高校時代、修学旅行に行く時に カメラを両親に買ってもらってから好きになった 写真撮影。若い頃 何気に撮った風景写真が、今見るとなつかしく、ある意味 ` 貴重な記録 ’ となっていることに気づきました。
★ 三浦半島でもっとも高い山は「大楠山( おおぐすやま )」です。242mあります。
三浦富士は 連なる「武山・砲台山・三浦富士」の三山の最も東にある山で、標高183mです。
「富士」の名を冠している通り、浅間神社の奥宮の祠が頂上にあります。それで、下から仰ぐと、現在は突出したイチョウの木が目印となっていますね~。今回の記事は、そのイチョウがまだ目立たなかった頃の三浦富士の姿をお見せしたいとおもいます(*^-^*)/
こちらは今年2020年の6月に撮った写真です。
わたしが名付けた、若葉が浮き出た特徴的な模様「農鳥( のうとり )」が頂上の右下に見えています。本家の富士山にも、雪解けの頃に浮かび上がる 白い鳥の模様が見られるのですよ~。
三浦富士の「農鳥」ですが、先ごろ確認してみると、葉っぱが茶色く変色しています。6月に若葉で見えていた一部は「マテバシイ」で、どうやら「ナラ枯れ」で枯れちゃったのかもしれません。なので来年からは「農鳥」模様は見ることができないかも? 残念 無念!(>_<)
そんな三浦富士の、てっぺんにあるイチョウ。
この記事を書いている当日の朝です。毎度の風でだいぶ葉っぱがなくなっているみたい???
なにせ吹きっさらしですので、黄色く紅葉した姿をほとんど見た記憶がございませんデス(;^ω^)
★ はい!前置きが長くなりましたので、昭和57~60年ごろの三浦富士へタイムスリップします~!
夏
私の中で、` ここからの三浦富士がいちばん好き♡ ’ という地点から見た雄大なお姿です。
・ よく見ると、ふもとに 長沢中学校がまだ無いですか? ・
秋
冬
今はめったにこんなに雪が積もることもなくなりましたね。
長沢にある「天照大神神社」下から望む。
このころは まだ田んぼがありました。子どもの頃の3月か4月、遊んでいてここへ落っこちまして、ひどい目にあいました(>_<)
★ 申し訳ございませんが、春の写真がみつかりませんでした(>_<)
かわりに夕焼けをどうぞ ↓
どの写真の三浦富士も、頂上の左端に見えるイチョウの木よりも その右側のこんもりしたところの方が高く見えているのです。
こんもりしたところ、というのは奥宮の祠の背後に植わっている常緑樹たちで、北風を防いでいます。
現在の三浦富士のイチョウの木は、成長して海上からも確認できるほどです ↓
おわかりになりますか?
東京湾フェリーの舳先の上の方、山の頂上に目立った切れ込みが見える、あれがイチョウの木です。
右の方の鉄塔がある山は、三浦半島で2番目に高い「砲台山( ほうだいやま )」です。
東京湾フェリーの船上から、手前の「千駄ヶ崎の山」の向こうに顔をのぞかせる「三浦富士」頂上
★ もう一度、昔の写真へ戻ります ↓
わたしがお正月に撮った1枚。
写真の下に印字されている「86」という年号は、この大きさに焼き増しした時のものです。撮影したのは昭和57~60年の間のどこかです( 1982~1985年 )。
三浦富士の北側の麓、登山口からちょっと入った所にある祠です。この記事のシリーズ①の「通研通り」の回で書きましたが、私の家族は毎年元日に「武山不動 → 砲台山 → 三浦富士 縦走初詣」を続けていましたので、その時に上から下りてきて写したのです(*^-^*) 画面の奥の方に、三浦富士頂上への山道が見えています。
たしか、三角形の石に這う葉っぱがきれいだなぁ~、と思って撮ったのでした(*^-^*)
この場所へは20年以上行っていませんねぇ・・・、一度 大雨のために 大水が流れて荒れちゃった時がありましたが、今は地元のみなさんが管理していらっしゃるのかな?行ってみたいなぁ!
★ ついでに「武山」のお不動様への登り口の様子もご覧いただきたいと思います。↓
NTTさんの通信研究所とほぼ同じ高さの所に祀られている「前不動」と仏様、のお正月です。
1995年( 平成7年 )かな。
こちらの写真はもっと古く、昭和50年代のいつかです。
奥にお墓のようなものが見えていますが、あちらが「前不動」様です。横須賀市野比の大作に建っている不動明王と同じです。
それが今や・・・↓
藪と化しています! 中を覗いてみると、台座だけが残っていました。不動明王さまは何処へ行かれたのでしょうか~!!!???
通信研究所方向から登っていく道は、以前は急登ぎみで足元が良くなかったので、今は 一般人の通行不可になっているのかもしれません。武山と砲台山の分かれ道の地点に、確か「こちらはハイキングコースではありません」という看板が立ててあったと思います。
我ら家族は良い時代に初詣ができたのですね!
よく晴れた一日のおわり、この日の三浦半島の日没時刻16:58直後の三浦富士。
太平洋の水平線に沈みゆく太陽が最後の光を放って、まるで三浦富士から炎のような赤い光が上がっていました。ほんの数分間の出来事でした。あっという間に暗いとばりのなかへ三浦富士は沈んでいきました・・・
【 まいどおなじみ、オマケの写真 】
私が立っている地点は、横須賀市野比。
「野比橋」から、昭和の終わりごろ。赤い電車の右上の山を崩して家が建つというので、慌てて記録した1枚です。この時すでに樹々の枝下ろしが済んでいたので、上の方がスケスケしていますね。
左の山も平成の中頃に崩されて、家が立ち並んでいます。( 家が立っている後ろに「野比川」が流れていて、その向こう側は横須賀市長沢。 )
そして、あの赤い電車の向こう側の線路下がこちら ↓
山を崩す前の竹やぶ下、涼しかった道です(*^-^*) この道は今もありますが、景色がすっかり変っちゃって、なつかしいですね~。( 横須賀市長沢 )
北下浦地域の写真は まだまだあるのですが、あまりにもご近所すぎて、お見せする価値が無いと思います。ひとまずシリーズを終わりますが、横須賀市図書館へ行くと大きな写真集があって「これ、いったい長沢のどこ?」というサッパリわからない昔の風景写真も見られます。よその家(長沢の旧家)で遊んでいた子どもの頃、そういう写真をたくさん見せてもらいましたが、もう失われてしまったようです。
みなさまの家に古い写真がございましたら、ぜひ 出る所に出して、日の目に当てていただきたいです! 変な文章
★☆★ 地図検索サイトの「地図ナビ」というところで、現在と1972~1974年頃の航空写真の比較を見つけました!リンクを貼っておきますので、よろしかったらご覧いただきたいです。
「YRP( 横須賀リサーチパーク )」がある辺りは、「YRP野比駅」から左上へ画面をスクロールしてくださいませ。
🟪 最後に・・・ この最後のシリーズ記事を仕上げようと決めていた今日、ふと思いついて、「野比海岸」の記事に登場していただいた とても詳しいご長老様のもとへ行ってみようと出かけました。
そうしましたら お姿がみえません。私がお訪ねするのが一歩遅く、去る10月9日にお亡くなりになっていたのです。
さみしい、本当に寂しくなりました。
ぼやぼやしている時間はありませんね。
最後までお読みいただきありがとうございました