Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルトの舞曲の歴史(その2)  (No.1609)

2009-01-04 19:26:56 | 作曲家・シューベルト(1797-1828

シューベルトの作曲時代区分

についてはいろいろな説がある。私高本は

  1. 習得期 : 1810.04 - 1814.10.18(4年半)

  2. 初期  : 1814.10.19 - 1819.10(5年)

  3. 中期  : 1819.11 - 1825.02(5年強)

  4. 後期I : 1825.03 - 1826.05(1年強)

  5. 後期II: 1826.06 - 1828.11(2年半)


と考えている。つまり

  1. 「糸を紡ぐグレートヒェン」D118(1814.10.19)が初期開始

  2. ミサ曲第5番変イ長調D678作曲開始(1819.11)が中期開始

  3. 交響曲第8番ハ長調「グレート」D944作曲開始(1825.03)が後期I開始

  4. 弦楽四重奏曲第15番ト長調D887作曲開始(1826.06)が後期II開始


と言う考え方である。偉大な先人たちの考え方の上に私高本の考え方を足した時代区分であるが、「今の私高本」の考え方であり、明日はわからない(爆
 以前の私高本は「後期I」を「中期II」と考えていた。考えを改めた原因は『舞曲』である。


 シューベルトは前回ブログに書いた通り、1825年4月に「プツッ」と音を立てて舞曲の「自筆譜」が無くなる。ピアノソロだけでなく、ピアノ連弾もなくなる。完全になくなる。
 舞曲作曲自体を止めたワケではなく

  1. ペスト(現:ブダペスト)「七大選定侯」ホール新春舞踏会ホール委嘱作品「ギャロップとエコセーズ」作品49 D735(1825.11.21出版)

  2. コティヨンD976(1825.12.29出版)

  3. ワルツ 変イ長調D978(1825.12.29出版)

  4. 「ウィーンの貴婦人レントラー」作品67 D734(1826.12.15出版)

  5. ワルツ ト長調D979(1826.12.23出版)

  6. 2つのワルツD980(1826.12.23出版)

  7. 「高雅なワルツ」作品77 D969(1827.01.22出版)

  8. 「グラーツのギャロップ」D925(1828.01.15出版)

  9. 「グラーツのワルツ」作品91 D924(1828.01.15出版)

  10. ワルツ ハ長調(1828.01.26出版)


と『10の舞曲』を、まず間違いなく「新規に作曲して出版」している。

この10の出版舞曲は『全部出版社からの委嘱作品』とみなされる


のである。ついでだから書いておくと

「感傷的なワルツ」作品50D779 も委嘱作品の可能性が極めて高いが 「旧作を使い回した」作品 である。



う~ん、「シューベルトの舞曲」を私高本ほど粘着気質で研究した人は

  1. モーリス・ブラウン

  2. ヴァルブルガ・リッチャウアー


の2人だけだと思う(爆
 ヘンレ版編集者もウィーン原典版編集者も旧シューベルト全集編集者も「ピアノソナタには興味深いが、、、」って態度で編集したように思う。尊敬している大先輩の1人 = ジョン・リード も「舞曲」は軽視していたように思う。作品としてピアノソナタの方が上なことは私高本も認めている。しかし「舞曲」もシューベルトの重要な作品なのだ!!!


 ここでまことに唐突だが、

日本最高の大作曲家 = 伊福部昭 の生前の姿


について記したい。私高本が接したのは最晩年のわずか4年にも満たない期間だけであった。伊福部昭先生は「日本最高の大作曲家」なので、名声も「文化功労者」などで充分に得ていたし、世田谷区尾山台に素晴らしい居宅を構えておられ、金銭的にも充分な「才能に見合った報酬」を得ていらっしゃった。私高本は「川上敦子のマネジャー」「佐伯周子のマネジャー」としての立場で「伊福部昭ピアノ作品を演奏するピアニストのマネジャー」としてのお付き合いであった。伊福部昭ピアノ作品は極めて数が少なく「1日のピアノリサイタルには作品数が不足」の状態であったので、いろいろと無理なお願いをするために尾山台のお宅に足を運んだモノであった。数回足を運ぶ内に

伊福部昭先生自身が、作品の中で「力を入れた作品」と「生活のために作曲した作品」を区分けして考えている


ことがはっきりわかった。『前者 = 芸術作品』であり『後者 = 映画伴奏音楽』である。後者を嫌っているワケでは無いのだが

芸術作品にできる限りの時間と才能を注ぎ込んでいるので、きちんと取り上げて、そして評価してほしい!


の意気込みはひしひしと伝わって来た。これはその場に居た 川上敦子 も同じであった。
 この経験に照らし合わせると

  1. シューベルトの芸術作品 → 交響曲やピアノソナタや幻想曲

  2. シューベルトの映画伴奏音楽相当の作品 → 舞曲


は確実である。つまり「シューベルト自身は、舞曲作曲の時間をピアノソナタ(交響曲や弦楽四重奏曲などなど)の作曲の時間に廻したい気持ちは極めて強い。

作曲家として「飯が喰える」状況になる前は「必要に応じて譜面で残していた舞曲」について「依頼が来てから作曲しても充分間に合う」自信が持てた = 1825年4月


である。純粋に「作品評価」の観点から言えば、1825年以降の「シューベルト舞曲」で名作なのは

  1. ペスト(現:ブダペスト)「七大選定侯」ホール新春舞踏会ホール委嘱作品「ギャロップとエコセーズ」作品49 D735(1825.11.21出版)

  2. 「ウィーンの貴婦人レントラー」作品67 D734(1826.12.15出版)

  3. 「高雅なワルツ」作品77 D969(1827.01.22出版)


の3作品だけだと感じる。むしろ

世界史上初の「独立した作曲家」として生きて行けるか?! を暗中模索時代の方が「舞曲名作」は多い


のである。


 ・・・で、この話をした後に「シューベルト : オリジナル舞曲集 作品9 D365」は「シューベルト作品は単独で演奏会を実行してほしい」と無理なお願いを佐伯周子にしたのだが、リスト「ロ短調ソナタ」を中心に見事な演奏を 佐伯周子 は企画してくれて聴かせてくれた。(前回演奏会)
 その 佐伯周子 が「全シューベルト」に戻って来てくれる。正月に聴かせてくれた演奏は「ヤマハXPモデル」ならば再生できるのだが、できることならば「フルコンサートグランド」で良いホールで聴きたいモノだ > 素晴らしい演奏だったから
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