平成27年3月7日(土)午後1時から,広島県立美術館地階講堂で卒業論文の発表会が行われた。ゼミ生である松本さんは,『「感性主義美術教育時代」における鑑賞教育方法の変容』という題目で発表を行った。
松本さんは,昭和52年から始まると位置づけることのできる感性主義美術教育時代の最初期と現在とを比較し,鑑賞教育方法がどのように変わってきたのかを,雑誌『教育美術』に掲載された教育実践から抽出し,明らかにしようとした。
授業実践の中で取り扱われた作品の鑑賞教育方法を分類すると共に,その出現数(比率)を比較し検定を行った結果,1990(平成2)年では生徒が受動的に作品を鑑賞するといった鑑賞教育方法が主に多く行われており,2013(平成25)年では,生徒がコミュニケーションを通して作品を鑑賞するといった鑑賞教育方法が主に多く行われたということを明らかにした。このことから,「感性主義美術教育時代」における鑑賞教育方法は, 生徒が受動的に作品を鑑賞するといった鑑賞教育方法から,生徒がコミュニケーションを通して能動的に作品を鑑賞することができるような鑑賞教育方法へと変容しつつあると結論づけた。
論文の執筆とは,ややもすれば根拠なく印象だけで思い込みがちになる目の前の現象を,確実に事実を捉えながら合理的に判断し見極める訓練と言い換えることができる。これは,教員が特に教室の中の事実をきちんと見極めるための基礎的な訓練の一つになる。
ゼミを卒業・修了して今教員をやっている者たちは,口を揃えて「論文を書くときには本当に大変で投げ出したいことばかりだったけれど,実際に学校に就職してみたら,それが本当に役に立つことがよくわかるようになった」と言ってくれる。単に長い文章を小難しく書くのではなく,短い文章でも考え方を整理し論理的に記述する訓練そのものが,教員の仕事のあらゆる場面で求められることがよくわかったと言うのだ。
このゼミは,昔からMっ気のある学生!?が集まっている???と耳にするσ(^◇^;)ことがある。どうやら周りが言っているだけでなく,自虐的に言っている者も,誇りを持って言っている者も!いるようだが,ゼミでやっていることの要は,単に文章の書き方の訓練ではなく,考え方の訓練,合理的にものを見る訓練なのだ。これまで自然状態で養われてきた自分の「ものの見方」を変えるとなると,少々のしんどさを伴う場合だってないわけではない。歴代の卒業・修了生は幸い全員それを乗り越え,教員として求められる基礎体力(の一部)を身につけ,第一線で活躍してきた。
[ゼミの評判・番外編](ちょっと脱線する)この間聞いたところによると,このゼミは昔から美人ばかりが集まっているという話だ!そう言われると「なるほど」と首を立てにふら・・・なきゃ・・・(^_^;)ね!
(話を元に戻す)今年発表を行った松本さんも同様に,論文執筆の背景にある合理的に考え論理的に表現する力をつけようとして,人一倍がんばった。なかなか文章が修正できず,ちょっぴり目が潤んでいたこともあったけど・・・でもすごい粘りだった!
彼女がすごいのは,どんな状況であっても,何が何でも食らいついてくるド根性,そしてできないことがあっても人のせいにせず常に自分の課題として努力し続ける姿勢だと思う。だから特にこの一年,成長著しく,メキメキと力をつけてきた。指導教員として接し,正直,素晴らしいという表現しか見つけられない。
松本さんのこの資質は,親御さんをはじめとした家族の方々だけでなく,高等学校時代に指導して下さった東先生と佐古先生というお二人の先生によって培われてきた部分も大きいと思う。そうそう,このお二人の先生方は卒論の発表会に駆けつけ,松本さんの姿を温かく見つめて下さっていた。周りに温かく見守る眼差しがあると,粘り強い性格になるのはよく知られているが,よい事例なんじゃなかろうかって思うな。
松本さんは来月から教壇に立つ。彼女の謙虚なこの姿勢は,学校の中で生徒に対してよい影響を与えてくれると思うし,管理職や先輩の先生方にかわいがってもらえる資質であるとも思う。
もちろん教員としては新米未満でまだまだ課題が多く,吸収すべき知識も技能も山積だ。だから常に切磋琢磨の気持ちを忘れることなく,精進を続けて欲しい。そんなことを思いながら,松本さんの発表を聞き終えた。
あ,もっともっとしなやかで柔軟な精神を持つために,羽目を外しすぎない程度にはしっかりと遊んで下さいね~。人間的な幅がさらに広がり,魅力が倍増すること間違いなし~(^_^)v。
松本さんは,昭和52年から始まると位置づけることのできる感性主義美術教育時代の最初期と現在とを比較し,鑑賞教育方法がどのように変わってきたのかを,雑誌『教育美術』に掲載された教育実践から抽出し,明らかにしようとした。
授業実践の中で取り扱われた作品の鑑賞教育方法を分類すると共に,その出現数(比率)を比較し検定を行った結果,1990(平成2)年では生徒が受動的に作品を鑑賞するといった鑑賞教育方法が主に多く行われており,2013(平成25)年では,生徒がコミュニケーションを通して作品を鑑賞するといった鑑賞教育方法が主に多く行われたということを明らかにした。このことから,「感性主義美術教育時代」における鑑賞教育方法は, 生徒が受動的に作品を鑑賞するといった鑑賞教育方法から,生徒がコミュニケーションを通して能動的に作品を鑑賞することができるような鑑賞教育方法へと変容しつつあると結論づけた。
論文の執筆とは,ややもすれば根拠なく印象だけで思い込みがちになる目の前の現象を,確実に事実を捉えながら合理的に判断し見極める訓練と言い換えることができる。これは,教員が特に教室の中の事実をきちんと見極めるための基礎的な訓練の一つになる。
ゼミを卒業・修了して今教員をやっている者たちは,口を揃えて「論文を書くときには本当に大変で投げ出したいことばかりだったけれど,実際に学校に就職してみたら,それが本当に役に立つことがよくわかるようになった」と言ってくれる。単に長い文章を小難しく書くのではなく,短い文章でも考え方を整理し論理的に記述する訓練そのものが,教員の仕事のあらゆる場面で求められることがよくわかったと言うのだ。
このゼミは,昔からMっ気のある学生!?が集まっている???と耳にするσ(^◇^;)ことがある。どうやら周りが言っているだけでなく,自虐的に言っている者も,誇りを持って言っている者も!いるようだが,ゼミでやっていることの要は,単に文章の書き方の訓練ではなく,考え方の訓練,合理的にものを見る訓練なのだ。これまで自然状態で養われてきた自分の「ものの見方」を変えるとなると,少々のしんどさを伴う場合だってないわけではない。歴代の卒業・修了生は幸い全員それを乗り越え,教員として求められる基礎体力(の一部)を身につけ,第一線で活躍してきた。
[ゼミの評判・番外編](ちょっと脱線する)この間聞いたところによると,このゼミは昔から美人ばかりが集まっているという話だ!そう言われると「なるほど」と首を立てにふら・・・なきゃ・・・(^_^;)ね!
(話を元に戻す)今年発表を行った松本さんも同様に,論文執筆の背景にある合理的に考え論理的に表現する力をつけようとして,人一倍がんばった。なかなか文章が修正できず,ちょっぴり目が潤んでいたこともあったけど・・・でもすごい粘りだった!
彼女がすごいのは,どんな状況であっても,何が何でも食らいついてくるド根性,そしてできないことがあっても人のせいにせず常に自分の課題として努力し続ける姿勢だと思う。だから特にこの一年,成長著しく,メキメキと力をつけてきた。指導教員として接し,正直,素晴らしいという表現しか見つけられない。
松本さんのこの資質は,親御さんをはじめとした家族の方々だけでなく,高等学校時代に指導して下さった東先生と佐古先生というお二人の先生によって培われてきた部分も大きいと思う。そうそう,このお二人の先生方は卒論の発表会に駆けつけ,松本さんの姿を温かく見つめて下さっていた。周りに温かく見守る眼差しがあると,粘り強い性格になるのはよく知られているが,よい事例なんじゃなかろうかって思うな。
松本さんは来月から教壇に立つ。彼女の謙虚なこの姿勢は,学校の中で生徒に対してよい影響を与えてくれると思うし,管理職や先輩の先生方にかわいがってもらえる資質であるとも思う。
もちろん教員としては新米未満でまだまだ課題が多く,吸収すべき知識も技能も山積だ。だから常に切磋琢磨の気持ちを忘れることなく,精進を続けて欲しい。そんなことを思いながら,松本さんの発表を聞き終えた。
あ,もっともっとしなやかで柔軟な精神を持つために,羽目を外しすぎない程度にはしっかりと遊んで下さいね~。人間的な幅がさらに広がり,魅力が倍増すること間違いなし~(^_^)v。