ハロウィンの🎃お菓子をもらいに来た子どもらを迎える張り紙を、引き続き張っとくことにした。
かえって不気味かも?
いやいや、我らは お子ちゃま悪のり夫婦だから、ホントに子ども達を脅かしたんですよ(笑)
我が家は「ホーム・アローン」か、はたまた「番町皿屋敷」か?
ハロウィンの🎃お菓子をもらいに来た子どもらを迎える張り紙を、引き続き張っとくことにした。
かえって不気味かも?
いやいや、我らは お子ちゃま悪のり夫婦だから、ホントに子ども達を脅かしたんですよ(笑)
我が家は「ホーム・アローン」か、はたまた「番町皿屋敷」か?
トップの写真は、先日また「ばかでかおむすび🍙のテキトーお弁当」を持って、買い物がてら 畑道へサイクリングに行った時の様子デス
絶対に交通事故を起こしたくないし、遇いたくもない私です。
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昨日2024年6月11日の朝、 神奈川県平塚市と群馬県前橋市で自転車がらみの事故が起きましたよね。
平塚市の事故は、自転車が歩道から車道へいきなり下りて 同じ向きに走行中の路線バスと接触、自転車の運転者が重症。
(バスの乗客も車内で2~3人負傷。)
前橋市の事故は、どうやら自転車が逆走(狭い道を右側走行)して対向車の左側に衝突、自転車の運転者は死亡した。
(乗用車には子ども2人と母親が乗っていて、幼稚園かどこかへ送っていく途中だった。)
私も時々ひどい乗り方をする自転車を見かけて腹が立ちますが、かかりつけ自転車店の店長さんから「お良しさんだって、案外危ない走り方してるんじゃないのかな?」と、たしなめられたことがありました(^o^;)
良い店長さんですよね
ですから、いちおう普段から走りには気をつけているつもりです。
でも、こういう自転車の事故が起きるたびに、🚴チャリダーへの世間の風当たりが非常に非常に非常〰️に強くなります(>ω<。)
最近の怖い風潮もあって、私はいつかターゲットにされて 腹いせ言いがかりでkoroされちゃったりしないかな・・・と、不安になるときがあります!
熊も怖いけど、人間からも襲撃される世の中ですからねぇ・・ Σ(×_×;)!
自転車乗り全体が悪者になってしまうような乗り方を絶対にしないでいただきたい
私が小学生の頃は、横須賀市内にある「交通公園」に授業で出向いてルールを学ばせられたし、お巡りさんが学校に来てくれて、真面目な演技で車とぶつかった時にどうなるかを見せてくれましたっけ( 。゚Д゚。)
「鉄は熱いうちに打て」
子どもの頃に、一生自分を守る武器「自転車の交通ルール」を恐怖感とともに納得させてほしいです。
昨日今日と、何だか気分がガックリしちゃった私でした。
・・・・って、私この話題、何回書いてるんだろう 皆さまもう耳にタコができてますネッ 同じことをくどくど言う
※ 私は道路にある「ミラー」の確認をうっかり怠るようになったら、ホントに自転車乗りを止めるつもりでいます。
↑↑あまり気に入ってないのですが、父がくれた球根のユリが咲きました(*^^*)
いつもの「畑 サイクリング」での風景
・・ 遠くに見える三浦半島の霊峰「三浦富士」を、手前の畑の2本の木を「門柱」のように入れて撮ってみました ・・
野山へサイクリングに出かけるたびに、現地の方々には申し訳ないけれど、「あぁ~、三浦半島には熊がいなくてよかったなぁ・・・」と安堵してしまいます。熊がいそうに見えるほど、三浦にものどかな場所があるのです。
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さて本題、、、今月の中旬ごろに、テレビニュースで「暑熱順化」という言葉を知りました。
体を暑さに慣らしていく、という意味で、個人差はあるけれど だいたい2週間ぐらいかかると報道していました。
夏が大好きで暑さには強いと思ってきた私は、昨年の夏にまさかの「熱中症」っぽい具合の悪さを2回も経験してしまいました
なので、このテレビニュースを見た瞬間から「暑熱順化、暑熱順化・・・」と、うわごとのように自分に言い聞かせる日々をスタートさせたのです
1日目・5月16日 / このブログにも投稿した「イングリッシュガーデン横浜」へのお出かけで、雨上がりのムシムシしたバラ園で じんわり汗をかいた
2日目・5月17日 / 遠くの大規模スーパーマーケットまで遠出
3日目・5月18日 / このブログにも投稿した、横須賀市内でのイベントを2つ、はしごして歩く
4日目・5月19日(日) / 三日坊主を誘う雨降りだった!(>ω<。) サボらず、自宅でYouTubeを観ながらパワー系ヨガ
Bーlife まりこさんのヨガ こんな感じ この人のヨガはいろいろ種類がありますヨ
その他・・・、休日はサイクリング。お出かけからの帰宅後は極力 運動。実家の草むしりをマメに真剣におこなう
ふだんからやってるけど、さらに意識して 駅では階段をビシバシ使う!(速く&1段飛ばしで)! お風呂では湯船に浸かる! などなどなど・・・
かいたかいた、汗かいたよーん 汗をかくけれど、まだ それほど気候は暑くなくて グッタリすることなく、今日まで2週間続けられました
オマケとして、昨年はご近所さんに命を救っていただいたアイテム「黒にんにく」 を、すでに自分自身で購入して2~3日おきに 1片 ムシャムシャ食べています 効きそうな味だなぁー
さぁーて! 来るなら来てみろ、今年の猛暑!!! だけど、自信は 50%ぐらい
とりあえず (笑)
「暑熱順化」についてのテレビ放送( 岡山・香川地方の報道の公式ユーチューブ ニュース動画 )
実家の草むしりに行った時、お勝手口の側溝の水草をめくったら居た「サワガニ」
今日は先の大戦の「終戦記念日」でした。
多くのブロガーさんが今日のことを厳かに書いておられるのを拝見しまして、昼間に暢気な記事を投稿してしまった私は反省いたしました。
昨年も同じことをここで述べたかもしれませんが、終戦当時19歳の誕生日まであと28日だった実父。
いわく 「戦争なんて、ばかなことしたもんだ・・・」
1944年6月に海軍に志願して「相模原航空隊」に入隊しました。
けれど、俗に言う「気合い入れ」と称する お尻を丸太ん棒で殴られる儀式しか印象にない訓練だけして1年後に終戦を迎えたようです。
といいますか、父は多くを語らないのですよ。
戦後、引き揚げ船に「炊事係」として乗って「中国蘇州」、赤道を越えて「南方の島々」へと、悲惨なお迎えに出向きました。
船内でコレラ・疫痢が発生し、日本の上陸地 神奈川県横須賀市「浦賀」の港⚓が見えている沖で待機しているうちに多くの命が消えていったそうです。
今は老人福祉施設で暮らす父ですが、3年前まで 自分の両親のお墓参りに行く途中にある「浦賀引き揚げ記念の碑」にも 涙を浮かべながら手を合わせておりました。
☆「近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝」Date-SKNさんのページから拝借☆
写真は、手術に臨もうかという場面の、まな板の鯉状態の母でーす。1~2年前から子宮が体の外へ下がってきてしまう状態が続いて、歩きや排尿に支障をきたしていた母。1年半、ビオフェルミンという よく耳にする整腸剤を飲み続け、腸を丈夫にし、免疫力のある体に改造された母が、細胞分裂が盛んな暖かい気候のこの時期に、つまり傷の治りが早いということ、子宮を中に引っ込めて、網で固定し、子宮がん検診とかおりものがでてくる隙間を残して、膣の入り口を閉じる(?)という手術を受けました。これまで1年間は、ペッサリーというまぁるい輪っかを子宮にはめて脱出を防いできました。
また、総合病院ですすめられて試したものがあって、生理用ナプキンの真ん中が膨らんでいるような形になっているベルトでした。膨らみを当てて子宮を引っ込めた状態を保つというものです。医療費控除の対象品ですが、本体と替えのパットが高価でした。
でもそれは、高齢のためしょっちゅうトイレに行く母には現実的に無理がありました。トイレに行く度にしっかりとしたベルトを外して着けてをしなければならず、トイレが間に合わないとか腰が曲がっているので作業が苦しいという問題が生じました。
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手術を行った病院は、横須賀中央にある、「よこすか女性泌尿器科・泌尿器科クリニック」奥井伸雄先生。横須賀共済病院で、8人の先生が、ペッサリーをうまく入れられなくて、下へ落っこちちゃったのを、奥井先生は、一発で固定しました。うわまち病院出身で開業したみたいです。
先生が上手なので、全国から患者さんが来るそうです。86歳にして、手術をやってくれたんだからすごいです。共済病院の先生方は、手術などもってのほか!さじを投げたのですから、今回本当に救われました。母も元気にしています。入院はしません。手術直後から歩きます。歩いて手術室から出てきました。
「Kさん(母の名)が、一生懸命に努力しているから、僕も一生懸命に手術しようという気になる。」と、手術の最中、母にありがたい言葉をかけてくれたそうです。
奥井先生どうもありがとうございました。母のように高齢で手術した例の、奥井先生のブログ記事へ飛ぶ
病院の名に、「女性泌尿器科」と入っていますが、もちろん男性も診てくれます。★注★ 2017年9月現在、男性の新患者さんは、受け付けていないそうで、来られたら、同じビル内の内科を紹介してくれるそうです)詳しくは、HPをご覧ください。
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この記事は、注目があるようなので・・・その後談を
2017年3月追記
今年90歳になる母は、すっかり元気で暮らしています。ときどき、排尿の回数が増えて心配になると、奥井先生のもとを訪ねますが、「頻尿を抑える薬をあんまり使うと、頭がボケちゃうから、せっかくこんなに元気なKさんがボケないように弱い薬を出すから、気になるときだけ飲んで!もう、Kさんに会えなくなるのは寂しいけど・・・ハイ、握手して!」とかおっしゃって、大喜びで笑う母と握手して、終診となりました。母は、気持ちが安心できると、体調も良くなる、`暗示にかかりやすい性格’ なので(笑)、お薬は たまのたまーに飲んでいましたが、今はもう全然服用していなくて、尿の回数も心配していません。
母の頻尿は ・・・1日平均12回ぐらい・・・は、奥井先生の説明によると、「腰が曲がっているから、背骨の中を通る神経が、膀胱収縮の電気信号を出しやすくなっているため。」ということなのです。あとは高齢なのでもちろん、骨盤底筋群が弱り、膀胱も小さめになって、多くの尿を溜められなくなっているいるのも原因です。でも、本人が言うには、「けっこう多い量の尿が毎回でるから心配になる」のだそうです。
75歳の時、やっぱり異常な頻尿で、あちこちで検査してのですが、とうとうやっと、今 父がアスベスト外来で診察していただいている内科の先生が、母の頭のレントゲン写真を見て、「なんかあるなぁ・・・?」と気づいてくださり、なんと鼻の奥の空洞に腫瘍があって、脳下垂体を触っていて、その刺激で頻尿になっているということが判明し、鼻の穴から内視鏡とメスを入れて、腫瘍を摘出する手術を受けました。腫瘍は良性で、その前に耳鼻咽喉科で取った`鼻茸(はなたけ)’ のようなものだったんじゃないかと、お良しは考えています。鼻茸ができやすい体質かもしれないので、毎月2回の通院で、耳鼻咽喉科で鼻の奥を診てもらっています。それからすぐ、異常な頻尿はピタリッと止まりました
そのとき、泌尿器科の先生が、「人間の体って、いろんなことがあるんだよ。」と言っていたのが印象に大残り!のお良しです
看護師さんも、「おかあさんは、根が丈夫なのよ。」とも言ってくれました。
一見、元気な母ですが、これまでいろいろ痛いおもいをしてきたんですよ~ 自分でも、ときどき`痛い目ふりかえり’ をしていますよ(大笑い)
【またまた追記】☆彡 2017年9月、母はおかげさまで90歳の卒寿を迎えることができました。1年に1回あるかないか・・・、奥井先生に診ていただいている程度です。
☆ 最後の追記です ☆彡 2018年3月22日午後9時25分、子宮の病気とは全く関係なく、母は脳出血により、突然に逝きました。90歳と6カ月でした。高齢なので頻尿の悩みはありましたが、自分で工夫して 切なかったとは思いますが、そんなに悩まずに過ごしていました。
直前に冬の夜の気温差から持病の喘息発作を起こし、必死に寝床に入るために、いつものように自分で紙パンツを履いた直後の発症で、「頭が痛くなってきちゃったぁ!」と3回言って、5秒足らずで心停止してしまいました。
「死ぬのはいやだなぁ!生きたい、おかあさん生きるよ!!」と時々言っていたし、テレビなどでチューブにつながれてベットの横たわっている人の姿を見ると、「絶対嫌だ!」と言っていました。望み通りの形で逝きましたので、私としても、おかあさんよかったなぁ・・・と、安心しています。
子宮脱から解放された生活を得て、心身が安定し長生きしました。当人も、家族みんなも、感謝して過ごしました。母にとっては良い医者に出会えて、人に運命というものがあるのなら、本当にありがたいことでした。
ここまで長い文章をお読みいただいて、どうもありがとうございました。
〈長女記〉