お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市 北下浦地区 長沢編①「県道27号線に掛かる 京浜急行線の高架橋あたり」【後編】

2024年02月19日 09時27分38秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 未だに工事中の「県道27号線」の、ここは京浜急行線の線路の真下

 

 手放す準備中の私の実家を片付け中に さらに写真が見つかりましたので、ここに追加アップします

 

 この場所の拡張工事は「平成時代」初頭に始まったと記憶しています。

 以下の写真の裏側には、「フジカラー ’91」と印字があります

( 平成3年に、「野比写真工房」さんで 現像して写真にしてもらったと思われます )

 

 

 ちょうどいい具合に、あの男性が歩いていく経過が写っています

 

 

 走っている自動車が年代を感じさせます(笑)

 

 

 左に写っている「ケヤキ」の木は

 

 

 

 線路の下はこんな感じで、民家に入っていく小道がありました

 

 

 ※ こちらの写真は昭和の頃に撮ったものです ※

冬になり葉っぱを落とした「ケヤキ」の木。

 

 この立ち位置で振り返って、高架橋を反対側から見ると・・

 こんな感じです

 

 

 

  以上が、2024年2月現在 こうなっている場所のかつての姿でした~

 

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長沢編その①【前編】で載せた写真以外に、この高架橋から先へ進んだ場所の昔の写真を2枚 載せておきます(*^-^*)

 

 

 左端に写っている「庚申塚」は今もあります!

 正面にある「竹で編んだ囲い」が美しくて珍しい・貴重だ と感じて撮影したのでした(*´▽`*)

( 先ほどの高架橋をくぐって、北下浦行政センター前に下っていく坂の途中。三叉路信号の手前 )

※ この写真は撮影年不明 ※

 

・ 同じ場所 

 このブログ記事を書いている頃、2024年3月14日撮影

( 背後の白い壁はマンション )

 

 さらに進んで三叉路信号を右折してすぐ

 こちらは「フジカラー ’91」と裏面に印字ある写真です

 

 わたしが気づいた頃は、右側の建物は「八百屋」さんで 年配の旦那さんがお店にいらしゃいました(*^-^*)

大きな「ケヤキ」は、現在は1本だけ残っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市北下浦地区 野比編 ③ 「野比苑」さんから下方の建物群ができる前

2023年04月30日 16時44分15秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

私は、新聞折り込み広告で得た このような航空写真付きの住宅販売広告を保存してあります

 

★ 1993(平成5年)藤和不動産発行「ライブタウン湘南野比」チラシ ★

三浦半島南東部のこの地域にお住いの方は 見てわかると思います(*^-^*)

 むかって左側が、千葉県房総半島がある方向です。

 

 今回の記事の現場は、この写真の中の

 緑がいっぱいある部分の、さらに

( 赤い線で囲まれたところは関係ないです )

 

 わりかし広大な この緑地帯の昔の様子をレポートしていきます(*^-^*)

 

☆注意点☆

 ・ 手前に立つV字型の建物は「野比苑」さんではありません。

 

 ・ 空からの写真ですと起伏がわかりづらいのですが、V字型の建物は高台にあります。

そこから緑地帯に向かって下がっていく斜面になっています。

 

 ・ 緑地帯の右半分は田んぼであることが見て取れます。

 

 ・ 写真の左側の茶色い線は、京浜急行線の線路です。

 

 

 

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 前回の「富士シティオができる前」の記事でも紹介した踏切です。

富士シティオは踏切の左側に建ちましたが、今回は右側の変遷をご紹介します。

 

 踏切を渡ってすぐに右を見ますと、今はこんな様子です。

左上に先ほど紹介したV字型の建物(マンション)が見えていますよ(*^-^*)

・ V字型の建物は高台にあって、その下、斜面に出来て見えているのが 介護老人保健施設「野比苑」さんです。

 

この同じ場所の昔の様子がこちら

 うわぁ~♡(*^▽^*)♡ 

 通学や通勤の帰りの車内で、右奥に見える京浜急行線のトンネルを抜けてきて この のどかな緑の景色を目にすると、「あぁ~、帰ってきたなぁ~」と、いつもホッとしていた私でした 

 

 踏切だって、こんなに うら寂しい風景でした

 これは夕方に撮影している感じですネ

( こちらの1枚は、他の写真とは季節が違うと思われます )

 

 

 踏切を渡って真っすぐ歩いていくと広がる緑地帯の風景です

 

 

 

 道端の様子

 

 手前はもう耕作していなくて、奥に少し田んぼが残っていました。

 おそらく1980年代の中ごろから後半に撮影したのだと思います。

 

 

 一連の写真を繋ぎ合わせてみると こんな感じかな? 

 

 

 

 広告チラシの航空写真で上から見たら、こんな様子。

 

 

 こちらは私の大事な1枚です♡

田んぼの奥にあった、おそらく当時の地主さんみたいな家の近くで撮った写真です。

けっこう上の方へ上がっていった記憶があります。

桜の木の下に並べてある木(丸太・ほだ木)で、たしか椎茸栽培をしていたと思います。

 

とってもきれいな場所で、まだ20代だった私の琴線にピシピシ触れる 美しい風景がそこにありました・・・  

 この時、「もうこの景色はなくなってしまうんだなぁ・・・」と寂しく思いつつシャッターを切ったのでした。

 

 

 そして、先ほどの踏切を渡って・・・

 振り向いたところの以前の風景は今・・・

 

 

 今は こうなっていますよ~!!!

 

 ・ 上に建っているのは藤和不動産さんのチラシにあった「ライブタウン湘南野比」です。

 ・ 崖を護岸したのは つい昨年2022年のことです。最近までは木々が生い茂って 涼しい日陰を作っていました。

崖下の際には「野比川」の支流が流れています。左方向に山の分水嶺があり、水が湧いて川を作っているのです。その水を利用して、横須賀市野比一帯には水田が広がっていたようです( 地域の長老さんのお話による )。

 

 三浦半島は山が多いので、斜面の崖崩れ対策が欠かせないのです。

 

 

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 以前のこの姿の現在は・・・

 

↓↓↓

 

 V字型の建物の下に「野比苑」さん

 

 

 草地だった所には、ありがたい病院さん

 

 田んぼだった所には 新しく横須賀に住んでくださった皆様の家々ができました~♪♫♪♫♪

 

 もう、奥の方の景色は うかがい知ることができません。あえて足を踏み入れて写真を撮ることはしませんよー(*^▽^*)

 

 

 あ、そうそう! 以前のこの風景。

木の柵から右側は京浜急行さんの持ち物のようですので、今でも緑地帯として残っています(*^-^*)

 

 

  横須賀市西浦賀で生まれた私が、この横須賀市の最南部付近に引っ越してきたのは1971(昭和46)年。

それ以来、この緑地帯だった所を走り抜けていく京浜急行線に乗り続けています。景色は変わりましたけれど、まだまだ緑が多く残って自然を感じられる横須賀市の北下浦地域です

 

  次回もビックリポンな激変地域をご紹介します 


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市北下浦地区 野比編② スーパーマーケットの「富士シティオ野比店」ができる前

2023年04月21日 11時29分24秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 今回からの記事は、激変して昔が なつかし過ぎて びっくりポン!な風景を3連発していきます

 

 

 

 2023年4月に撮影した、現在ある「富士シティオ 野比店」です。

横須賀市野比1丁目にある「富士シティオ 野比店」 「そらいろネット」さんのWEBページを拝借しています

 

 右側にある歩道は、富士シティオができる前は 人一人がやっと歩けるぐらいの幅しかありませんでした。

 

 

  私はこのお店が大好きです 食料品や衣料品、日用品、電化製品、園芸関連などなど、それほどの大規模店ではないのに プチプライス品から秀逸品まで まんべんなく厳選して取り揃えているな!と感じているからです。ほしいものが だいたい揃っています

 

 おトイレはとても清潔。

 

小さいけれど美味しいイートイン・コーナーもあり、マクドナルドⓂ️🍔🍟、100円ショップ・セリア、クリーニング店などなどもあります。

屋外にはテーブル席も完備されて、私は買った物や自宅から持ってきたお弁当なんかもそこで食べさせてもらったりしています(*^^*)

 

 店員さん達は人情味のある方が多い印象です。 

ちょうど「富士シティオ」の前にバス停があるのですが、高齢女性が路線バスに乗るのを手助けしているところを目撃した時は感動しました(*´-`)

 他に「送迎バス」もあります。

( 万が一ご一緒に仕事する間柄になったら怖そうな人もいるケド(笑))

 

 それら全体が、なんだか のどかな雰囲気があって落ち着くんです(*^-^*)

 

 

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 1992年に私が撮影した かつての風景です。

 

 こちら、その時( 1992年 )カメラを構えて撮っていた場所です。

 京浜急行線の この踏切付近から、向かって左側にあるススキ野原を撮りました。

( もちろん線路のど真ん中に立って写したのではありませんよ! 誤解なきよう願います )

 

 

↓↓↓↓↓

 

 

 その踏切の現在の様子はコチラ

 この1992年と同じ踏切から 富士シティオが建ったススキ野原の方を見ても、家々があるので判別できません。

 

 

 踏切を渡って さらに奥へ歩いて行ったところから見てみますと・・・

 こんな様子になりました(*^-^*)

 

 最奥にチラッと見えるのが「富士シティオ」です。

 

 

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とりあえず、以前の風景を列挙してみます(*^^*)

 富士シティオの前を通っている「国道134号」から西の方向を見た風景。

ここを深~く掘り下げて、地下1階・地上2階だてのスーパーマーケットが誕生しました!

( 2階部分は駐車場 )

 

 

 同じ角度で踏切の手前から、京浜急行電車を見ながら。

 

 

 踏切を渡ろうとして 南の方向を見たところ

 

 

 ちょっとアップで。

 右側に京浜急行線の線路があります。

( 画面の右奥に木々が見えていると思います。後ほど あの辺りから撮った写真を載せます )

 

 この写真の左奥に写っている「整形外科」の建物は、現在もあります

 ・ 反対側の角度から2023年撮影 ・

 

 ここは田んぼだったようです。

初冬の頃に何度か、10人近い地域の方々が このススキを一斉刈り取りしている風景を見たことがあります。

ススキが刈り取られた跡には、田んぼの畦がくねくねと出現したことを憶えています(*^^*)

 

 

 

 踏切を渡って、生活道路から東側を見たところ。

( 奥に写っている電信柱は、「国道134号」に立っているものです )

 

 同じ所から少し右にカメラを振ったところ。

 

 

 もっと右にカメラを振ったところ。

 この角度が先ほどの写真ですね、これ

 

 

  こちらは 先ほど述べた「木々がある場所」から撮影した写真だと思います。

 

 

 高い角度から下に見て撮った写真は、実は線路わきの生活道路にあったアパートの2階部分へ階段で上がらせていただいて撮影したものです(#^.^#)

 

 その、かつてあったアパートの前の木々は 今でも少し残っています。

 

 木の下から見ると、今は このような景色となっています

 

 

 

 実は今回の記事を書くにあたって現在地を訪れた日、私にはよくある幸運なことが起こりまして幸せでした!

 写真を撮りつつ歩いていたら ご自宅前でくつろいていた地元のダンナさんたちに声をかけていただきまして、なぁーんと! ご主人様がご自宅の「外階段に上って撮れば~」と言ってくださり、撮影させていただけたのです 

 本当に助かりました!どうもありがとうございましたうれしかったなぁ~

 ダンナさんたちも、「昔はこんなに家がなかったもん、ずいぶん増えたよねぇ」とおっしゃってました(^o^;)

 

 

 

 かくして、ススキ野原が広がっていた 田んぼの風景は~ 

 

↓↓↓↓↓

 

 

 

 このようになりました~

(ご親切な男性宅の階段から見下ろした景色 )

 

 

 先ほどとは別の踏切、通称「大作の踏切( おおさくのふみきり )」から北の「富士シティオ」がある方向を望む。

 この線路の右側一帯が、かつて水田でススキ野原だったわけでした

 

ススキ野原は、きらきら キラキラ輝いて、ほんとうに綺麗な風景でしたよ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

\(^-^)/ 富士シティオさ~ん、こんな田舎っぽい町に来てくれて、どうもありがとう~ これからもよろしくお願いいたします

 

 

  それにしても、、、比較写真をわかりやすく載せていこう!と考えるのは難しいなぁ  疲れた~ 

このあと記事2本、続くかなぁ   自分で勝手にトライしておいて愚痴

 

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 私は、新聞折り込み広告で得た このような航空写真付きの住宅販売広告を保存してあります

 

★ 1993(平成5年)藤和不動産発行「ライブタウン湘南野比」チラシ ★

三浦半島南東部のこの地域にお住いの方は 見てわかると思います(*^-^*)

 

 今回の「スーパーマーケット・富士シティオ」の記事の現場は、この航空写真の中で

 こちらの緑地帯のうちの左上にある

( 赤い線で囲まれたところではないです )

 

こちらの昔の様子をレポートいたしました~!

( 赤い線は記事とは関係ありません )

 


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市北下浦地区 野比編① YRP野比駅前

2023年04月19日 10時17分50秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 京浜急行線「YRP野比」駅前の風景です。

商店会のみなさまは頑張っておられますが、以前を知る者としては「商店街」というには 寂しすぎる風景になったと感じています・・・

 ★ 2023年4月撮影  ★

 

 

 右にある コンビニエンスストアやお医者さんが入居している建物の、建築中の写真があります!

 

 

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 いつ頃 撮ったのかな? と思って、現在の建物の「定礎板」を見に行ってみたら 

 

 「平成元年」は1989年なので、撮影したのは昭和末期のようでした。

 以前ここに何があったのかは忘れました・・・(;^ω^) てへへ

 

 

 この時代以前、たしか この道路を奥に行った先に「セブンイレブン」があったと記憶しています。

 

そのセブンイレブンが開店する前は「魚屋」さんで、店先に大きな「葦簾(よしず)」を立て掛けて大勢の店員さんが賑やかに販売していたことも憶えています(*^^*)

 

 個人経営のメガネ屋さん、「神戸屋」のパン・お菓子屋さん、「PASCO(パスコ)」のお店で手作りパイ屋さん、酒屋さん、お肉屋さん、お赤飯が美味しい和菓子屋さん、文房具屋さん、洋品店店などなど、今は無いいろいろな商店が並んでいました。

 

 母も私も、人情溢れるお店のみなさんとは顔見知りになって大変お世話になりました。

 

 

 そして、この写真を見て思い出しましたが 駅前にも、形態がコンビニに近いお店があったのでした。

なつかしいなぁ~!

 

 

 ・ 右上の白い建物「八百政」( やおまさ )さんには母も私もたいへんお世話になりました

 ・ 「野比写真工房」さんの先代さまにも、写真好きのお良しは たいへんお世話になりました

 ・ 「ヨコシン」は今、「湘南信用金庫」さんが入居して営業しています

 ・ 農協さんは 昨年2022年に閉店しました

 

 

 

  赤と白色の京急のバスも昔のだなぁ!

 

今はこの色のバスは見かけなくなりましたが、ちょっと座席が良くって 乗り心地が好きでした

小学校の遠足や社会見学に行く時には、この赤白のバスが用意されるので 大喜びしたお良しでした♪♫♪♫♪

 

 


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市北下浦地区 津久井編④ 台地の畑道にある庚申塚

2023年04月18日 12時34分51秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 撮影年・2022年秋のお姿です(*^-^*)

( 投稿時も同じ姿です )

 

 この道を先に行くと京浜急行線の「津久井浜」駅へ行けます

 

 

↓↓↓

 

 

 ・1990年代後半ごろ撮影・

 

 このころは「白黒」の写真に凝っていたので、こんなふうに撮った私デス(*^^*)

 

 多くの庚申塚や石碑、お社がそうであるように、かつては背面に木が植えられていました。

 

 これを撮った時よりもずっと前、1986年頃にサイクリングで来た時には、 青々と葉っぱが茂った大きな樹の下の神様仏様たち という印象だったことを憶えています。


🌸桜🌸 わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市北下浦地区 津久井編③ 津久井浜駅の「浅間神社」の桜 🌸

2023年04月15日 20時49分46秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 こちらの写真は、おそらく1990年代の半ばから後半に撮影したと思います。

 まだ木がとても細いです(#^.^#)

 

 

 こちらは2000年代に入ってからですが、確たる撮影年は憶えていません。

そのうちネガが見つかると思います(*^^*)

 

 

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 駅裏にある 氏神様 浅間神社の境内にありますが、当時は3本だったと記憶しています。

 

 その後、画像の向かって右に 若木が1本植えられました。背が低くても 花を咲かせてくれる若い桜でした。

 

 

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 それがみるみる育っていき、本年2023年の3月の様子はコチラ 

 

 

 

 この写真では もっとも手前が、昔は無かった若い木です。

 

 

 

 

 

 

 樹齢が古い木は こんな感じ

 

 

 もっとも拝殿に近い木は 中が 少し空洞~

 

 

 以前に別の記事で書きましたが、境内に京浜急行線の駅があります。

車窓からは 上からの桜が ぱぁ~っと見えて 素晴らしい景色ですよ~(*^▽^*)

 

 

 神社の境内から離れて、道路の方から見た様子です( 反対側の角度 )。

 いちばん左が若い木。

 

 

 「浅間神社」の氏子の方々や 地域のみなさんに大事にされて、毎年きれいに咲いてくれる ちょっとした華やかな桜さん達です

 

 

 

 

 

 


ここらで休憩【番外編】 わたしが撮ったんじゃない昔の写真 ★ 夫の父か母が撮った、東京湾フェリー家族写真♡

2023年04月15日 16時14分45秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 2023年から遡ると、約53年ぐらい前の写真でしょうか???

 

 この当時まだまだ採石中の「鋸山」( のこぎりやま )が、ちゃんと背後に写っています☆彡

 

 

 

 東京湾フェリーの船上で かき氷をほうばる、我が夫 と その弟さんです(*^▽^*)

 

 親が、子を写真に収める。 さすが、愛情がこもった写真だなぁ  と感じます(*^-^*)

 

 

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 現在の、千葉県側の発着所「金谷港」のゲートです 

 

 

 現代では、妻のお良しちゃんが アイスコーヒーとパンなどを食べています(≧▽≦) 

 

今も昔も、船はちょっとしたワクワク旅ですネ 

 

 

 


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市北下浦地区 長沢編③ お祭り行列、踏切を渡る!

2023年04月15日 15時37分32秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 

 京浜急行線の「YRP野比」駅と「京急長沢」駅の間を走る電車

 

 その区間に小さな踏切があります!

 左の踏切に入る道は、車が通るには1台分しか幅がありません。

 

 

 ここは長沢地区の3年に一度の大祭りの日には、長い行列が通過しなければなりません。

長沢の5町内分の山車とお神輿、そして人々が渡ります!

( 京急さんとしては、無理に通過してもらわなくてもイイデスケド と、思ってらっしゃるかもしれませんね?? (笑))

 

 

 この場所の平成時代の様子はこちら

1998年3月28日に営業運転を開始した「京急2100形電車(けいきゅう2100がたでんしゃ)が写っているので、そのあとに撮ったのでしょう。

 

  ↓↓↓

 

 

 今でも毎回、京急の社員さんたちが 誘導指示してくださいます!

( 子ども神輿もあるけれど、踏切内では 子どもだけ先に行かせて大人が運びます )

 

 

 7月の最終日曜日に開催されるので とにかく暑い暑いのですよ~~~

 

 草木が生えて「木陰」を作っていた この現場も、今はこのように変わりました

 

 徐々に風景が変遷してきたので 中間の時代の景色もあるのですが、写真整理が追いついていませんので またいずれ追加します(*^。^*)

 

 

 こちらはお祭り行列の写真より前の1991年 (平成3年)の様子です

 

 

 

 そして、今も 線路わきの斜面を直したり 木・竹を伐採したりして変貌し続けています。

 

 京浜急行線 YRP野比駅の南側にある踏切でした(*^-^*)


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市北下浦地区 長沢編②  なつかしの「台 町内会の幟小屋」( だいちょうないかい の のぼりごや)

2023年04月15日 11時11分55秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 今回の記事は激変しすぎてわかりにくい写真ですので、「一発勝負」という感じの載せ方をしまーす

 

 この写真の右端に印字されている年月表示は これを焼き増しした時のものですので、実際に撮影したのはもっと以前です。

おそらく1981~1985年の間です( 昭和56~60年 )。

 

 

↓↓↓

 

 

 現在は大規模道路建設工事中現場となっています!

 これを撮影するのに私が立っている場所は 立ち入り禁止フェンスの外でして、まだこの目の前の道は歩くことができません。

 

 むかしの写真の右端にちょこっとだけ青い軽トラックとともに写っている茶色い家が、この写真では左端に写っています。

 

 立ち入りできないので まったく同じ角度からは撮影できていないのですが、あの 神社の祭りで使う幟の「幟小屋( のぼりごや )」があった場所は 10m以上掘削されてしまいました。

 

 左側に写っているコンクリートの建造物群に激変しました~

 

 

 「神社のお祭りの幟小屋」は、他の場所に移設されて そのまま現役で使われています

 

 今の幟小屋前でも 昔の幟小屋の前でも、夏祭りの夜には 町内会の人達による「手作りの夜店」のテントが張られて、子どもも大人も地べたに座り込んで 楽しく飲み食いする風景がありました。


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市北下浦地区 津久井編②「浅間神社石碑」

2023年03月13日 14時35分45秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 京浜急行線の「津久井浜」駅前に石碑があります。

( 2023年1月撮影 ) 

 

 

 この左手の奥に鳥居と30段ぐらいの石段があって、その上に本殿が立っています。背後に写っている小山の中腹です(^-^)

 

 駅の裏側の浅間神社は、富士山の神を祭ったもの。この社殿は当初、三浦富士の入口にありましたが、昭和3年に現在地に移されたようです。

( 昔の場所については、このブログ内でどこかに記事にしてあります )

 

 後ろに高架の線路と鉄塔が写っていますが、境内に敷設して1966年(昭和41)に「津久井浜駅」が開業したのです。

なので、神社の石碑と本殿の間、つまり境内に駅がある形になっています。

 

 

 平成時代の後半のいつだったかに写した、同じ場所の姿です(^-^) ↓↓↓

 木があって、9月になれば このような「ヒガンバナ」が綺麗な彩りを添える風景でした。

 

 

 

 

▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦▦

 

 

 線路の向こう側に4本ある桜がまもなく開花しますよ~

 一年でいちばん、「津久井浅間神社」と津久井浜駅が華やかになる季節がやってきます(* ´ ▽ ` *)

 

 満開になった時に、昔の満開写真と今年の満開写真を あらためて投稿しますよーん


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市 北下浦地区 長沢編①「県道27号線に掛かる 京浜急行線の高架橋あたり」【前編】

2022年10月02日 16時51分11秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 このあたりは、昔からの道を拡張して 大規模な道路を作っている最中です。

 

 計画が知らされた頃、わたしは消えていく素朴な風景を惜しんで ここを記録しておいたのです。

 

 以下、古い写真は昭和の終わりころのものです(*^-^*) ( 1980年代中頃までに撮影したと思います )

 

 最初の電車の写真を撮った場所です 

 現在 この畑は道路の真ん中になっているので、最初の写真とは立ち位置がちょっとズレていますけど・・・。

 

( 実は この畑の持ち主様が立ち退き前にお住いの時、私は訪ねて行って 昔の長沢はどのような様子だったのかとか、暮らしぶりのお話をお聞きしたのですよ。「遠慮はいらないから どんどん写真を撮っていいですよ」とご夫婦が言ってくださって、ありがたくお住まいの敷地の中まで記録写真を撮らせていただけました。写真は ご本人たちに差し上げてしまって手元にはありません。残念ながらネガも残っていません。私の頭の中にだけ、貴重な映像がしまってあります

 ※ 注 ※ 無理やりお訪ねしたのではなく、だいたいいつもお宅の前で作業されていて ご挨拶をしていたので その流れでたまたまお邪魔したのです。念のため

 

 

 その線路を引きで見た この場所は、昔は・・・

 

 

 昔ながらの道の脇にケヤキの木がありました。

現在の道路の真ん中あたりでしたかね?

 

 

二つの写真を合体させると 当時の風景がわかりますよ

 ほぼ こんな様子でした(#^.^#)

 

 なつかしいなぁ!!!

 

 

 そのケヤキを反対側から見た景色です

( 高架橋の下 あたりに立って写しています )

 

 この風景を今見ると こんな感じ

 奥に続く昔の道は残されました

 

 ならば、この現在の写真で 車が通っている場所はどうだったかといいますと、当然 民家は立ち退いたり 後ろへ下がったりして再建されました。

 そこがどういう感じだったかといいますと

 こんな感じでした。私の初代の愛車( 自転車 )が写っていますよ(*^▽^*)

 この脇道から入った所の風景がお気に入りでした♡

 

 

 入っていった先にはこんな静かな道が続いていました。

いま思い出すと、近所の女性だと思うのですが、車がほとんど通らないここで、自転車に乗る練習を懸命にされていたのを憶えています。

さすがにそこを自転車に乗ったまま追い越すことははばかられましたので、その時わたしは引き返しちゃったような記憶があります(;^ω^)

 

 この写真の奥の方に、高い木の枝が見えているのが おわかりになりますか?

 

 冬枯れの頃に撮った木です。

本当に本当に高い木で、わたしはここを通るたびに この大木に挨拶をしていたぐらい 神々しいお姿をしていました‼

 

あの木のところで道は左右に分かれていきます。

左右の道の端っこの方は今でも残っています。

とにかく、ここを中心付近として左右をドカーンッと拡張した印象です。

 

 

 なので、大木が立っていたそこも今や・・・

 こんな感じになっています。

信号機の所に、左右に入る道が残っています。

 

 この写真を反対側から、、、つまり 大木のあった辺りから 大木の目線で見てみますと こんな感じです

 奥に京急線のガード(高架橋)が見えます

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 それで、この写真を撮るのに私が立っていた所のすぐ左側に 分かれ道がありまして、そこは途中から残されました。

 

 そこの道は、今はこんな感じです

 

 

  まとめ 

 

 ケヤキの木があった 高架橋下あたりからの昔の道は、拡張されて 当時の畑や建物があった部分は今や道路上です。

 

 緑色線で示したルートが 往時の道です。左側へ入っていく道は 残されました。

 

 

 とにかくなつかしいです!!  

 

 他にも写真が残っているのですが、個人の民家の様子なので 今のご時世に鑑み、載せません 

 

わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市 北下浦地区 長沢編①「県道27号線に掛かる 京浜急行の高架橋あたり」 【後編】に続く 


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市 北下浦地区 津久井編①「岩船地蔵」

2022年10月02日 08時09分29秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 京浜急行線の津久井浜駅を降りてすぐ、海側にあります。

 

 向かって右側は庚申塔群ですが、左側にある2体のお地蔵さまは「岩船地蔵」( いわふねじぞう )といいまして、水難除けと航海安全を祈るものであるそうです。

 海の方向を向いて立っていらっしゃいます。

 

 こちらのお地蔵さまがそうです(*^-^*)

 

 貝の首飾りをたくさん掛けているのは、無事に航海から帰ることができたお礼参りに奉納する習わしがあるからです。

 

 実は、この写真にある首飾りの一部に 私が5年前( 2017年)に初めて小笠原に長旅したときのお礼に掛けた「貝の首飾り」があるのですよー(#^.^#) てへへ・・・

( 首飾りに使った貝殻は三浦海岸の端っこの磯で拾ったものです )

 

 お地蔵さまは 船の上に鎮座していらっしゃいます!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そして ここから下は、私が1990年代後半か2000年代か(?)に撮った 同じ場所です

 

 

 この頃、左側の立ち姿の方の「岩船地蔵」さまの首が 時どき外れて地面に置いてあることがありました。

 昔は・・・、といっても建立当時の頃以降しばらくの間だと思われますが( 享保五年(1720)に建立、宝暦四年(1754)に再建された。)、海に出るときにこのお地蔵様の「頭」( 首 )を持っていったらしいのです。

 

 それで、無事に帰ることができると 首をお返しするとともに貝を供えた ということです。

 

 最初に目撃した時は意味を知らず、「ヒドイことする人がいるものだ」とびっくりしました。現在はセメントで胴体としっかりつないであります(^o^;)

 

 

「青面金剛」などの、往時の姿です

 

 

 上の2枚の写真を合わせると、以前は このような配置でした

 

 「ヒガンバナ」が咲いていて、この記事を書いている今の時期と同じ頃であることが「縁」を感じさせます(*^-^*)

 

 岩船のお地蔵様、これからも海の安全をどうかよろしくお願い申し奉りマス

 

 横須賀市津久井「岩船地蔵」 ふるさと横須賀 解説第193章

 

 

☆ 新たな写真が見つかりましたので、追加UPします ☆ 

 

やはり1990年代後半だと思います(#^.^#)

 

 


三浦半島 北下浦地区、わたしが撮った昔の写真  ★ 「通研通り」その②

2022年06月21日 09時22分34秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 1回目の「通研通り」の投稿にも、1枚目の写真( 最近ようやく実家から見つけだしました) を追加してありますが、ここに新たな記事として収めておきます。

 今回載せた写真は、同じ場所をほぼ同じ角度で見ています。

( 横須賀市長沢 側です )

 

 

 1977(昭和52)年の元日に撮影した写真です。

 

 今や毎年桜が美しく咲く大きな道路となっていますが、当時は両側が田んぼの峠道でした(*^^*)

 

 この時すでに「電電公社の通信研究所」は てっぺんに建っていました。

 

 新舗装になってまもない頃の様子です(^-^)

 

 

 

 2020年の4月に撮ったものです(*^-^*)

 

 

『お良しなさい日記』内、1回目の「通研通り」の投稿記事へ

★ 私が撮った昔の写真シリーズ「通研通り」は、私と両親が毎年元日に ここを通って「武山不動尊」へ初詣登山していた時の写真を発掘して記録しています(*^^*)


三浦半島 北下浦地区、わたしが撮った昔の写真   ★ 「三浦富士」( 横須賀市長沢から望む )

2020年10月25日 21時00分52秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 高校時代、修学旅行に行く時に カメラを両親に買ってもらってから好きになった 写真撮影。若い頃 何気に撮った風景写真が、今見るとなつかしく、ある意味 ` 貴重な記録 ’ となっていることに気づきました。

 

 ★ 三浦半島でもっとも高い山は「大楠山( おおぐすやま )」です。242mあります。

三浦富士は 連なる「武山・砲台山・三浦富士」の三山の最も東にある山で、標高183mです。

 

「富士」の名を冠している通り、浅間神社の奥宮の祠が頂上にあります。それで、下から仰ぐと、現在は突出したイチョウの木が目印となっていますね~。今回の記事は、そのイチョウがまだ目立たなかった頃の三浦富士の姿をお見せしたいとおもいます(*^-^*)/

 

 こちらは今年2020年の6月に撮った写真です。

わたしが名付けた、若葉が浮き出た特徴的な模様「農鳥( のうとり )」が頂上の右下に見えています。本家の富士山にも、雪解けの頃に浮かび上がる 白い鳥の模様が見られるのですよ~。

 

 三浦富士の「農鳥」ですが、先ごろ確認してみると、葉っぱが茶色く変色しています。6月に若葉で見えていた一部は「マテバシイ」で、どうやら「ナラ枯れ」で枯れちゃったのかもしれません。なので来年からは「農鳥」模様は見ることができないかも? 残念 無念!(>_<)

 

 そんな三浦富士の、てっぺんにあるイチョウ。

この記事を書いている当日の朝です。毎度の風でだいぶ葉っぱがなくなっているみたい???

なにせ吹きっさらしですので、黄色く紅葉した姿をほとんど見た記憶がございませんデス(;^ω^) 

 

 ★ はい!前置きが長くなりましたので、昭和57~60年ごろの三浦富士へタイムスリップします~!

 

私の中で、` ここからの三浦富士がいちばん好き♡ ’ という地点から見た雄大なお姿です。

 ・ よく見ると、ふもとに 長沢中学校がまだ無いですか? ・

 

 

 

 

 

 

 

今はめったにこんなに雪が積もることもなくなりましたね。

 

 長沢にある「天照大神神社」下から望む。

このころは まだ田んぼがありました。子どもの頃の3月か4月、遊んでいてここへ落っこちまして、ひどい目にあいました(>_<)

 

 

 ★ 申し訳ございませんが、春の写真がみつかりませんでした(>_<)

かわりに夕焼けをどうぞ ↓

 

 

 どの写真の三浦富士も、頂上の左端に見えるイチョウの木よりも その右側のこんもりしたところの方が高く見えているのです。

こんもりしたところ、というのは奥宮の祠の背後に植わっている常緑樹たちで、北風を防いでいます。

 

 現在の三浦富士のイチョウの木は、成長して海上からも確認できるほどです ↓

 おわかりになりますか?

東京湾フェリーの舳先の上の方、山の頂上に目立った切れ込みが見える、あれがイチョウの木です。

右の方の鉄塔がある山は、三浦半島で2番目に高い「砲台山( ほうだいやま )」です。

 

 東京湾フェリーの船上から、手前の「千駄ヶ崎の山」の向こうに顔をのぞかせる「三浦富士」頂上

 

 

★ もう一度、昔の写真へ戻ります ↓

 わたしがお正月に撮った1枚。

写真の下に印字されている「86」という年号は、この大きさに焼き増しした時のものです。撮影したのは昭和57~60年の間のどこかです( 1982~1985年 )。

 三浦富士の北側の麓、登山口からちょっと入った所にある祠です。この記事のシリーズ①の「通研通り」の回で書きましたが、私の家族は毎年元日に「武山不動 → 砲台山 → 三浦富士 縦走初詣」を続けていましたので、その時に上から下りてきて写したのです(*^-^*) 画面の奥の方に、三浦富士頂上への山道が見えています。

 

 たしか、三角形の石に這う葉っぱがきれいだなぁ~、と思って撮ったのでした(*^-^*)

この場所へは20年以上行っていませんねぇ・・・、一度 大雨のために 大水が流れて荒れちゃった時がありましたが、今は地元のみなさんが管理していらっしゃるのかな?行ってみたいなぁ!

 

 ★ ついでに「武山」のお不動様への登り口の様子もご覧いただきたいと思います。↓

 NTTさんの通信研究所とほぼ同じ高さの所に祀られている「前不動」と仏様、のお正月です。

1995年( 平成7年 )かな。

 

 こちらの写真はもっと古く、昭和50年代のいつかです。

奥にお墓のようなものが見えていますが、あちらが「前不動」様です。横須賀市野比の大作に建っている不動明王と同じです。

 

 それが今や・・・↓

 藪と化しています! 中を覗いてみると、台座だけが残っていました。不動明王さまは何処へ行かれたのでしょうか~!!!???

 通信研究所方向から登っていく道は、以前は急登ぎみで足元が良くなかったので、今は 一般人の通行不可になっているのかもしれません。武山と砲台山の分かれ道の地点に、確か「こちらはハイキングコースではありません」という看板が立ててあったと思います。

 我ら家族は良い時代に初詣ができたのですね!

 

 

 よく晴れた一日のおわり、この日の三浦半島の日没時刻16:58直後の三浦富士。

太平洋の水平線に沈みゆく太陽が最後の光を放って、まるで三浦富士から炎のような赤い光が上がっていました。ほんの数分間の出来事でした。あっという間に暗いとばりのなかへ三浦富士は沈んでいきました・・・

 

【 まいどおなじみ、オマケの写真 】

 私が立っている地点は、横須賀市野比。

「野比橋」から、昭和の終わりごろ。赤い電車の右上の山を崩して家が建つというので、慌てて記録した1枚です。この時すでに樹々の枝下ろしが済んでいたので、上の方がスケスケしていますね。

左の山も平成の中頃に崩されて、家が立ち並んでいます。( 家が立っている後ろに「野比川」が流れていて、その向こう側は横須賀市長沢。 )

 

 そして、あの赤い電車の向こう側の線路下がこちら ↓

 山を崩す前の竹やぶ下、涼しかった道です(*^-^*) この道は今もありますが、景色がすっかり変っちゃって、なつかしいですね~。( 横須賀市長沢 )

 

 北下浦地域の写真は まだまだあるのですが、あまりにもご近所すぎて、お見せする価値が無いと思います。ひとまずシリーズを終わりますが、横須賀市図書館へ行くと大きな写真集があって「これ、いったい長沢のどこ?」というサッパリわからない昔の風景写真も見られます。よその家(長沢の旧家)で遊んでいた子どもの頃、そういう写真をたくさん見せてもらいましたが、もう失われてしまったようです。

 

 みなさまの家に古い写真がございましたら、ぜひ 出る所に出して、日の目に当てていただきたいです! 変な文章

 

★☆★ 地図検索サイトの「地図ナビ」というところで、現在と1972~1974年頃の航空写真の比較を見つけました!リンクを貼っておきますので、よろしかったらご覧いただきたいです。

「YRP( 横須賀リサーチパーク )」がある辺りは、「YRP野比駅」から左上へ画面をスクロールしてくださいませ。

 地図ナビ 京浜急行久里浜線 野比駅周辺 地図&航空写真

 

 

 🟪 最後に・・・ この最後のシリーズ記事を仕上げようと決めていた今日、ふと思いついて、「野比海岸」の記事に登場していただいた とても詳しいご長老様のもとへ行ってみようと出かけました。

そうしましたら お姿がみえません。私がお訪ねするのが一歩遅く、去る10月9日にお亡くなりになっていたのです。

 

さみしい、本当に寂しくなりました。

 

ぼやぼやしている時間はありませんね。

 

 最後までお読みいただきありがとうございました


三浦半島 北下浦地区、わたしが撮った昔の写真   ★ 「YRPができる前」その③  祝!完結編

2020年10月18日 20時00分23秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 

 おかげさまで とんとん拍子に物事が明白になりまして、YRPができる前に撮影した写真の人にお会いして、昔のお話を伺うことが叶いました。なんと なんと なななんと ご夫妻そろってご健在でいらして、三十数年ぶりに再会することができたのでアリマス 

 

 本日2020年10月18日㈰、今日が雨降りでなくてよかった 良かったということで、愛車・サンシャイン号にまたがって長沢の「峯(みね)」地区へ取材敢行しました~。個人情報保持や詐欺が横行するこのご時世なので、身分を証明するものを携帯していきました アッハッハ

 

 家から走り出してすぐに出会った「第一村人」(失礼f(^_^))。畑で農作業中のダンナさんに声をかけてお話をお聞きすると、そのお方はまさしく先日地元民の女性が教えてくださった「○○○○さんご本人」

 

○○○○さん、苦笑いしつつ → 「えへへ、なんだよぉ  ○○○○は俺だよぉ。おっかないこと聞くなよぉ

わたし → 「えーっ まさかご本人様にお会いするなんてー

○○○○さん → 「この後姿は俺じゃないような・・・??? ウチでは軽トラで野菜を売りに歩いたことはなかったから、この人たちは××××さんじゃないかなぁ?ウチの奥さんに似てるって言われてる人なんだよ」

 

( ○○○○ とか ×××× とかは、「屋号」で呼んでいます )

 

 ★そして、さらに走って 14日にお会いできた 私より10歳以上年下の女性の家へこんにちは! ← まったくご迷惑なお良し(;^ω^) すみません

 

そこで、その女性のお母様も一緒に写真を確認してくださいました → 「この人は××××さんよ、きっと。大柄な人です。今もご主人様とお二人ともいらっしゃいますよ!」

私 → 「えーっ じゃぁ、お会いすることができるかもしれないんですね わぁー、信じられない」

ここで、来客の地元のおかあさんも登場 → 「あぁ、ちょっとわからないけど、そうかもね」

 とにかく、ここまでお会いした皆一同、昔の面影写真にびっくり仰天 YRPができる前の懐かしい話に花が咲きっぱなしで、広々した山里の中だから「三蜜」にはならずに意気投合 という感じで歓談の時を過ごしました。お母様は地域のことにたいへんお詳しくて、とても参考になりました!「深井」は「ふけぇ」と発音したとか、その上にあった「杉釜の堰」は「すがま」と言うなど、非常に興味深く拝聴した私です(^-^)

 

その頃にはもうお昼時間になってしまったので、私はひとまず三浦富士が望める高台で手弁当を食べて休憩~。

 午後1時になるのを待って、いざ!教わった××××さんちにレッツゴー

 

 すると、なんとなんと 間違いなく やっとこさっとこ無事、お二人にお会いすることができました

 

 ご主人様 81歳、奥様 77歳。撮影当時の奥様は41歳ぐらいということで、ご本人もびっくりして笑っていました(*´▽`*) ご自分たちの写真に、とにかく「なんでこんな写真があるの」と青天の霹靂のご様子でした。どうもすみません f(^_^)

 

 ありがたいことにお家に上がらせてくださって、約1時間 いろーんなお話をお聞きすることができました。驚くことに、お二人とも私の両親のことをよく憶えていて・・・というか、旧知の間柄に近いぐらいの関係で、わたしはただただ驚くばかりでした。奥様の方は私のこともいろいろ憶えていて、私の若い頃の恥ずかしい行状も暴露されました 忘れてくださいましーーー!!!!!

 

 あ、そんなことはどうでもいいのでした

 

   写真&私の記憶 解決 

 

【 火燃しをしているこの写真 】 

 

・ むこうの山際に見えている切り株、あれは田んぼにかぶさって陰を作っていた「ウルシ」の木を切った跡で、この日それを燃やしているところでした。ご主人様はこの時のことをよく憶えていらっしゃるそうです~。

・この田んぼの名称は「大田( おおた )」、1枚が広めの田んぼだったそうです。まっすぐに植えられた苗は、手で植えたのだそうです。

・向かいの山は木の葉が落ちて堆積し、栄養豊富なふかふかの土壌でした。この田んぼとの境に細長い畑を作ったら、大きな大きなジャガイモなどができたということです。山をぐるっと巻いて上へ良質な土を採りに上がったりしたそうです。

 

【 こちらの堰からの水汲みの写真 】

 

・火燃しをしている田んぼのすぐ隣にあった貯水池

・作物がない冬枯れの時期に水汲みをしているということは、奥様の記憶をたどると「おとーさんが燃やしてる火を消すために水を用意していたんだと思う」ということです(*^-^*) なるほどー!♪

・バランスをとるのが難しかった この天秤棒で担ぐ桶。お家の裏にまだこの「ポリ桶バケツ」が置いてありました!ご主人さまもご自身でビックリ懐かしがっていらっしゃいました~(*´▽`*) 私も大喜び

・この場所に本来あった「深井堰」では、フェンスが無かった時代には、魚釣りに来る人が多かったとのこと。道も狭く、車は池に落っこちそうになるし、大きな農機具は搬入できなかったので、農作業が大変だった。フェンスの設置とともに道幅も広がり、助かったとのこと。

・この写真で、左側に わたしの母が立っている場所よりも高い所に田んぼが見えています。堰の水より高いので、この道の地下に送水パイプを通して堰から給水していたということです。

・堰 自体の水はどこから溜めていたかというと、火燃しをしている写真の前に見えている山からです。地域の皆で協力して送水パイプを引いたとのこと。大変な作業であったらしいです。

 しかし、山から流れてきてすぐの水はとても冷たかったので、そのまま田に入れても稲が育たない。なので、田んぼの脇に土を盛った土手を造って 一旦そこへ水を溜め、お日様の熱で温めてから田んぼに入れた、というのです。お米を作るというのは大変な手間がかかるんだなぁ!と、みなさんのご苦労に敬意を感じた私です。

 

 その 水を生み出していた山は「大塚山( おおつかやま )」という、なんと当時標高130m以上! 山の際に沿って滝も存在したほどの水脈があったというのです! 一部は隣接する粟田の方向へ流れていたので、以前 わたしが野比の酒屋さん「東山崎屋」さんの大旦那さん(現在90歳近く)から話を伺った→「粟田道は泥道で車のタイヤがとられて大変だった」という地盤も納得です。

 

××××さんのご主人いわく → 「野比川の源流というわけです!」

 

・前々回の記事で「母の頭の位置の向こうの草むら上にお花畑があった」と書きました。奥様の話では「荒れたままにしちゃった普通の野菜畑」だったということです(*^^*)

 

古い地図をご覧ください 

 青い字で書いた「水の流れ」にも沿って、田んぼがあったのだそうです。画像がわかりにくいですが、この地図(昭和59年版)にも点線で田んぼが記されています。

 以前のこの堰の水門を開けると、現在の「しらとり園」がある辺りまで 一気に田んぼの水を供給できたということです!

 

【 古い地図 解説 】

・左上にある堰は、現在の「YRP 水辺の公園」付近。「杉釜」と書いて「すがま」と言う、杉釜堰です。ウナギも生息していたんだとか。捕まえて食したそうです(^з^)-☆ これを一部潰して使えなくなったため、代わりにYRPテニスコート下の「長沢の入地区」に新しく堰を造った。

・右端の赤い丸で示した「四ツ田稲荷」は、なんと移動せずに同じ場所にあるという驚きの新事実です! 私の10歳以上年下の女性のお母様も、○○○○さんも、みなさんが「昔と同じ場所です」と言っています。

 

・「山みち」と黄色い字で書いてあるのは、前回の記事に載せた山を突っ切る山道です ↓

 ご主人様いわく → 「深井堰の横から入る道で、四ッ田集落へ行けたんだよ」ということです。まさに大当たり!私が名付けた「フクロウでも棲んでいそうなうろがある大きな木がある場所」へ出られる道です。

 

 なので! 結果はこういうことになりました!

 昔の長沢の山が・・・

 こういう感じに・・・↓

 ★ あくまでも だいたいの感じです ★

赤い丸 四ツ田稲荷

青い所 NECさんのビル

緑色 現在も畑( ちなみに、記事中に登場する○○○○さんの所有ですって )

 

NECさんの前を大規模道路が走っているわけですが、もともとの「深井堰」を埋めて、現在の所に造ったのだそうです。

 あの「現在のお稲さま」というのは、昔からあそこだったということ。

 私の記憶の中の以前の場所 というのは、うそっぱちでした ごめんなさーい

 

 

 ★それで、私の母が写っているこの田んぼは、とても良質な田んぼだったということです 

 右側に見えている草っぱらは、車が入れる畝で、この右側にも田んぼがあったそうです。わたしが「ガマの穂を見た」というのはそっちのほうであり、この一帯はすべて現在の「深井堰」になっているのだそうです ↓

 

 現在のYRP水辺の公園付近にある貯水池には、下流で潰された「深井堰」や田んぼ、水脈にあった泥を移したんだそうです。それは水生の動植物たちを移動させるためでもあったというお話でした。

( タヌキは住宅地にさまよい出てきたりしましたがネ )

 

  今回、お話を伺わせていただきました皆さまに感謝申し上げます。

 

 私はよく母から「良いことがあっても調子に乗るんじゃないぞ」と言われていましたので、なるべく謙虚にふるまったつもりでしたが、みなさん話疲れされたと推察します。突然お邪魔しまして申し訳ありませんでした。親切にしていただき、本当にありがとうございました。

 

 ☆ 次回の記事は今度こそ「昔の三浦富士 春夏秋冬」へ続きます ☆