詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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太田昌国のコラム : 知里幸恵『アイヌ神謡集』の広がり

2021年05月15日 | 故郷


 ●第55回 2021年5月11日(毎月10日)

 知里幸恵『アイヌ神謡集』の広がり

 北海道新聞のひとつの記事が目をうった。知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』の多言語への翻訳が国の内外で進んでいるとする記事である(同紙2021年3月13日付け夕刊)。知里幸恵は1903年、北海道登別に生まれた。アイヌ民族が口承によって受け継いできた神謡13編をローマ字筆記と日本語対訳として起こし、出版のために校正まで終えた直後の1922年、病死した。19歳の若さだった。来年は没後100年を迎えることとなる。(写真下=知里幸恵)

 

 『アイヌ神謡集』は幸恵の死の翌年1923年に、金田一京助の跋文を付して出版された(郷土出版社)。幸恵にまつわる私の思いは、以前にも書いたことがあり、それは、西成彦+崎山政毅=編『異郷の死――知里幸恵、そのまわり』(人文書院、2007年)に収録されている。幸恵のこの本は、その後も北海道の地域出版社から刊行されたことはあったが、1978年に岩波文庫に収められて以来、広く流通し、知られるようになった。現在も流通しているので、入手できる。私の文章は、岩波文庫では「外国文学」のジャンルに入る赤帯が付せられている意味を考えたうえで、幸恵と金田一京助の「コラボレーション」(協働作業)の本質的な意味合いや、幸恵の「表現」の的確さやリズム感も論じているので、お読みいただければうれしい。私の著書『テレビに映らない世界を知る方法』(現代書館、2013年)にも収録したが、かなり以前の文章なので、ブログにもアップしてある。
→ http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/yukie.html

 いや、それよりも、『アイヌ神謡集』そのものに触れられるのがいちばんよいことは、もちろんであるが、冒頭で触れた北海道新聞の記事に導かれて、かの女の郷里・登別に10年前に開設された「知里幸恵 銀のしずく記念館」のホームページをたずねてみた。
→ https://www.ginnoshizuku.com/

 すると、ベトナム語、バスク語、ロシア語、スペイン語、韓国語、英語、ギリシャ語など12言語に翻訳されたサイトがたちどころに現われて、「国境を越えて」広がる幸恵の世界を実感することができる。幸恵の原文は、口承文学を起こしたものだけに朗読するに適しているから、学習中の外国語で読んでみようという気持ちが強く沸き起こる。現在イタリア語への翻訳に取り組んでいるというイタリア人は、「館のHPを見て、自分が翻訳をやるべきだと思い立ちました。誰もやったことがなかったことに挑んだ幸恵の物語集は世界に知られ、受け継がれるべき集団的記憶です」と語っている。「集団的記憶」という表現には、「国境」や「民族」を超えた《類》への志向性がつよく感じ取られて、印象的だ。

 このような記事・報道が深く心に沁みわたってくる一方、同じ時期の北海道新聞には、見出しだけを拾うと、「日テレ、アイヌ民族差別」「番組で不適切表現、謝罪」「アイヌ民族ヘイト横行」などの文字が目立つ。番組で使われた言葉は、今なおこんな言い方をする者がいるのかと思えるほどの、深刻な差別表現なのだが、番組担当者やそれを言った「芸人」は謝罪した。するとツイッター上には、「何が問題なのか」「過剰反応ではないか」「アイヌは先住民族ではない」「日本にアイヌはもういない」などという投稿が相次いでいるという。歴史事実に基づいて、かつ人権を尊重して、何ごとかを言う――そのような態度とはもっとも遠い地点から発せられるこれらの言葉――それはもう、すっかり見慣れ、聞き慣れたた光景になった。

 このような否定的な現実に向き合うときに、もし徒労感をおぼえるようなことがあったら、幸恵が『アイヌ神謡集』に託したような仕事がそんな自分を励ましてくれるのだ。そんなふうに考えればよい、と思った。

 

銀の雫ふるふる 出演:吉永小百合、他 ラジオドラ

銀の雫ふるふる 出演:吉永小百合、他 ラジオドラマ - YouTube


〔週刊 本の発見〕『狼煙を見よ』(松下竜一)

2021年05月15日 | 政治

毎木曜掲載・第204回(2021/5/13)

熱い時代を生きた若者の真の姿

『狼煙を見よ』(松下竜一、河出書房新書)評者:根岸恵子

 

 映画『狼をさがして』を観た。3月に封切られた韓国の映画監督キム・ミレのドキュメンタリーで、1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」の思想的背景と事件後の関係者を追いかけた。人生のほとんどを安穏とした平和の中にいたと思い込んでいた私は、子供のころに見た新聞一面の写真を思い出した。爆破で飛散したガラスのなかに人が倒れていた。阿鼻叫喚の情景に恐怖は感じなかった。なぜなら、あさま山荘や「よど号」事件、爆破事件などが日常茶飯事の時代だったから。そう日本は熱かったのだ。

 映画の出演者も観客も、多くは寄せ場や野宿者運動、反核や戦後補償運動で見かける知己ばかりだった。熱い時代を生きた先輩たちの闘いは続いているのだろうか。その闘いは枝を広げるようにその根っこに「東アジア反日武装戦線」があるのだろうか。まるで懐かしいものを探すように「狼をさがして」やってきた人たちだった。

 私は「東アジア武装戦線」については彼らのようによくは知らない。映画を観てから、松下竜一が書いたこの『狼煙を見よ』を読んでみようと思った。そして暴力を肯定できない時代に生きるものとして、「なぜ爆弾なのか」という疑問の答えを知りたいと思った。

 大道寺将司ら「東アジア反日武装戦線」は地下出版した『腹腹時計』の中で「われわれは、新旧帝国主義者=植民地主義者、帝国主義イデオローグ、同化主義者を抹殺し、新旧帝国主義、植民地主義企業への攻撃、財産の没収などを主要な任務とした“狼”でる」と宣言し、戦前戦後と日本帝国主義に収奪されるアジア諸国、主権や文化を奪われ皇民として天皇崇拝を強要されてきた先住民族のアイヌと琉球、植民地支配下にあった朝鮮半島、台湾への日本人の責任を「日本帝国主義者」の子孫として真摯に向き合うべきだと問うている。

 “狼“とは「東アジア反日武装戦線」の中の一つのグループである。グループは他に “大地の牙”、“さそり”があり、それらは独立して行動していた。互いに干渉しない、リーダーのいない運動は、いまでも序列を重んじる日本の社会運動の中にあって、斬新なことであったのではないか。この事件を知るにつけ、「東アジア反日武装戦線」にかかわった者たちの凶悪な”爆弾魔“というイメージは、実直で生真面目で正義漢のある若者の姿に見えてくる。しかし、今を生きる私の目からは、やはり視野の狭い身勝手な若者の姿はぬぐいようがない。

 著者松下竜一は、なぜ「東アジア反日武装戦線」を書こうと思ったのか。本書の中にはそのくだりが詳述されているが、将司との繰り返されるやり取りの中で、次第に彼らに惹かれていく。(写真下=松下竜一)

 「安全な日本にいて『ベトナム反戦』を1000回叫んでも何の力にはならない。現実にベトナムの米軍を助ける働きをしている国内企業に爆弾を仕掛けることこそが真の連帯だという考えを、私は否定できないのです」
 「なんとしても、多くの人達に彼等のことを知ってもらいたい。爆弾魔というキャンペーンでぬりこめられ、獄の向こうに隔離されてしまった彼らの『真の姿』を知らしめたい」

 これは松下が、彼の機関誌を休刊したいという友人宛ての私信の中で述べたものだが、この文章を本書に入れた理由こそが、彼がこの本を書く動機の一つであったに違いないだろう。(写真左=松下竜一)

 『狼煙を見よ』の初出は1986年の「文藝」冬号であった。それから30年、この本は改めて出版された。歴史の真価は時間によってしか推し量ることができないのであれば、キム・ミレや松下竜一の心眼は、マスコミによって歪められた「東アジア反日武装戦線」を生きた若者の価値観と真の姿を再評価させるだけの意味を持つのだろう。

 さて、あの時と何が変わったのだろうか。
 オリンピックの口実のために、明治以降、差別の上遺骨と文化を奪われてきたアイヌ民族は自らのアイデンティティを白老の象徴的空間に押し込められようとしている。琉球処分によって失われた琉球の魂は戦争によって粉々にされ、土地は軍用地となり、今また辺野古を遺骨で埋められようとしている。アジアの自然を壊し、巨大なプランテーションを作り、人々は技能実習という奴隷労働をさせられている。難民という弱者に入管は人間扱いをせず、さらにひどい悪法を突き付けようとしている。

 インドネシアの女性はユニクロで働き、一方的に首を切られた。ミンダナオのバナナ農家は住友フルーツと不平等契約を結ばされ農薬被害と貧困に喘いでいる。日本のODAによる開発で家や土地、仕事を奪われそうになったモザンビークの人たち。ミャンマーの軍事政権に金を出す日本企業。挙げればきりがない。きりがない。ひどいことばかりだ。

 アジアとアフリカの人々の血と涙で肥え太った日本企業、私たちはその恩恵を受けてはいないだろうか。

 「多くの者は、不正に気付いても気付かぬふりをして、何もことを起こそうとせぬものです。東アジア反日武装戦線の彼らはいわば「時代の背負う苦しみ」を一身に引き受けて事を起こしたのであり、それゆえに多数の命を死傷せしめるというとりかえしのつかぬ間違いを起こしてしまったということです。その間違いだけを責め立てて、何もしないわれわれが彼らを指弾することができるでしょうか。極悪人として絶縁できるでしょうか。私にはできません。私は彼らの苦しみに触れ続けたいと思うのです」

 “大地の牙”メンバーだった浴田由紀子さんが、2002年の裁判で被告人として読み上げた最終意見陳述を、キム監督は映画の最後に取り上げている。

 「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたい。それは『もう誰も死なさない革命』でもあるはずです」。

 未来は私たちの手に委ねられている。


最後の晩餐には&『ゲド戦記外伝』....日本もまた占領下の国

2021年05月15日 | 歴史

最後の晩餐には
熱々のお茶漬けがいい
飲みつかれた後にしみじみと
焼いた塩鮭かタラコに熱いお茶で

大根下ろしを掛けるのもいい
チリメンジャコかイクラを
ご飯に乗っけて

漬物はやっぱりニシン漬けがいい
お袋の味を思い出しながら
大根とキャベツをぼりぼりと

おお今夜もやっぱり
風がえらい泣いてるなと呟きながら


『ゲド戦記外伝』ル・グウィン(岩波)再読
ファンタジーの中で、何回読んでも好きなのは『影との戦い』(『ゲド戦記シリーズ』第一巻)だが・・表題の別巻は、より現代を反映した『ゲド戦記』シリーズ最高の出来栄えかもと思う。映画化された「ゲド戦記」は、たぶん映像化の容易さを最優先したために失敗したのだろう。

この『ゲド戦記外伝』の魅力はー
「カワウソ」「湿原で」の二章につきる。前者では、かっての革命的組織の再復興をなした・・まるでチェ・ゲバラのような一人の魔法使いの一生が語られる。
そうして作られた魔法の学校が「影との戦い」の舞台の・・ロークの魔法学院。
後者は「影との戦い」の後日箪。《メドラなる名を持つ若者は死んだ女をその腕に抱いて、ぬかるみの中にすわりこみ、ひとり、静かに泣きつづけた。
「この女はおれを救ってくれたのに、おれはこの人を救えなかった。」若者はだどりついた山間の村の人びとに、男女を問わず、泣いて訴え、すでに硬直した、雨に濡れたままの遺体を、人びとから守ろうとするかのように、ひしと胸に抱きしめて、離そうとはしなかった。》(「カワウソ」より)

日本もまたずっと続ずく占領下ではないんだべか。
戦前は、憲法を恣意的に解釈して天皇の名を語った「統帥権」で、財閥と軍と官僚がこの国を占領した独裁国家だった。それに言及せずに、戦前の日本は素晴らしかったとか、「自虐史観」だと言っても・・この基本的な捉え方が間違っていてはどうしようもない。

戦後はアメリカと、その意を受けた官僚層の占領した国だった。在日米軍基地の75%が置かれた沖縄でそれが顕著だった。特に数十兆円もの税金をつぎ込んで銀行・農協等を責任者の罪を問うことなくうやむやにした住専問題以後は、資本主義とも言えない日本国であり、その後数千兆円が宗主国米国へと貢がれてきた。

資本主義の基本とは、「借りた金は返す」「借金を返す担保・信用がない者には貸さない」というのが資本主義の基本だ。その基本を無視した者たちは罪を問われるべきだからだ。特に我々の税金で救済する場合には。

《占領とは、他者の人間性の否定、他者の尊厳の否定です。一民族全体が、組織的かつ集団的に、その人権を否定され、人間としての尊厳を否定される、それが占領です。 サラ・ロイ「ホロコーストとともに生きる」『みすず』2005年3月号より)》(「憲法9条の会」のtodaysongさんの書き込みから引用ーhttp://cafe.ocn.ne.jp/cafe/bbs.cgi?mode=detail&art_no=1975176&m_no=99210&t_no=0)

その意味では、ガザと日本は同じなのではないのか?ただわずかな違いはと言えば、日本の場合は太らせてから収奪するという方法・・だっただけの違いではないのだろうか?