お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

第30回 北下浦ふるさとマラソン大会 開かる!

2016年03月20日 12時39分04秒 | おでかけ旅がらす・三浦半島編

 ハイ こんにちは 今さっき見に行ってきた、地元開催のなごやかマラソン大会、「北下浦ふるさとマラソン大会」 のご報告をいたしまっす

写真は、小学生2kmの部のゴールの模様   今日は、気温12度ぐらいで、最初の頃は小雨がちらつき、北風も冷たい午前中でした。

こんなロケーションの所でおこなわれました。北下浦行政センターと、市民プラザを結ぶ渡り廊下からのショット 海岸沿いを走りまーす。参加者は2000人ぐらいの大会です。

遠くに見える3本の煙突は、東京電力 横須賀火力発電所の煙突(高さ80m)です。昭和33年建設で、もう今は運転していないみたいですが、石油タンクには 油が備蓄されているようです。東日本大震災で原発が止まった時は、稼働させたようです 

10kmスタートの部に並ぶ健脚たち。40から49分というタイムを自己タイムとしている人が多かったです。ウチの主人もこのぐらいのタイムで10km走ります。

でも、大会には出ませんでした。この数年、トシのせいで、満足のいく良いタイムが出ないので、プライドが高い主人は、悔しくて ふがいなく思って、マラソン大会というものに出なくなりました。まったく、楽しくやりゃあいいものを・・・・・。ソンな性格

お良しがカメラで狙っているところから下を見ると、荷物をあずけなくてもいい、家族で来ている人たちが、シートを敷いて、陣取っていました いいねぇ

10時ちょうど、10kmの部がスタートしました 鎌倉学園の高校生たちが前を陣取っていました。みなさん、ハリキッて、いってらっしゃーい 

こんな賞も用意されているよ。福島県の会津若松市とは友好都市を結んでいる横須賀市なので、鶴ヶ城(会津若松城)ハーフマラソンに招待してくださるのね

会津若松からも、出店が来ていましたよ。特産品をいろいろ売っていました。奥に見えるのは、毎年出店してくれる、スポーツ用品屋さん。

お良しはここで、アディダスのミニタオルを100円でお土産に買ってきました。

それから、わかめ入り塩焼きそば屋さん。「マジ、写してる写してる」と、作っているお兄さんが叫ぶ。「お顔は写しませんから」、「いや、写しても全然いいです」。恋人募集中なのかな?

お家に帰って、お昼にいただきました 塩気がちょうど良くて、とっても美味しかったです 湯気で、画面が曇っちゃうぅぅぅぅ

福島産の本格酒粕を使った、みんなが「美味しい美味しい」 といって飲んでいた甘酒。ゲコのお良しにはお酒の風味が強すぎでしたが、お酒は入っていません という張り紙を信じて、いただきました。体が温まりました。奥では、お砂糖入りの麦茶と、横須賀特産のわかめを入れたお味噌汁も配られています。

ちょっとボケちゃったけど、わかめ汁と甘酒。その辺に座っていただきました。周りは人でいっぱい   

今年で、30回目を迎えたそうですが、お良しは1992年に、まだ、地元のランナーさんたちが有志ではじめたばかりの、こぢんまりとした大会に、2kmの部で走ったことがあります。ブービー賞でした 今はもう、大人の2kmの部なんてないです。いい思い出です。Tシャツ、とってあります、参加賞の。

第一回大会からの、歴史を物語る、写真が、ズラーッと張ってありました。

今日は、知っている人に たっくさん会うことができました。さすが、地元。選手の応援も、出店を見て回るのも、とっても楽しかったです。

ここは、行政センター2階の大講堂。荷物置き場になっていました。行政センターも、隣の市民プラザの建物も、みんな、選手控室や更衣室などに解放されていて、「ああ、こうやって大掛かりにやっているんだ―」、とびっくりしました。私が出た時は、ホントに小さな大会(大会とは呼べないな・・・イベントかな? 当時の参加者は400人ぐらいだったみたいです。)  だったんだから。あの時は、荷物置き場とか、着替えとか、みんなどうしていたんだろ 私は、家から走る格好して、歩いて行き来したんだけど。大きな大会に成長したものです。

おまけの映像~ 3月20日の、三浦市内の桜の花芽の状態でーす どうでしょう・・・?

 北下浦ふるさとマラソン大会 公式サイト

 

 

 

 

 


驚異の母!

2016年03月05日 08時04分22秒 | 父と母のこと

 上の写真は、母が『PHP』誌で解いたパズルです。数独とシークワーズというものです。お良しにはとうてい出来ない世界です。シークワーズはできるかな。数独の方は、命かけて本気でやればできると思うけど、やる気力がわきません。いや、やっぱり出来ないな。お良しは 高校の職員会議でも議題に上るほど、数学がダメなのですから

こーんなのもやっちゃうんですよ「スケルトン」。 最初のとっかかりが難しいじゃないですかぁ。まず、唯一の7文字を入れて、そこからが よく考えたなぁ・・・と、感心しているお良しです。「せきせつ(積雪)」という答えを導き出しました

 一石二鳥、三寒四温、それでは、五と六の間に入って四字熟語になるのは?という問いに、母 「・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・ 五臓六腑だ」 「あ、そうだぁー、すごーいお母さん、パチパチパチ」 という会話がなされたひな祭りの晩でした私は、「七転び八起き」という言葉が先に浮かんじゃって、五臓六腑はわかりませんでした 

 ウチの母は、40~50代のころは、変なことばっかり言ってて、「お母さん、将来ボケないでよ~」 とか言ってたんですが、彼女は歳をとるごとに、頭がクリア―になっていってる感じがします ときどき私に言葉の意味をきいてくるんです。突然ふいをつかれるので、びびります。昨日は、「デリケートってどういう意味?」と聞かれ、かみ砕いて教えましたが、どうやら整形外科の先生に「Kさんは、デリケートだからね」とか言われたみたいなんです カタカナの言葉は、だいたい質問されます

母は今年の9月で89歳になります。整形外科系が悪いだけで、お陰様であとはしっかりしています。「オリンピックまでがんばる」 と、常々言っています。近所の人は、「その目標があるから元気なのよ」と言ってくれています。

趣味の手紙を書く母 同級生も亡くなっていき、手紙を書く相手も少なくなりまして、「書いても返事が来ないから寂しい・・・」ともらしています。返事を期待しすぎるのもどうかと思うけれど、やっぱり話の合う世代がほしいみたい。病院へ行くと、友達がいっぱいいて、母に声をかけてくれます。母は、マシンガントークを繰り広げています。話を聞いてくださる方がいて、本当にありがたいことです

・・・・3月7日 追記 / あっ、違うこれは、確定申告のために、去年かかった医療費を計算しているところだわ 計算機が置いてあるもん。間違えず、数字を入れるんですよぉ、見ててびっくり。がさつでおっちょこちょいの娘のお良しとは大違い

耳鼻咽喉科で、吸入器で薬を吸入中の母 お尻の下に上着を置いて、座面を高くして座っています。一応 頭を使っています 後始末も全部一人でできます。

じゃがいもとニンジンの煮物を作る母。同時進行で、おもちも焼いています。トマトとリンゴもむいています。背中が曲がって、写真左上にちょこっと見えている水道の蛇口に手が届きにくくなってきたので、レバーが上下して水をだす水栓に変える予定です。

あと、美味しそうにあんぱんをかじっている写真と、ねっころがって本を熱心に読んでいる いい写真もあるんですが、お顔がバッチシ写っているので、ここには載せません。想像してください

私なんかより、ずーーーーーーーーーーっと しっかりしている母です。転んで傷めた腰も良くなり、「あの痛さ・・・乗り越えたな、って感じ」 などと言っています。我慢強い昭和一ケタ生まれ、戦争経験者です 母は太平洋戦争中の10代後半、かの有名な「中島飛行機」 で、戦闘機のエンジンを造っていたのですよ母によると、「ハヤブサ」という戦闘機のエンジンだそうです 主人曰く、「お母さんが造ったエンジンを積んだ飛行機はみんな墜落しちゃってたりしてなぁ、はっはっはー」 だってよ。母には言えないね 

 ついでに、同じく今年9月で90歳の父も、すごい元気なんです。二人が元気なのは、よく食べているからだと思います。おかずや野菜、果物のほかに、ご飯と食パンとふかしイモ(この三つは同じ食事の中で)とおもち、バナナなど、炭水化物ばっかり食べています あと、二人とも午後3時にヨーグルトを、夜8時にヤクルトを必ず摂っています。時間が決まっているのは、忘れちゃうから、工夫工夫。

包丁を研ぐ父

布団を庭に干す父。父は、掃除・洗濯・お風呂掃除・食器洗い・買い物・朝食の食パン焼きとジャム塗り を一手に引き受けています。膝が痛いのと、軽い糖尿病のほかは、元気なスーパーおじいちゃんです。私がもの心ついた時から 「俺は100まで生きる」 と豪語しているので、それにむかってただいま驀進中です でも、長年 造船所で働いていたので(客船やタンカーを造っていた。母は飛行機で父は船ですな)、肺がアスベストでやられていて、半年に一回、肺がん検診(費用は国負担)に行っているのです。今のところ大丈夫で~す

世界卓球も、「目が悪いから、スコアが見えないんだ」 とか言いながら、夜遅くまでがぶりつきで観ていました。ふだん無口な父ですが、熱中しちゃって、「おっ、勝ってるぞ!あー、1点差になっちゃった・・・」 などと、結構 大きな声でしゃべりまくりでした

でも、二人とも年を取りました。若いころを見ているので、つくづく思います。いつの間にやらこんなに・・・。80歳を過ぎたあたりからですかね。今は自分たちのやり方・ペースで生活していますし、「このくらいできる」と、近所や子供(私)に迷惑をかけたくない、と考えているようですが、二人がどんな状態になろうとも、後悔しないお手伝いをしたいと、私は思っています。

 苦しまず、長患いせず、 で長生きしてもらいたいものです。誰もが思うことですが・・・・。

翌日の朝食の準備を、前の晩にきちんと並べて置く父。

翌朝の髭剃りと歯磨きの準備もお風呂場に。夜、最後に母が入浴した後に準備。

かかりつけの内科の女医さんに 「お父さんって、まじめでしょ」 と見抜かれるほどの父です 先生も、いろんな人を見ているからわかるのネ

それだけに、私が子供の頃の しつけ には厳しかったです。「おまえみたいな(考えの)人間がいるから、日本はダメになるんだ」 とか怒るんだよ~ っえー、そんな大きな話かぁ って、子供心に反発していたね。父も母も、口より手が早い親で、何回 お尻や頭や顔を ひっぱたかれたかわかりません。両親にひっぱたかれたから、頭がバカになったとしか思えましぇーん

でも、ぐれなかったのは、親の愛もわかっていたからだと思います。まぁ、ぐれる勇気もなかったしね、私には。

あーっ、話がずいぶんずれちゃったなー とにかく、こんなに長生きしてくれる親だとは想像もしていなかった、お良しでアリマス