間話しで来年正月の神輿はウチのじゃないけど順番で寿町かな?なんて言ってました。Sさんも話しに加わって今年の祭の宵宮の日にコケて全身打撲したあの彼の顛末に…
行く時にママと散歩する特徴のあるモタちゃんに会ったんですが短毛の彼を触らせて貰ってコナを思い出しました。

スノトレ

2008-12-07 07:15:31 | 携帯更新
コンビニまで歩いて往復15分、先程行ってきました。玄関で靴を履く時にあまりの寒さに腰は引けヒザを突き出し身体も伸びずまるで早朝のロッジでハイバックのスキーブーツかスノトレでも履くようなカッコになり苦笑。街が明るくなり始める時間帯でしたが墨堤通りを東の郵便局側に渡った隣宮元町ではテントを張りイット缶で焚火をしながら「餅つき」の準備が始まっていました。販売は米が蒸し上がってからの9時過ぎになるとのことでした。緑町ゆうやけ通りで「餅つき」をやってたのは棚倉さんのGSがまだ在った頃でパレットの店内にも大きな樹脂の桶に「もち米」を一晩水に浸しておいたもんです。入れすぎると水を吸ったもち米が膨らんで床にこぼれるからと注意を受けましたっけ。僕は朝から昼近く迄店のバックヤードで一番大きな鍋を使って餅用のアンコを煮ていて杵を手にするのは一臼くらいのものでした。大根をおろす人達、納豆を掻き回す人達、黄な粉と砂糖を混ぜる人達、蒸す人達とツク人達、パックに餅を入れ計量する人達に販売する人達と…人達が今より沢山いましたっけ。
帰り道でお父さんと散歩してる白く大きなサム君が遠くに見えました。

足立区伝統工芸品展

2008-12-07 04:10:07 | 千住の紹介
足立区伝統工芸品展
12月11日木曜日・12日金曜日
足立区役所1Fロビー(地下駐車場あり)
開催されるそうです。

当ブログの勝手に特派員になっていただいている
坂巻氏も展示参加なさっているそうです。
メール発見が遅れて本日掲載となりました。
坂巻氏の本業?は銀器なんですが
先日僕が迷い着いた日本橋の三越前にある
「木屋」さんにも包丁だけでなく
氏がハンドメイドした名刺くらいの大きさだったか?
銀製のワサビ用オロシガネが販売されていると
以前聞いたことがあります。

昨日まで緑町ゆうやけ通り周辺は夜間水道管工事で断水でした。
午後11時を過ぎると断水で風呂は湯船のお湯で石鹸を流す
パターンです。小学生の頃に泊まった駅から離れたおばちゃんの家の
風呂は最初はドラム缶の中にスノコが浮いていたような気がします。
今は懐かしく思いますが当時は灯りの周辺に虫等も舞っていて
気になり夏休みにもかかわらず連泊せずに駅の近くの母の実家に
何泊もしていました。母の兄は徴兵され弟の面倒をみながら
男兄弟の中で母一人が女でしたが男勝りに頑張っていた娘を
父方の祖父が息子の嫁にと考えて戦後見合いをさせたと聞きました。
母方の祖父は旬が好きでメロンなんかも秋葉原に在った市場まで
近郊から電車で一人娘の母を連れて食べに行くような人で
堅実な父方祖父とは対照的だったような気がします。
母の嫁ぐ日が決まってから後に倒れたそうですが心残りも
あったろうと今の僕なら想像できますから・・・
僕も母方の祖父と同年代になったんですね。
祖父も母も早かったと思います。来年、僕は父と同じ歳になり
再来年、僕は父よりも年上になるつもりでいます。
父は来年生きていれば年男で
今年母は年女でした。

R君達はソファは天国で椅子で寝ることが多いと言っていましたが
寝起きはけっこう寒く感じるんじゃないかと思います。
今朝は断水もありませんからビバーク後に温泉気分で温まり
湯冷めせぬよう二度寝するかと思うだけで贅沢な気になれますから
すごく安上がりな男だと我乍ら感心。