お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

再訪!東京湾の最狭部から船を見る。今回はガイドさん付き♪ <後編>

2017年11月26日 11時41分53秒 | おでかけ旅がらす・三浦半島編

前編 からの引き続きです。

いよいよ観音埼灯台に上っての、一層 高い場所からの船観察です・・ウキウキ

 

 灯台の高さは、船がいる海上の平均水面から灯火まで 約56.0mです。そこから見下ろすと、海面が・・・つまり海全体が、広ーく見えるのです!

航行する船も上から見ることになるので、立体的に良く見えます。

 

 

 灯台のてっぺんの展望デッキ(デッキと呼んでいいのか?)から。前編でお見せした、自動車運搬船「神北丸」(かみきたまる)と、小型のコンテナ船。

右側通行なので、奥のコンテナ船は北航(東京湾の奥へ)、手前は南航(出ていく)しています。

 

 あそこは、君津港かな? ガイドさんに尋ねるのを忘れました

「LNG」と書かれた大型船が停まっているのがよく見えました。球体が見えないので、メンブレン方式の液化天然ガスタンカーというみたいな・・・?

 ちなみに、球体とは・・

 

 こちらの球体を積んだ方を、よく海岸から目撃しています。

 

 お次もコンテナ船。

この船をガイドさんが、「あれは バラ積みコンテナ船だな。」とおっしゃったのですが、お良しは「コンテナをバラバラに積んでいる船かな」などと思ったら、大きな間違い

 船内に、バラスト水 という、船を安定させる水を積んでいるのです。コンテナを積んでいない あるいは あまり積んでいなくて、軽いので浮いてしまう船体を安定させるため、水を入れているというわけです。それを「バラ積み」というわけなんです

・・・この「バラスト水」には、問題が起こっていまして、それは 外国で給水したものが東京湾で放出されたとすると、東京湾にその外国に生息している海洋生物が持ち込まれることになるのです。日本では、ナントカ貝という外来種が、アサリなどを駆逐してしまい、日本のワカメの胞子が食習慣のない外国の海で繁茂して困っているそうです。 「ヒアリ」だけじゃないのですね!

 

 

 「PRT KAHO」

 

 船腹に梯子が見えます。これについて、非常に興味深いお話を聞きました!

それについては、次の船で書き記します。

 

 巨大コンテナ船がやって来ました!東京湾を一路外国へ向けて出航していくところだそうです。

 

 はい、この巨大船の前を、タグボートが航行しています   写真の右端にいます。

 

 アップにすると、このような感じ。

この力持ちな船に、「水先案内人」(パイロット)が乗っていて、危険物搭載船 及び 巨大船(全長200mを超える船)は、このパイロット船が先導しなければならない決まりになっているとの事。

 つまり、例えば1万トンの船が東京湾に入港する場合は、位置通報ラインで「東京湾海上交通センター」(観音崎にある)に通報し、浦賀水道航路の手前 久里浜沖で水先案内人(パイロット)を乗船させて船長に代わって操船するのだそうです

先ほどの、船腹のハシゴは、パイロットがパイロット船(タグボート)から乗り降りするためのものなのです。

お良し「えーっ 船が動いてるままで乗り降りするんですかーーー

ガイドさん「そうです。もちろん速度を合わせてやるんですけどね。」

 おーっ・・・驚きの事実にひっくり返るお良し

そんじゃまぁ、水先案内人さんて、すごい人数がいらっしゃるんじゃないでしょうか? 全長50m以上の船は一日540隻も航行しているのですから。

 ただし、これは東京湾をよく知らない外国船に主に適用しているとのことで、事故を起こす確率が少ないだろう日本人船長さんなど、よくわかっている船は、パイロットさん無しで航行してもいいのだそうです。

 

 

 ここでもう一回、この図を見ていただきたいのですが、

S字型に曲がった航路は、海堡(かいほ) と呼ばれる人工島(要塞として造られた)3つを避けるように設けられています。「中の瀬」という場所は、海底が浅くて航行ができない場所だということです。東京湾を出入りする船舶は、これらを避けて航行しています。

 この航路を設定している場所は、太古の川だった所だそうです!ですから、左右は岸だった所で浅いのです。そして、航路の南側の終わりは、河口。久里浜沖から、海底は急激に深くなています。深海ザメなども投網に掛かることもあるのですよ 専門的には、この南側航路からを「東京湾」と呼ぶのだそうです。

 

 第一海堡が見えます

 奥に見える陸地

 

第二海堡は

 船の脇、わりとギリギリですねー。

 

 第三海堡は、今はもうないそうです。この写真に写っているのは、千葉県富津市の、「富津岬の明治百年記念展望塔」です。近くへ行くと、五葉松の姿を表現した、何層にも重なった大きな大きな展望台が岬の突端に建っています。一番上からの眺めは素晴らしく、壮大です!ただし、暴風の時は避けた方が無難です

 お天気がいいと、観音崎から、東京湾アクアラインと海ほたる、東京スカイツリーも見えるそうです。この日はダメでした。

 

 灯台から下を見ると・・・右の芝生地帯は、やっぱり砲台の跡だそうです。その先端にちょろっと海に浮かんでいる岩は、岩ではなくて、なんと戦時中に外国船の音を聴いていたという、塹壕・・というんんですか?施設ですって 海の中から探知していたのですね、あんな中に入って大変なことですね。

 

 おーっ 航路内は12ノットを越えてはイケナイ決まりなのに、時速80kmで突っ走っていく、「伊豆大島への高速船」

名誉のために解説 この船は航路外航行許可なので、オッケー なんですって きれいなお船、気をつけていってらっしゃーい

(12ノットは、時速に直すと、約22km) 

 

 灯台から陸側を見たところです。この山の上に大砲が備えられていて、外国からの要人が船でやって来ると、歓迎の祝砲を11発、今も鳴らしているのだそうです。

観音崎公園内を何度も散歩したことがありますが、見たことがないので、一般立ち入り禁止区域にあるのかな

 

 灯台の敷地には、屋外に保存資料や、資料館もあります。こちらは、八丈島で活躍していた「灯ろう」というものです。解説は下を。

 

 灯火って、厳しい気象条件のもとに立ちつくしているので、ほんとうにご苦労さまと言いたいです。

 

 灯台から下りてきて見上げると、さっきからカラスが見張りで陣取りっぱなしでした。

 

 上で見たコンテナ船が、まだ眼下に。

 

 ほら、この巨大船にも、操舵室近くに、乗り降りするためのハシゴが下りています。

この梯子が下りていて、目印の旗が掲げてあると、パイロットが乗船していることを示しているのだそうです。

 それにしても、水色できれいな船ですね ガイドさんたちも、きれいな船だなぁ・・・とおっしゃっていました。

それから、赤い喫水線が見えているから、コンテナをまだまだ積めるって 上の方に、積める余裕があるって。詳しい方は見ればわかるのネハッハー。

 

 祝日だったこの日、航行している船舶が少なく、お良しが自宅近所から見ているほどたくさんの船に出会うことができませんでした。それはなぜかというと理由があるようで、「日本の港湾使用料は高いから、外国船は荷物を下ろしたらすぐに出ていきたい。それに休日は荷物を下ろしてくれる港湾職員も少ないから時間がかかってしまう。だから休日は入港を控えているんだよ。」とのご解説。

 なぁーんだ、そーいうことか こんどは平日に見に来ようっと

 

観音埼灯台周辺の風景です

 

 地震で上から崩れてきたと思われる、巨大岩。

 

海岸にも。地層の向きにご注目!

 

 昔は手掘りで道を開きました。 手で削った跡が見えます。

 

 トンネルも手掘り。

 

 何の変哲もない岩場に見えますが・・・

 

 矢印のところは、人間が掘ったものだそうです。左は弾薬を入れた四角い場所。右の穴は、建物の基礎の穴だとか・・・。

第二次世界大戦後まで、観音崎一帯は立ち入り禁止の要塞でした。そのことがつくづくわかる・・・。

 

 この石碑は横になったままなので、このまま写真を掲載します。

観音埼 の  という字。土ヘンは、海軍。

 

 観音崎 の  という字。山ヘンは、陸軍。

5月に行った「劔埼灯台内見会」では、地名は 。灯台は 。としている、と習ったけれど・・・

 

 驚いたのは、ここにお寺があったとは!!!!!

 

 今も残る一本だけのイチョウの木が、その名残だそうです。ホントだー(権現洞のそば)

 

 このように転がっている物体は 関東大震災で崩壊した、2代目の灯台だそうです!

かたずける重機もなかったし、立っていた丘の上から落として処分した残骸だそうです。見ての通り、あまり鉄筋も入っていないコンクリート製でした。

(明治元年初点灯、日本初の洋式灯台だった初代は、レンガ造り。現在3代目は鉄筋コンクリート造りです)

 

 われらが海岸から別れを告げるころ、先ほどのきれいなコンテナ船は、パイロットさんを下ろして久里浜沖を出ていこうとしていました。

 

 観音崎公園内は、灯台尽くし

 

  感想  知らないことを教えてもらうのは、ほんとうに楽しいものでした いっぱい話してもらったので、メモもしないで、お良しの頭はパンクしそうです このブログ記事に、早くして、記録としたかったのです。ますます船が好きになりました 横須賀シティガイドさんたち、ほんとうにありがとうございました また!

 

 横須賀エコツアー HP

 

 日曜日なら、観音崎ボランティアステーションへ直接来ていただいて、「観音崎の何を見せてほしい。たとえば、海・船・動植物・歴史など、言ってもらえればすぐにご案内しますよ」ということでした。個人でも、子供会、会社の仲間でもOKだそうです。

「このことを宣伝してください!」と、ブログ掲載許可をいただいての、このお良しなさい日記でした

 

 「東京湾 大型船入港・出航予定情報」 東京湾海上交通センター HP  

 

  上記のHPからの情報で、この記事を書いている今日、11月26日は、客船が3隻も浦賀水道を通るようなので、お良し、午後から海岸線で見張ってみました(主人と、マクドナルド三浦海岸店へ行った)

 

 

 スーパースターヴァーゴが、パイロット船に先導されて東京湾へIN!

75338トン、全長269m

 

  

 三浦半島にはいつもの強い南風が吹いていて、海上には白波が・・・

 

 

 続いて、ぱしふぃっくびいなす号

絶好のウィンドサーフィン日和の向こうに。

26594トン、183m

 

 

 最後に姿を現したのは、飛鳥Ⅱ

球形タンク方式のLNGタンカーとすれ違い。

50142トン、240m

 

 

 

 

 久里浜沖から姿を消し、浦賀水道に入っていきました。

 

 今日は、観音埼灯台に上っていたら、ものすごくいい景色だったなぁ・・・ なかなかタイミングがうまく合わないなぁ、残念 お楽しみはまたにとっておこう。それにしても、この豪華3隻は、みんな横浜港に集合するのだろうか??? 3隻は、約2時間の間に、次々とやって来ましたよ。

 

 さらに更に! 12月1日の夕方には・・・

イタリアの客船 コスタ ネオロマンチカ

57150トン、全長220.6m

 寒ーい海岸で、姿を見せるのを延々と待っていた・・・ 時間通りに来ない。

 

 長々と、お読みいただきありがとうございました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


再訪!東京湾の最狭部から船を見る。今回はガイドさん付き♪ <前編>

2017年11月25日 12時00分02秒 | おでかけ旅がらす・三浦半島編

 こんにちはー

三浦半島南部も、さすがに寒くなりまして、冬の到来です 海が近いので、力強い日差しが反射して、辺りは明るいのですよ でも、日の出が遅くなり、日の入りも早いので、すっかり時間の感覚がおかしくなっているお良しです。

 で、今年は「黒潮の大蛇行」という、東海・関東南岸を流れる黒潮がずいぶんと南下してしまっているということで、関東地方もドカッと雪が降るかも・・・ と予想している人もいます。めったに積雪しない三浦半島南部は、いかがな結果になるでしょうか?

 

 そんな中

 前日夕方から、ときおりモーレツな雨降りとなった休日を利用して、お良しはまたまた大好きな大型船を見に、いそいそと出かけてまいりました←家を出るときはまだ雨が降っていた。

 午後から晴れるという予報だったので、主催者の『横須賀エコツアー』さんは、決行してくださいました でも、参加を申し込んでいた方々で、荒天キャンセルした方もいらしたそうで、この日の参加者は、お良しと、同年輩の女性 二人だけでした でも、そのぶん6人ぐらいいらしたガイドさんたちから、くわーしくお話を伺うことができました

 横須賀エコツアー HPをご覧ください

 

 船を見たところは、9月にも一人ででかけた 観音崎 です。

浦賀水道という、東京湾の一番狭い所に位置し、この観音崎が海に張り出しているので、東京湾の狭い部分ができているわけです。観音崎の少し北寄りの向かい側にも、富津岬 という千葉県側から張り出している地形があります。このことで、東京湾の航路はS字型にカーブしているのです。さらに、地形の張り出しがあるということは、そのすぐ下の海底は 浅い ということになります。

つまり、この狭いところを、船は制限速度を守って航行しているということなので、お良したちは間近にゆっくりと見学できるという恩恵を得られるのです

 

東京湾口航路事務所 HP

 

 ここで、上の図で、水色のところが船が通る所で、右側通行であるということを覚えておいていただいて、お良しなさい日記のこの記事を読み進めてくださいますようお願いいたします。

 

 では、いつものように、時系列で、観音崎 船観察行きのお話を進めます。

 

 この交差点。京急線の浦賀駅から、鴨居(かもい)経由の観音崎行きのバスに乗り、腰越(こしごえ)バス停で下車。

このカーブした道に徒歩で入ってきて・・・

 

 この道は、「観音崎大橋」といいます。

 

 雨が止んだばかりで水浸しの路面。

ここから、沖を行く船が見えています。奥に写っているのは、横須賀市の博物館の分館である「観音崎自然博物館」です。

地元の海の幸をふんだんに使ったレストラン「マテリア」が隣にあります。

そして同じ建物の中に「ボランティアステーション」があり、この横須賀エコツアー 浦賀水道を航行する船を見てみよう」 を、案内してくださるツアーガイドさんの拠点でした。


 昔から、この橋の内側には立派なお屋敷があります。大きな漁師さん宅ではないでしょうか。

裏側に道があり、観音崎大橋ができる前はそこが観音崎へ通じる道だったのでしょう。・・・でも、明治2年に観音埼灯台ができる以前は、岬をぐるっと回る陸路はあったのでしょうかね?

 

 大橋から見た海。 鵜がいますね。

 

 久里浜の火力発電所のエントツも、まだ低い雲の中

ここは、たたら浜という所です。

 

 

 観音崎ボランティアステーションには、12:50集合。

ちょっとだけ座学を受けて、東京湾航路地図や、船の種類の写真、エントツのマーク(フアンネルマーク ということが今回わかった)一覧表などをいただいて、手にはその資料と、双眼鏡(お良しは自分のを持っていったけれど、貸し出しもしてくれた)を持って、いざ!外へGO

 

 階段を上って、海が見える丘に登っていくと~・・・

あっれー あれに見えるはー

 

 すれ違いをやっている あのお姿は~

 

 おがさわら丸ではありませんかー 

 

木曜日は出航日ではないはずなのですが、この日が祝日だからなのか、本来の水曜出航でなく一日遅くなっているみたいでした。

おもわず、「おがさわら丸が出ていくぅ~」と声を上げちゃいました。そうしたら、公園備え付けの双眼鏡をおがさわら丸にロックオンしてくれたガイドさんが、もう一人の参加者の女性に見せてくれていました

 つくづく縁があるおがさわら丸です (今年5月に、小笠原諸島へ行った折に乗ったお良し)

 

 東京湾を航行する船は、近隣の小型の漁船を除いて、みな、センターラインを挟んで右側通行で進みます。

片側700m、ブイとブイの間を行くのですが・・・

 

 上と同じ写真をわかりやすくしました。

三浦半島側から見ているので、写真の左が東京湾の奥方向です。

左のブイは緑色。中央が赤白(センターラインを示す)。右が赤色。奥まで幅は1400m。片側700mに見えないほど狭く感じました。

こーんな狭いところを進むのー ここを右側通行ですよー! 追い越しはOKだそうです。お天気が悪くて視界が悪くても、レーダーなどで探知して航行するのでしょう。それと、車と同じように、どんな船舶にも決まった場所に決まった色の灯をつけているので、基本は目視!で見張りをしているのだそうです。観音崎の丘の上にある「東京湾海上交通センター」とも交信しているし、暗い昼間は観音埼灯台にも灯りが入っていると思います。

 

 このあと一行は、観音崎公園の森の中へ入り、灯台を目指します。   

 

 観音崎一帯は、太古の昔から、海流に乗ってやってくる遠来の人々を迎えた場所であり、また、ペリー提督率いるアメリカ船が来港して以来、防衛のための要塞となりました。

 上の写真は、砲台跡です。御影石でできたものは珍しいそうです。「天皇陛下が見に来るというのでカッコつけてきれいにしたのかな?」と、ガイドさんの一人。

あ、天皇陛下って、明治天皇ですよ。

 

 ここは弾薬を入れた所だそうです。柱に穴が2つ開いていますが、これは蝶番(ちょうつがい)があった跡で、ここに扉があった証拠だということです。その中に弾薬を入れておいたということです。なーるほど。

 

 レンガの積み方は、「フランス式」。観音埼灯台を設計・建築したのはフランス人技師のヴェルニーさんなので、フランス方式になっているとの事。

このあとの時代は、すべからくイギリス式になっていくので、貴重なものだそうです。

 

 観音崎公園の遺構などの説明を聴きながら しばらく歩いて、灯台に到着!

天気予報通り、午前中の雨がすっかりあがって、海上が晴れてきました Wellcome Sun

 

 ひゃあー いい眺めーーー

 

 

 赤い丸に、「七」の文字のエントツマークは・・・

 栗林商船株式会社さんか、栗林物流システム株式会社さんの船だそうです。

「神北丸」(かみきたまる)の船名が見えました。自動車運搬船だということです。この大きさから、自動車12000台ぐらいを積んでいるだろう・・、とガイドさんは言っていました

 

 このあと、灯台の上から見ることにして、狭いらせん階段をくるくる上って目を回し、ふらふらしながら強風の最上階の屋外へ

そこからの眺めは~・・・

 

次回へつづく( ^ω^)・・・