私は、新聞折り込み広告で得た このような航空写真付きの住宅販売広告を保存してあります
★ 1993(平成5年)藤和不動産発行「ライブタウン湘南野比」チラシ ★
三浦半島南東部のこの地域にお住いの方は 見てわかると思います(*^-^*)
むかって左側が、千葉県房総半島がある方向です。
今回の記事の現場は、この写真の中の
緑がいっぱいある部分の、さらに
( 赤い線で囲まれたところは関係ないです )
わりかし広大な この緑地帯の昔の様子をレポートしていきます(*^-^*)
☆注意点☆
・ 手前に立つV字型の建物は「野比苑」さんではありません。
・ 空からの写真ですと起伏がわかりづらいのですが、V字型の建物は高台にあります。
そこから緑地帯に向かって下がっていく斜面になっています。
・ 緑地帯の右半分は田んぼであることが見て取れます。
・ 写真の左側の茶色い線は、京浜急行線の線路です。
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前回の「富士シティオができる前」の記事でも紹介した踏切です。
富士シティオは踏切の左側に建ちましたが、今回は右側の変遷をご紹介します。
踏切を渡ってすぐに右を見ますと、今はこんな様子です。
左上に先ほど紹介したV字型の建物(マンション)が見えていますよ(*^-^*)
・ V字型の建物は高台にあって、その下、斜面に出来て見えているのが 介護老人保健施設「野比苑」さんです。
この同じ場所の昔の様子がこちら
うわぁ~♡(*^▽^*)♡
通学や通勤の帰りの車内で、右奥に見える京浜急行線のトンネルを抜けてきて この のどかな緑の景色を目にすると、「あぁ~、帰ってきたなぁ~」と、いつもホッとしていた私でした
踏切だって、こんなに うら寂しい風景でした
これは夕方に撮影している感じですネ
( こちらの1枚は、他の写真とは季節が違うと思われます )
踏切を渡って真っすぐ歩いていくと広がる緑地帯の風景です
道端の様子
手前はもう耕作していなくて、奥に少し田んぼが残っていました。
おそらく1980年代の中ごろから後半に撮影したのだと思います。
一連の写真を繋ぎ合わせてみると こんな感じかな?
広告チラシの航空写真で上から見たら、こんな様子。
こちらは私の大事な1枚です♡
田んぼの奥にあった、おそらく当時の地主さんみたいな家の近くで撮った写真です。
けっこう上の方へ上がっていった記憶があります。
桜の木の下に並べてある木(丸太・ほだ木)で、たしか椎茸栽培をしていたと思います。
とってもきれいな場所で、まだ20代だった私の琴線にピシピシ触れる 美しい風景がそこにありました・・・
この時、「もうこの景色はなくなってしまうんだなぁ・・・」と寂しく思いつつシャッターを切ったのでした。
そして、先ほどの踏切を渡って・・・
振り向いたところの以前の風景は今・・・
今は こうなっていますよ~!!!
・ 上に建っているのは藤和不動産さんのチラシにあった「ライブタウン湘南野比」です。
・ 崖を護岸したのは つい昨年2022年のことです。最近までは木々が生い茂って 涼しい日陰を作っていました。
崖下の際には「野比川」の支流が流れています。左方向に山の分水嶺があり、水が湧いて川を作っているのです。その水を利用して、横須賀市野比一帯には水田が広がっていたようです( 地域の長老さんのお話による )。
三浦半島は山が多いので、斜面の崖崩れ対策が欠かせないのです。
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以前のこの姿の現在は・・・
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V字型の建物の下に「野比苑」さん
草地だった所には、ありがたい病院さん
田んぼだった所には 新しく横須賀に住んでくださった皆様の家々ができました~♪♫♪♫♪
もう、奥の方の景色は うかがい知ることができません。あえて足を踏み入れて写真を撮ることはしませんよー(*^▽^*)
あ、そうそう! 以前のこの風景。
木の柵から右側は京浜急行さんの持ち物のようですので、今でも緑地帯として残っています(*^-^*)
横須賀市西浦賀で生まれた私が、この横須賀市の最南部付近に引っ越してきたのは1971(昭和46)年。
それ以来、この緑地帯だった所を走り抜けていく京浜急行線に乗り続けています。景色は変わりましたけれど、まだまだ緑が多く残って自然を感じられる横須賀市の北下浦地域です
次回もビックリポンな激変地域をご紹介します