放送年度:2000年度
京都・太秦。産みの親と育ての親、2人の母に育てられ、アメリカ帰りの父からは“オードリー”と呼ばれて育った佐々木美月。映画に興味を持ち、両親の反対を押し切って大部屋女優に。その後、挫折を経て映画監督になるまでを、戦後の映画・テレビの歴史を重ねて描いた。
作:大石静。
音楽:溝口肇。
語り:岡本綾。
出演:岡本綾、大竹しのぶ、賀来千香子、段田安則、長嶋一茂、佐々木蔵之介、堺雅人、國村隼、沢田研二、藤山直美ほか。
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第32話は,2000年11月07日(火) 午前08:15 〜 午前08:30放送。
美月は芸名「吉岡美月」として、大京映画の大部屋女優となり、初日から先輩の女優たちからの様々な嫌がらせを受ける。新人の仕事として衣装部屋に行った場面での美月と衣装係(麿赤兒)の会話。
美月「がんばります。」
衣装係「がんばる,いう台詞はプロの台詞やない。プロはがんばるのが当たり前や。」
美月「は。。。勉強になりました。」
衣装係「撮影所は勉強するところやない。腕前を披露するところや。勉強したかったら学校へ行き。」
美月「は。。。」
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こんな厳しさが昭和という時代には表に現れていたんだよな,って思う。これって厳しいのか,優しいのか。冷たいのか,温かいのか。
平成を経て令和になった今,同じことを言えばパワハラになりかねない。
だから,ほとんどの人がこんなことは言わなくなった。だから新人も言われないことが当たり前になっている。パワハラがないということ,これはこれでもちろんよい風潮に違いない。パワハラであれば。
一方で,仕事で求められる厳しさが変わったわけでは決してない。
厳しい言葉をかけられないからといって高く評価されているわけではない。むしろ,その人の知らないところで,「にこやかな笑顔」の裏で評価を下げられる場面も少なくない。にこやかに対応されているからといってその人が優しいというわけではないし,温かいわけでもない。
逆に,耳に痛い言葉を投げかける大人が,厳しい言葉の裏で新人を高く評価していることもあるし,厳しい言葉の裏には成長の可能性に期待する優しさや温かさが実は隠れていることだってあるんじゃないかな。意外と,真実は目に見えないところにあるのかもしれない。
教えなくなった大人の傘の下で,社会に出ても気づかずにいつのまにか評価を下げられている若い人が増えているような気がする。
これってどこで教えるべきなのだろうか。家庭で?学校で?社会で?それとも,誰も教えずに本人が気づくべきことなの?
教育という「人が人に関わってよりよく変化させる営み」や,人を育てる時代の風潮が問われている。