詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

情けないハトッポとその影武者

2010年01月28日 | Weblog
平野(官房長官)は即辞任すべき、沖縄人に謝罪すべきだ!

さぞやあの世で松下幸之助氏がなげいてることだろう。
松下塾でまともなのは原口総務大臣くらい・・

まるで創価学会のような売国奴ばかりを生み出してしまったではないのか?
そんな私利私欲しかない馬鹿どもを選ぶ、鳩山ポッポや日本の有権者も・・どうしようもない。

阿修羅のごとくに

2010年01月28日 | 日記
以前日記に書いたように、僕の祖父は日露戦争で、304高地へと投入されて、その日の内にロシア軍の機関銃でほとんど全滅した日本軍の虎の子だった北海道の部隊のごく少ない生き残りだった。だから司馬遼太郎の「坂の上の雲」は他人事とは思えない。

僕の父はというと、その祖父が老年になっての十数人目という最後の子供だった。(正確に言うと夭折した弟が一人いたらしい)

父はというと、子供の頃から、多分に美化された祖父の日露戦争物語を聞かされて育ったせいか・・故小説家城山三郎氏のように、太平洋戦争終わり真近に海軍に志願したのだった。ラバウルやニューギニア縦断や戦艦武蔵での話しは耳にたこができるくらい聞かされたものだった。

両親ともに再婚同士で、高校の頃家出したという10歳ほど年上の異父兄の消息を探してくれ・・と死の間際まで言っていた母だった。親戚中や、彼が子供の頃いたという孤児院や、日本中の電話番号を調べたがとうとうわからず、母には申し訳なかったと思っている。

そして僕はというと・・約十年間もの間、認知症で寝たきりの母の介護をやりながら・・トヨタへと天下ってきた法務官僚たちと争いながら、企業内ホームレス状態だった。

通路にダンボールの小屋を作り「掃除をやってます」と上司に言う毎日だった。退職するまで毎日芝生でゴミ拾いをさせられる中高年社員や女子社員の姿を見せつけられながら・・

上司たちが「あいつらはアカだから一切話すな」というトヨタグループ内企業から出向させられて、他事務所入り口や、トイレ出入り口や、個室に隔離されて・・トヨタグループ内で辞めるように仕向けさせられていった多くの人々も知っている。
「母の介護のためには仕方ないんだ」と毎日のようにつぶやいていた自分の卑怯さもまた・・

◆明日から少し暇になりそうなので・・「pikki蛙外伝」や「反骨者列伝」を再開予定なので、また感想などよろしく!