4月9日に、さわりだけ書いて、お休みしておりましたので、続きを書きます。
その前に、世間話を( ^ω^)・・・
最近、暖かくなってきたので、生き物たちが活動しだし、特に`鳥たち’ が活発に動いています!
夜明けも早くなってきましたので、お良しがまだ、い~い気持ちでオヤスミ中の明け方いったい何時なんだか まず最初の鳥が、
「ピヨピヨ」鳴いているのが聞こえ、また眠りにつくと今度は、キジバトが「ホッホー」 と鳴きかわす。ほどなくして、以前このブログにも書いた、例の鳥が「ちゅいちゃらら チョットコッチキテヨ~」 と騒ぎすぎ とどめは、カラスが突然思いっきり 「カァーッ」 はっ として完璧に、お良しお目覚め カラスは、予告のないカミナリ のように、いきなりでっかい声を出すんですよねー
眠りが浅くて、超だるい感じ・・・。 よく「鳥の声で目覚める暮らしがしたい」 などと希望して、どこか自然豊かな土地へお引越しされる方も多いですが、三浦半島で充分です はっきり言って、春はウルサイです えーん もっと静かに寝かせてぇ・・・(願)
では、本題に入ります
写真は、さぁ、どこでしょう?(´∀`*)ウフフ
三浦半島南部がようやく桜の見頃を迎えたというのに、7日からずーーーーっとつづきで、もう待ってらんないので、意を決して、2017年4月9日(日)の午前中、電車とバスでお花見に出かけました
お良しがご学友と学んだ、横須賀市立 K坂小学校~ でーす
ひっさしぶりすぎて、涙が出そうー
・・・本題に入る前に、ちょっと待ってくださいませよー。しつもーん
お良しが通っていたころは、地名も学校名も、「Kざか」と言っていましたが、バス停の名前の読み方が、「Kさか」となっていまして、どっちなんですかねー??? 今は、「Kさか小学校」なのでしょうか・・・
校歌も、~ Kざーか Kざーか あーあー わーが まぁなぁびぃやー ~ と歌っていましたよ~??? 今は??? 「さ」ですか?
なんだか、もっと桜の木がたくさんあったような記憶があるのですが、この、K坂小学校の象徴である、`60段の階段’ には思ったより桜の木がないように感じました。母に写真を見せたら、
「あれっ ずいぶんすっきりしちゃったじゃん もっと木がこんもりしていたのに!」
という反応だったので、やっぱり昔はもっと木に囲まれていたのだと思います。確かによく見ると、階段下の両側の桜の木は、太い幹が切られ、脇から新しい幹が育っていました。ですから、背の低い細い桜です。上の写真、左側に見えています。
お良しが通っていたころは、`女坂’ と呼ばれていた、自動車で校舎へ行く坂。ここはけっこう桜が咲いていました
当時は、生徒はこの坂を通って通学してはイケナイ と、先生からお達しされていました。「子どもは楽をしちゃいけない」という理由です。身体をつくる!!という教育方針です。
雨が降ったりやんだりの小旅行気分でしたが、雨の日もなかなか良かったです。日が照っているより花びらがハッキリ見えますし、濡れた幹が黒くて、薄桃色の花と美しい対比を見せていますし、空気がけぶった感じが、いかにも春霞みたいで、落ち着いた雰囲気でした。
・・・・・すみませーん K坂小学校のホームページを見てみました。そうしたら、メールアドレスが k zaka でした!やっぱりまだ・・・というか本来の「ざ」なようです。 でっもー・・・まだ心あたりな不安材料が・・・
バスを降りると、天然の良港に面した通りは、桜が満開
9歳まで暮らした町の鎮守様「西叶神社」に、ちゃんとちゃんとご挨拶
上部に見える彫り物は、名のある彫師の手によるものです。天井も立派ですね。
カメラのレンズに雨粒がついてました
西叶神社の境内の桜
その桜の木の下に立って、本殿の方を見ます。雨にしっとりぬれて、すべてのものの色が、きれいに見えました。
街中には、ツバメがたくさん飛んでいました すごいスピードで、くるくる クルクル 舞っている という感じ。
ちなみに、お良しは、今年の初ツバメは、4月6日に目にしました。「いらっしゃーい!・・・でも、巣が作ってある京浜急行線の駅構内は、どこも耐震工事中で、近づけないかもネー。だいじょうぶぅ???」
お良し、当時の通学路をたどってみました。お良しの家は、西叶神社の近くではなかったので、今回バス停から神社を通って、老舗お菓子屋さんと本屋さんと八百屋さんに囲まれた三叉路まで来たのは、ちょっと違います。バス通りを、緑のおばさん(朝夕の登校・下校時間帯に、横断歩道で旗をもって車と子供を安全に通行させてくれていた)が安全に渡らせてくれて、三叉路まで来ていました。この三叉路から左の方向へまがって、学校へと歩いていました。
この(当時)どぶ川。一部 暗渠になってしまっていましたが、排水溝からでっかいドブネズミが出てきて、サーッと渡った瞬間を目撃して、その大きさに怖くなった記憶があります
なつかしい`女坂’ がまず目に入り、(最初にご説明しました)
K坂小学校校歌から
ろーくじゅーうの だぁんー (六十の段) さぁくらーいろ こーきぃ (桜色 濃き)
にご到着 いやいや、こんなに階段の一段の幅が狭くて、急な階段だったんだなぁ・・・と、やっぱり子供の頃の目線との違いを感じました。
忘れもしない・・・お良しは、1年生になった登校初日、赤いランドセルをしょって、この階段の一段目に足をかけた途端、後ろへひっくり返りそうになったのです 背中のランドセルが重かった・・・それに、身体がひ弱だったのでしょうね
上まで上ってみました!
またまた、校歌から
れーきしにしるぅきぃー (歴史に記き) うーらがぁーの おっかぁにー (浦賀の岡に)
と歌われているくらいですから、高い所にあるのですよ。学校は、斜面に沿うように建てられています。
下のバス通りが良く見えます。でも、お良しと母の記憶では、この階段は、木の枝にけっこう覆われていたのです、昔は。
校門の門柱。ここで朝礼前によく遊びました。
膝小僧を、このゴツゴツした地面ですりむいて、血だらけになり、赤チンを年中つけていた子供でした。どーいうわけか、よく転んで、膝をすりむいていました。かさぶたになると、またケガして、ピキッと割れて血が出て、ほんと、年がら年中、膝に赤チンでした
中に入るわけにはいかないので、校門外から、校内の様子を伺います
大木になった桜の木の向こうに、藤棚みたいなのが確認できましたが、お良しが在学中は、あの下に池があって、東北の方だったかの大きな地震が来た時、池の水が、バッシャン ばっしゃん 揺れて溢れて、みんなでびーっくりしたことがありました
池の向こうにジャングルジムが立っていましたが、今は、お良しが背にしている方向に、カラフルなジャングルジムがありました。
校門に向かって左の端に`モチノキ’、右の校舎の裏に(女坂を上りきったところ)大きな`カシの木’ があったはずですが、二本とも確認できませんでした。旧木造校舎取り壊しと新校舎建築で、なくなっちゃったかな?子供の頃は、嬉しくて、 樫の実を、たくさん拾いましたよ。
階段を下りるとき、ほんとうに60段あるかな?と思って、数えながら下りました。ピッタシ60段ありましたよ!(当たり前~)
階段の下は、日曜日でも結構 車の往来があって、そのせいか、階段の下には、お良しが学んだ当時はなかった歩道と手すりが設けられていました。
階段の前の道路わきで、買ってきたパンと缶コーヒーを飲んでまったりした時間を過ごし、あたりを見回す。
・・・このとき、朝からやんでくれていた雨が、お良しを歓迎しているのか?はたまた追っ払おうとしているのか?再び降り出しました
引っ越して越境通学していたころ、K坂のバス停から、近道して登校した、川筋の谷を渡る階段が、まだ今もありました!うれっしー
向こう側に、たしか、すごい大木があった記憶が・・・ それは、あとで写真でお見せします。
学校へ上っていく二股の道の三角地帯に、そのころからある井戸。まだ在ってくれました~ うれっしー
ここでお良しから真面目な一言
良い子のみなさん(大人のみなさんも)、井戸のふたの上に上って、遊んではイケマセンぜったい ぜったい
はい、これが、K坂バス停から学校へ行く道すがらに立つ、立派な木です。この木は、‘三浦半島巨木百選’ などに選ばれているのではないでしょうか???
まぢかで見上げるとこんなに堂々としています。おもわず触っちゃった 「私のこと覚えてますか?お良しを守ってね、元気をください」と。
この木は、お良しを呼んでくれたように、素晴らしいものを見せてくれましたが、ここへ載せることはいたしません(詫)
バス通りから見た、K坂小学校遠景。子どもの頃の、桜に囲まれた・・・という記憶とちょっと違いますねぇ
でも、入学式には、校内の桜が、新1年生を迎えてくれたことでしょう
HPによると、現在の生徒数は、4百人台のようですが、お良しの在学中は、520人とか言ってましたよ。一時は1300人も生徒がいたようですが(たぶん団塊ジュニア世代)、横須賀市内はどこも1学年2クラスぐらいになっていますね。
女坂から、向かいの山を望む。山桜が綺麗です。桜以外にも、若葉が出始め、柔らかい風合いの景色です。雨にけぶって、それはそれで、風情がありました。
これで、K坂小学校へのお花見レポートは終わりです。
で、校歌についてですけれど、
お良しは、K坂小学校の校歌は、1番はいまだ歌えまーす 小学生の頃って、だいたいひらがなで覚えているから、歌いだしの
れーきしーにしるぅきー が、「歴史に記き」 と書くとは、あらためて知りました。「しるき」ってなんだ と疑問だったのですよ。
それから、お良しは、中学校の校歌がちょっと思い出せないんですよねー
お良しは引っ越ししたので、K坂小学校からは自分一人でKSU中学校へ入学したのです。そこで95%以上を占めていた、KSU小学校出身者から、すかっり洗脳されて?、なぜか通ってもいなかった、KSU小学校の校歌を3分の1ぐらい歌えちゃうんですよー なんでー 中学が思い出せないというのに!! (・・・自分のアイデンティティーに自信がなくなる・・・ )
高校の校歌は、1番はカンペキに歌うことがデキマス(威張)
なぜかというと、高校は新設校へ入ったので、校歌ができたばっかりで、作曲してくださった だれでも知っている有名な先生が、学校へ歌唱指導に来てくださって、熱心に練習したからデッス
また、話が脱線で一話が終わりとなります。最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。