お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

地域の小学校のお祭りに行ってみました

2016年11月25日 08時52分10秒 | おでかけ旅がらす・三浦半島編

 お良しの住む地域の子供たちが通う、T小学校。お良し宅からは、けっこう遠いので、子供たちは歩いていくのはたいへんだなぁ・・・と同情してしまうのですが、朝夕の登校時は、見守り隊の大人たちが、通学路沿いに立って、楽しそうに会話して見守っています。 

 こんなきれいで楽しいポスターに誘われて、雨上がりの畑道を歩いて、山のふもとにある小学校へ向かいました。

 

体育館では、ダンスなどの発表が行われており、お母さん方がたくさん来て、笑いながら、きっと、我が子の姿を見ていたのだと思います。

受付で、スタンプラリー付きの、案内チラシをいただき、3階までのイベントが行われている教室を回ります。廊下の壁には、普段の絵やお習字が張り出されていて、お良し、自分の小学校時代を懐かしく思い出しました。「ああ、廊下や階段は、こんなに狭かったかなぁ・・・」と、子供サイズの校舎内をしみじみ・・・・。

最初に、「どうぞー!」と、なかば強引に誘い込まれて、‘ 縄ない ’を体験しました。お良しが子供の頃、近所の農家のおばあさんから教わったことがあり、でも、その時は全くできなくて挫折していました。それ以来だから、自信がありませんでしたが、いい機会だと思って挑戦してみました。とっても良いお人柄の、きっと地元の方、Sさん(60代後半ぐらいかな?)から、手ほどきをうけます。

「う~ん うまくいかなぁーい 手が痛くなっちゃったぁ

「うーん・・・回ってないなぁ・・・どこがいけないのか・・・?教える人が悪いからだな。」

「そんなことないです!生徒が不器用だからです!・・・あ、でも、こーんなに出来ていたんだ

と、後ろを見て、1mぐらい緩い縄ができているのを見て、驚いちゃった

できた縄 隣にあるカップ内は、高校生の手ほどきを受けて作った‘ スライム ’

スライムは、こうやって作りました。3種類の液体を、割りばしで、ものすごい勢いでかき回します

縄ない は、このように習いました。右側は教えてくださったSさん。子供にも優しく丁寧に。縄ないなんて、出来る世代がいなくなってきているから、地域の自然や風習を守る会が主催して、開催してくれたのです。

「世界で自分だけのカレンダー」というのを作るコーナーもあって、キャラクターの紙をを選んで、台紙に張り、ペンで何か書いたりして完成させます。真ん中にピンク色で描いてあるのが、お良しの実写版?のお顔ですよ (主人からは、いつも 漫画みたいな顔をしている と言われているお良しでアリマス

学区内にある、障がい者の方たちが作るパン屋さんのパンを買って、飲食スペースのお教室内で、おやつに食べました 主人には、チョコチップ入りパンをお土産に買いました。 和菓子屋さんもお品を提供してくれていて、小学生の男の子が、おにぎりとみたらし団子を買って食べていたのは、「渋いなぁー」と、笑っちゃったデス。 こういう飲食物と、くじ引き 以外は、無料体験でした

しかしまぁ、子供たちのパワーって、すごいね!自分もかつてはそうだったのかなぁ・・・。いやぁー、大人数が、縦横無尽に動き回っちゃって、ぶつかるぶつかるぅ 学校の先生はたいへんだろうなぁ・・・ナンテ

 

3階だったかな?ここは。廊下から、お良しの守り神、三浦富士183m が見えることにビックリ!わぁー いいなぁ

中央 奥の霞んだお山。

小学校への道は、駅からの住宅地を抜けて、こんな田んぼやキャベツ畑の脇を行きます。

黄色い蛍光ジャケットを着た、見守り隊の人を校舎内で見つけて、スタンプをもらうと、最後に、ちいちゃな ちいちゃなチョコレートをもらいました。なにこれー 小さすぎー と思いましたが、食べてみると、風味豊かな甘さがお口に広がる、美味しいチョコでした。2番目の写真に写っていますよ。幸せもらった半日でした

 

 

 


驚異の父母!この秋は・・・

2016年11月20日 17時08分09秒 | 父と母のこと

 お洗濯は、父の仕事。昔から几帳面な父は、このように干します 

就寝後の洋間(今でいうリビングルームね)に行ってみると、コタツのコードを、きちんと丸めて始末しています 

なんでもかんでもおおざっぱな私は、「本当にお父さんの子かなぁー?」と、しばしば思うことも( ^ω^)・・・

  

 母は、栄養を一応考えて、この日は、ブロッコリーと卵を茹でています。夫婦二人暮らしなのに、卵が4つなのは、お良したち夫婦の分も茹でてくれたから。帰りに持たされるの。・・・あ、こんな言い方しちゃバチが当たるね。「ゆで卵をくださるの!」

 娘の私が泊まる晩は、父が奮発したおかずを買ってきてくれます 母のお味噌汁は本当に味わい深くて美味しいんですそして 豪華なお刺身。自分たちは少なく食べて、私にいっぱい食べさせてくれる。一人っ子だから、親のこの愛情を、若いときは 「こんな過保護を受けていたら、恥ずかしい!」と、学生時代は、他県の寮に入ったり、アパートで暮らしたりしました。でも、家賃は親に出してもらっていた・・・という中途半端さでした。通学する交通費ぐらいは、アルバイトして稼いでいたけれど・・・。今にして思えば、微々たる額です。

 「明日行くよ」と電話しておくと、里芋を煮てくれていた。

 果物も剥いて待っていてくれた。

 十五夜と十三夜には、月見団子を作ります。もう50年近くの恒例行事です。

今年、十五夜に使った上新粉は、作りにくかったらしく(確かに味が今一つ違った)、母は、ちょいと粉相手に おかんむり   うさぎ年の母。

 

 

 十三夜に私が、お米屋さんと相談して買っていった、『玉三』という会社の上新粉は、good だったらしく、「うまくできたー」と、大喜び ふかしたてに、お醤油と味の素を少々ふりかけると、子供のころから食べている、変わらぬおふくろの味で、超美味しい 

次の日、固くなっても、オーブントースターで表面を焼いて、濡れぶきんで、はさんでつぶして、同じ味付けで食べると、また違った美味しさが味わえます。幸せ~ 

玉三の上新粉類

 近所のKさんが、お庭の草刈りをして、ゴミ捨て場に捨てていった、きれいな花を持ち帰り、飾ってあげたよ。家の周りしか歩けなくなってしまった母に、外の情景を少しでも見せてあげるのは、ボケ防止策 招き猫は、母が飾っているの。ここは玄関の靴箱の上です。でも、母は、病院の行き帰りのタクシーの中から、首を上げて、景色をよく見ていて、あそこに何が出来てた、とかよく知ってるんですよ!

 いやぁ~、これは たまげたプライバシーの暴露写真ですが、母は、お風呂に入る前に、こうして寝る前の着替えを用意しておき、湯冷めしないうちに下着やねまきを着るようにして、風邪っぴきを防いでいます。 (注★ 母の名誉のために。尿漏れ履くパンツとパットは、昼間はつけていませんよ。自分でトイレに行ってます。夜中だけ使用。)こんな写真を公開して、悪趣味だと思わないでくださいねー。こんなのを履いています、ということじゃなくて、「お風呂へ入る前に、ちゃんと着替えの準備をして入ります」ということを記録して伝えたかったのです。

 父は、糖尿病を指摘されて、服薬治療中です。毎晩飲んでいた、「オロナミンC」をやめたのに、こういう似たような柑橘系の炭酸飲料を買ってきて、ナント!寝る間際に飲むんですよー あっちゃー、ダメじゃんかー!オトーサン

 10月頭には、緑色をしていた 千両 の実も、私が実家へ行くたびに、どんどん色付きだし、1カ月もたたないうちに、真っ赤になりました。お正月に、家の中に飾ります。近所の人や、お便所の汲み取りやさんが、もう、いただこうと、予約しています 汲み取りやさんもいい方々で、朝早く来て、母に声をかけ、無事を確認してくれます。

 ゴミ捨ては、ちょっと集積所が遠いのですが、近所の方が、両親の分を、「通る道すがらだし、ついでだから・・・」と、親切に一緒に持って行ってくれています。重いと申し訳ないので、父は、袋を小さくして軽くして渡しています。あんまり多いと、父が頑張って自分で出しに行ったりして、一応 気を遣っています。回覧板も、前の方が、母の前で読み上げて、OKなら次の家まで持って行ってくれています。ご近所さんがご親切で、本当に助かっています。感謝の一言です。もちろん母はお礼はしているようですが。

 父の半纏を裏返して、暖かい良いお天気の日に、庭の サツキ の木の上に干しておいたら、おなかの大きい雌のカマキリちゃんが、ひなたぼっこしていました。「気持ちのいいところを悪いけど、取り込むよー」と、声をかけたら、ぎょろっと睨まれた・・・ヒィーカマキリって、ホントに怖いね、顔を動かして、こっち見るもんね、目がいいんだね。

 母は、お昼ごはんの支度。背中が曲がって、「お勝手が高くなっちゃったな・・・。」だって。・・・あのぉ、あなた様が低くなったのよ

 父と私の分のトマトとリンゴと梨とキウイフルーツ。私のトマトとリンゴは皮つき。

 自分の分も、盛りだくさん。歯が入れ歯だから、固いものは小さく刻みます。父と母のトマトは皮をむくの。こういうことは、将来のために、娘の私が知って覚えておかなくちゃ、と思っています。

 「今日は、なんだかコリャ、食が進むなぁ。」と、美味しそうに食べる ご機嫌な母。私が行くと喜びます。なぜかというと、父は毎日 買い物に出かけてしまい、お昼は母一人でいつも食べているから。

「一人でも、いただきまぁーす!って言って、食べ始めてるんだよ。」だって、面白いの はははー

 「お好み焼きが食べたい!」というので、作ってあげました。

「まぁ、なんて器用に上手に作ったじゃんよー あれぇ・・・ごちそうになっていいのー?」

なんて、自分だって、子供だった私に作ってくれたじゃん。忘れたのぉ? あ、あれは焼きそばだったか・・・? お良しが10代のうちは、毎週日曜日のお昼は、焼きそばでした。「めんどくさい めんどくさい」と言いながら、具材たっぷりな焼きそばを食べさせてくれました

 やまいも粉入りの お好み焼き粉だったせいか、とってもモチモチして ふっくらした お好み焼きが出来上がり、母と二人、「美味しい~」母のために、小さめに作った一枚を、「どうかなぁ・・・食べきれるかなぁ・・・?」と思いましたが、見事にペロリ  更に、焼き芋をひとかけ、追加して食べていました。目標にしている、2020年東京オリンピックまで、絶対に生きるわコリャ。

このお好み焼き粉で作りました  山芋粉・天かす・青のり が付いています。お良しは、これに、卵二つ、干し桜エビ、キャベツを入れ、ソースとかつお節を、添付の青のりとともに乗せました。

 前にもこのブログで紹介したかなぁ? 食べ合わせ。冷蔵庫に貼って、気をつけています。私や、近所の人に食べ物をおすそ分けするとき、病院の看護師さんや病院友達に食べ物を持っていくときなど、これを必ず伝えています。こーいうの、ホントかなぁ? まぁ、スイカと天ぷら っていうのは、水と油で、一緒に食べたくないけどネ

二人とも、美味しいものを 「ああ、うまかった」と言いながら、十分な量を食べていますので、まだしばらくは長生きしてくれるかな? かかりつけの医者は、「肺炎に気をつけなさい」と言っています。父は90歳ちょうどなので、横須賀市から、「肺炎球菌ワクチン接種の割引券」が来て、3000円で ブスッと打ちました。母は来年か。(割引券がないと8000円!

 

 私は、たびたびこうして両親のことを記事に書いてUPしていますが、‘ ファザコン・マザコン ’ と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、意図しているところは、記録に残しておくことと、あと、両親がどうやって生きる希望と工夫を持っているのかを見ていただきたいこと。そして、心身が弱ってきたって、頑張って生きている姿を公開することで、今年起きた相模原市の障がい者施設の大量殺人事件のように、弱者に偏見を持っているような考えの人が今後生まれないように、一人一人に人生と尊厳がある!ということをブログを通してわかってもらいたいからです。

 

「あちこち痛い痛いと言いながら、長生きしたくないね。」などという言葉を、実の娘の私に、面と向かって投げかけてきた人もいました。確かにそうかもしれないし、子供に迷惑はかけたくないという意味も込めて軽い気持ちで言ったのでしょうが、子供を前にして言う言葉か と唖然としました。

我は嫡男 お良し丸であるぞ 父上 母上を愚弄するとは何事ぞ コラァーッ デス 

 

 ま、専門家が聞けば、‘ ヘイト・スピーチ ’とも受け取れかねない、こういう類の言葉には、父は意に介さないし、「あんたの腹の中は真っ黒だ!!」と言われたことがあるという  打たれ強い母は、「失礼なこと言うなぁ、こんちくしょう!頑張って生きてやるぅ」と、反抗心を持てる強さで、生きる力に変えています。もう才能ですなー、ハハハー

 思いがけなく、ここまで長く生かされているんだから、目標までは楽しみを見つけながら生きていく!という思いでいる両親には、楽しみと、誰かに感謝したり されたりする出来事が必要なんです。お良しは、それをやっているのです。迷惑だなんて、これっぽっちも思っていません。かえって父の頑張る姿や母のおとぼけ(時々すごくいいこと言う。きんさん ぎんさんもそうだったなぁ…と思いだす)が面白いし、二人の、 親としての深ーい優しさに、本当に癒されています。 お良しがこの歳になるまで、両親が生きていてくれているのは、本当にありがたいことです。・・・と思いなさい!と、よく人から言われます。

両親に同情しないでもらいたいです。

父は、こうやって若い頃から好きで続けていた 囲碁 を、まだテレビで見ているし・・・(2016年11月20日)

母は、相変わらず手紙を書きまくりーの、懸賞パズルに応募しーの盛んにやってるし。(よく見てください。オリンピックまでがんばれといわれている、と書いていますよ

父母の家の窓からも見える、三浦富士183mも、紅葉してきました 

 

11月22日追記  今朝の福島県沖の地震。お風呂場で座ってヒゲを剃っていた父も、母も気がつかなかったらしく、母は、「お味噌汁 作ってた。冷蔵庫の下開けて(野菜室のことね)、小松菜・ねぎ・大根・・・もやしはいいかぁ・・・。何にしようかなぁ・・・?出来たよー!なぁんて作っててわかんなかったよ。おまえが来て教えてくれなかったら、知らなかった」 なんて言ってんの。さては、テレビも見ず、午前中 コタツで寝てたな・・・

「今の地震大丈夫だったか?って、電話しなかったから、おかしいなぁ?と思った?」

お良し 「そうだよ、家がつぶれちゃって、死んだかと心配したよ。でもそうしたら、近所の人が連絡くれるはずだし・・・、おかしいなぁ?と思ったよ。」

母 「お良し(もちろん本名で言ってます)の夢見てさぁ。お花がいっぱい咲いてて、そこで、あらーっ、花がいっぱい!って、お良しに言ってんの。」 あのねぇ、あんな大変な地震が起こるっていう時に、天国へ行っちゃったみたいな夢見て、お母さん、のんきだなぁ 「この親あって、この子あり」を まるっきし地でいっている

 


今時めずらしい社員旅行!(横浜三殿台遺跡 散策) 後編

2016年11月07日 07時33分57秒 | おでかけ旅がらす

 岡村天神~ 大きなイチョウの木が、本殿の前にデーンと、立っている境内です。まだ、10月半ばだったので、葉っぱは黄色くなっていませんでした。

天神様 ということで、どこの境内にもドッシリと鎮座していらっしゃるのは、「牛」ですな。ここには、大きいのと小さいのと2頭ありました。

お良しが、その雰囲気が大好きな、お稲荷様もありました。

このような奇岩がたくさんあり、一同 「これは自然の溶岩かな?作ったのかな?」と、疑問しきり??????

岩の表面に、江戸時代の人々と思われる、名前や屋号が彫ってあるのです。

境内の真ん前のお宅の2階ベランダで、ご主人が干しておいたお布団を取り込んでいらしたので、お良し、パシリの役割を直感して、

私 「すみませーん、ご主人。お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですかぁ?」

ご主人 「はい。」

私、S社長に向かって、「ハイ!どうぞ。

S社長 「・・ちょっと・・・えぇーっと、この岩は、作ったものですか?」

ご主人 「そうです、作ったものです。」

一同、「へぇー」と、納得 

境内には、能舞台みたいな建物や、幼稚園もありました。誰でも来て遊べる遊具もありましたが、立ち入り禁止のロープが張ってありましたね。のどかな神社でした。

 

そのあとの食事時、「良っちゃん、ハイ、どうぞ。なんて、私に振るのよー、自分で聞いてくれるのかと思ったら、まったくもう」と、おかんむり

私 「だって、社長の方が、上手に質問できると思ったんですもん。」

社長とパシリは、対立したり協力したりして、この散策ツアーを終える。

岡村天神の正面。

ここを後にして、三殿台遺跡の人が薦めてくれた、有名だというトンカツ屋さんを目指す。天神様の坂を下ってすぐです。

とんかつ さくらい     どなたかの、優秀な紹介ブログへ飛ぶ

入り口のわかりにくさとは裏腹に、お店の中は、結構広くて、壁にはズラーッと 来店したことのある、有名人の写真が貼ってあります。卓球選手の福原 愛ちゃんも、来られたみたいです。トンカツのサイズが豊富に選べるから、アスリートさんたちには嬉しいと思います。

お良しとS社長は、メンチカツ定食をいただきました

他のみなさんは、王道の、トンカツ定食を。みなさん70代なのに、すごい食欲 お元気な証拠 

 

メンチカツ定食。930円だったかな?

食後は、お店の前から横浜駅行きのバスに乗り、これまた、「ええーっ こーんなとこ入っちゃうのぉ」というほそーくて、くねくねした道をバスは まるで江ノ電か箱根登山鉄道か、浅草は花屋敷のジェットコースターかのように走り、さっぱりわかんないルートで、いつのまにやら弘明寺商店街入口にご到着してくれました。ホッ・・・あぁー帰ってきた帰ってきたぁー

 

パシリのお良しが、数日前から家のパソちゃんで調べておいた、大人数が入れる喫茶店『メルカフェ』さんに入り、一同、トンカツの後なのに、ケーキセットをオーダー 歩いたから、エネルギー使い果たしたの チャージチャージ 私とS社長が食べた ‘ マロンケーキ ’ 美味しかったなぁ 刻んだ本物の栗がトッピングしてあって。コーヒーも、Lサイズ級の多さでした。ケーキセット550円。

弘明寺商店街内 メルカフェ

弘明寺商店街 公式ホームページの メルカフェ

ひとしきり談笑して、商店街に出ると、「ご自由にお持ちください。」という張り紙とともに、いろいろな古いものが置いてあるところを見つけ、お良しはみんなに薦められて、『角川漢和中辞典』を、重いのに、持って帰ってきました

だれも買い物もせず、途中下車することもなく、それぞれの居城がある駅で下車し、解散となりました。

無事に一日を終え、パシリは安心しました。でも、みなさんお疲れさまだと思います、はははー

 

・・・ところで、S社長から、今回の働きにより、お良しは次期社長に昇格!と言われましたが、それってもしかして、次の企画を考えて実行させなさいってこと・・・?

 S社長 「そうよ。」だって なにそれー? それも、「パシリ兼任よ。」だってぇ

 

 


今時めずらしい社員旅行!(横浜三殿台遺跡 散策) 前編

2016年11月04日 08時00分40秒 | おでかけ旅がらす

 なぁーんて、おおげさな題名をつけましたが、秋の一日、横浜市磯子区岡村にある、縄文時代から古墳時代にかけて、古代の人々が5400年にもわたって暮らした跡、「三殿台遺跡(さんとのだいいせき)」へ、男性所長さんを除く、女性職員全員6名で、一日散策へ行ってきたのですよ   

三殿台遺跡とは・・・  クリックどうぞ!

京浜急行線の、弘明寺駅から、散策はスタート 

‘ 弘明寺の坂 ’ を、一同 元気いっぱいに下っていく。

弘明寺の正面からでなく、坂の途中の横門から入ってしまう。だって、珍しいものを、みなさん次々に見つけちゃったから。

「先っぽが白い、これ松ぅ~」と、6人とも目を見張る

なんとかいう、超早咲きの、小桜らしいです

寺の境内に到着すると、七五三お祝いの親子たちがたくさん来ていらっしゃいました。お清めの水場には、フクロウとゾウさんの石像からお水が・・・こんなお寺、初めて

本堂前には、お線香がたいてある、大きなお寺によくある、煙を体の悪いところに当てると良くなる、っていう場所で、唇に煙を何回も当てて、「口は災いの元・・・なーむー」とか言ったら、私以外のみなさん、ドッと爆笑

主人からも、「おまえ、そんなにしゃべりっぱなしで疲れないか 聞いてるオレは疲れるよー」と言われるお良しでありマス

本堂前から階段を正門の方へ降りる途中に、「身代わり地蔵」様が鎮座。お良しは、昔、母と来た時、お身体をスリスリしてお参りしたっけ・・・。

階段の下には、六地蔵様。

正面 山門の中から、弘明寺商店街を望む。本当は、こちらから入るのが順路デシタ

振り返ると、本堂から降りてきた石段。結構 急

なかなか盛況な、弘明寺商店街。でも、母と来た、十数年前の方が、どこも同じですが、多種多様なお店があって、魅力的で楽しかった気がします。美味しいさつま揚げ屋さんがなくなっていました。なんか、同じようなお店がたくさんありましたね。我らは、数メートル歩くとすぐ現れる、1000円パンツ(ズボン)に、すぐに引っかかって、この散策を計画して案内してくれている方(お良しは勝手に、S観光株式会社 社長と、名づけさせていただき、ご本人から、「じゃあ、お良し、あなたはパシリね!」と、直属の唯一一人きりの部下に任命されてしまいました)が、「なかなか目的地に行きつかなーい」と、嘆く始末。この時、まだ我ら一行は、この後待ち受ける試練の旅 を知る由もありませんでした・・・。OH NO!!

弘明寺商店街の中には、もう営業していない、古ーいお店の建物が数多く残っています。

商店街を抜け、大きな通りを渡り、警察署の前を過ぎ、まもなく左折。こんな大きな欅の木が、歩道に残してある、総合高校前の道を行きます。

『三殿台遺跡』までの道案内がわかりやすく充分表示されておらず、地元の人に道を尋ねつつ行きます。途中、こんな古いお家を見つけて、一同 感嘆 いい雰囲気。お良しのご幼少の頃は、横須賀市西浦賀にも、このような家がありましたよ。

いやぁー、遺跡までの道は、こんな階段だらけでした 

階段の途中で、何回も、おうちの外にたまたまいらっしゃる住人の方に道を尋ねる。「まだまだタイヘンですよー。」遺跡への道は本当にわかりにくいから、年がら年中道を聞かれ、「夏は、みなさんこの階段の途中で、ばてて座り込んじゃうから、麦茶をお出しするんですよー。」なぁーんてお宅もあったりして、ここらの方は、道を聞かれるのに慣れていらっしゃるみたい。・・・でも、その先でまーた尋ねなくてはならないほど、遠くて、難しい道順なんデス

お良しは、分かれ道が現れると、一番年下なので、‘ 社長任命のパシリ ’としての任務を遂行すべく、他のみなさんをその場で待機させて、先へ行って、正しい道かどうか確認しに行く! 何回もやりました。社長が、チョコレート入りミント味飴をみんなに3個ずつくださって、それが、即元気チャージ してくれて、お良し、生き返りました

一階段上がって、はぁー 疲れたー。

この眺め だいぶ上がってきたぁ・・・。三殿台遺跡は、標高50mぐらいの高台にあります。

電柱の上の方に、こんな感じで書いてあっても、見逃します!これより高い所に書いてあるところもありました。

みんな、ぐったりして下を向いて歩いているので、上の方に目を向けません。

遺跡への最後の階段。階段の途中にいた年配の女性が、遠くの道にいる私たちに向かって、大声で「三殿台遺跡ですかぁー?」と、叫んで、こっちだ こっちだ と、教えてくださる。

 ああー、着いた着いた  ヒィー もう一度行け!と言われても、来れないほど複雑怪奇な道のりでした 社長が、私の耳元で、密かに 「ねぇ、良ちゃん、みんな、エライトコ連れてこられたと、怒っているかなぁ・・・」などと、気弱なことを聞いてきた 「そんなこと絶対ないですよ」と、励ます。

 その社長が、「ねぇ、世界じゃさぁ、紀元前何世紀も前に、ローマ帝国なんかが、すごーい素晴らしい文化遺産を残している時代に、紀元後だというのに日本はこれよ!」と。

 実際に中へ入れます。

内部は、地面が苔かなにかでうっすら緑色で、かび臭い。でも、この木組み、植物のつるで縛って組んでいて、地震や台風でも大丈夫そうです 天井には、明り取りにもなっている、煙り出しの穴が二つ設けてあります。

 太い大黒柱。

 はり も、太ーい!見事な組みっぷり

 この屋根の形は、昭和の初めぐらいまで、茅葺(あるいは藁葺き)屋根のお家と同じで使われ続けたんですものねぇ・・・。すごいなぁ、古代人

 

 遺跡めぐりから、管理棟へ帰ってくると、「みなさん、観終わっちゃいましたか?ご案内しようと、気になっていたのですが、やたら熱心な小学生につかまってしまっていまして・・・」と、資料館長のような方。いろいろと、展示資料を説明してくださって、とても勉強になりました。古代の人たちが、たいへん工夫をして、文明を進化させてくださった延長線上に、現在の私たちがあると、実感しました。

 

それと、館長さんもおっしゃっていましたが、S社長も、「こんなに立派な、そして時代的にも各地の有名な遺跡に引けを取らないのに来場者が少ないのは、駅から遠いからでしょうねぇ。」。そのとおり、国指定の遺跡なのに、認知度が低いのは、行きにくさですって。三内丸山遺跡・吉野ヶ里・登呂などと、肩を並べてもおかしくないところらしいです。でも、もっと、復元した建物や、出土物の展示場の拡大、休憩所(ちょっとはあります)、何か食べ物を備えた所を充実させた方が良さそう・・・が、お良しの感想。見に来ないのはもったいないと思いました。お話を詳しく伺って、苦労して来た甲斐があった、と思いましたよ。

 

 遺跡を後にして、遺跡内で草刈りをしていた職員さんのおススメの、とんかつ専門店へ、使い切ったエネルギーチャージに向かう。またまた階段を、今度は初めて降りると、音楽ユニット『ゆず』の出身校である、横浜市立岡村小学校前を通過。

社長が、「岡村天神」へ行こう!というので、とんかつ屋は、幸いなことにその近くでした。

お良しは、方向感覚が、子供のころからめっぽう良い方ですが、この日ばかりは、いったい どこをどう歩っているのだか、さっぱりパリパリわからない、脳みそ混乱状態でした

長くなりますので、岡村天神への参拝は、後編へ続きまーす 失礼