ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

意志の疎通

2007年04月21日 | わが青春の、書抜き帳。

意志の疎通が可能になった敵は、もはや敵ではない。

逆に意志の疎通が不可能になった友人は、もはや友人ではない。

(フルシチョフ)

だいぶ前の書き抜き帳からだが、今も真理だ。

  

戦争も、立てこもりも、意志の疎通が出来なくなって起こる。

遠距離恋愛の二人も、まめに携帯やメールで意志の疎通をはかりましょう。三メートル以内の二人は、糸電話で話し合いましょう。耳の遠くなった高齢者夫婦は、拡声器や補聴器を活用してでも、混みニュケー所ンを取りましょう。あれ、混みニュケー所ンとしか変換できない。

もう一度、コミュニケーション。  わかった。コミニュでなく、コミュニだ。僅かな違いで変換できない。僅かな違いが誤解を呼ぶ。

六カ国協議でも、微妙な言い回しの違いや、誤訳に近い翻訳で話がこじれる事もあるのではとおもう。

官製談合などは、話が通じるから、談合できるのか。

夫婦間談合あれば、離婚ないか?     話脱線転覆。


八方美人

2007年04月21日 | 一行法師

「手を振ってのご声援、誠に有難うございま~す」。

行き交う選挙カーのたびに、手を振ってしまう。

支持者でもないのに相手が手を振ると反射的に手を振ってしまう。八方美人でお調子者じゃないのに、だれにでも反射的に手が動くのだ。

明日の選挙を前にして候補者は、手ごたえありと喜ぶのはまだ早い。 

誰にでも手を振ってしまう選挙民がここにいる。

昨日も、選挙カーを後ろから見たら、車の左右両方の窓から運動員が腕いっぱいに出してゆらゆらと手を振っている。八本ぐらいの腕が左右に出てるさまは、蟹さんのフラダンスのようで誠に滑稽であった。

何人かの落選者が出て、選挙が終われば、何時もと変らぬ「市議会」が開かれ事もなく粛々と議事が進むのでしょう。

定数と立候補者の数の差が少ない。候補者の「努力」はこの一週間だけで終わりますあと半日です!候補者の皆さん頑張ってください!謹んでご声援申し上げます。

私達は、毎日「努力」してもなかなか(暮らしに)追っつきませんから

当選のあかつきは、市民の皆様のために充分働いて下さい。

頼んますよ。  ホントよ。 マジにね。 念には念を入れ頼むのはこちらです。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王

あかねさす村はずれ行き街を行き誰かれ問わず君は手を振る 吉天


「きものの現場」4 +帯つき

2007年04月21日 | きものの現場

爽やかな新緑、コートや羽織をとって、帯つきで歩けます。

春らしい付け下げきものに、袋帯を格調高くびしっと締めて居られました。

おやおや、後姿を見て驚きました。たれ先が普通の倍以上出ているのです。ご自分で着付けて帯も自分でちゃんと締められる方のようですが、鏡でチェックしないで急いでお出かけになったんでしょうね。

出ているたれ先を、帯の界切線が二分するように丸々出ているのです。ご自分の手加減で楽に帯結びできる方でしょうから、鏡でチェックしなくても大丈夫との自信で気が付かなかったのだと思います。

コートとか、隠れる物のない帯付きのころ、着付けや帯結びの気配りを怠りなく着ましょう。


雨後の筍

2007年04月20日 | インポート

竹薮と森のある近所の農家で、この時期毎年、朝掘りの筍分けてもらいます。3日前の朝のは昨日家内が調理して、もう吉天の胃の腑に納まっておりますじゃ。

「どんどん出るからいつでもどうぞ」と言われていたので、今朝掘っていただこうと昨日予約を致しましたところ、味を占めた常連さんが、本日の分を大量におさえられて、明日までお預けとなった次第。

旬のものが旬にいただける幸せに感謝。

ところで 「雨後の筍」は諺にもなっているほど。雨の降ったあと筍が勢いよくあちこちにでる。と同様に次々と物事が続いて出てくること。

近頃のように、事件や不祥事が、次々と出てくる「雨後の筍」は、いただけませぬ。

今日は「穀雨」。

このころの雨は、田畑を潤おし穀物や植物の生育に欠かせない。慈雨だから、雨降っても文句言えないよ。


2007年04月19日 | 一行法師

昭和48年にアメリカの商業施設の見学に行ったときのこと。

とある宝石店で、ウインドウを覗いていて、自分の行動が何かのはずみで、不審に思われたのかどうか解らないのだが、ウィンドウの両脇にいた屈強なガードマンが「What’s!」と低い声でうなると、同時に、腰の拳銃に手をかけていた。

単なる威嚇だったと思うが、それにしても日本ではありえないことで、度肝を抜かれた記憶がある。

西部劇のガンマンはかっこいいと見ていたが、どこにも、誰でも煙草のライターのように、銃があるアメリカ社会は異常だ。


「きものの現場」3 +杉村春子

2007年04月19日 | きものの現場

昨夜、NHKの衛星放送で、蔵出し杉村春子ショーを観た。

杉村春子さんの言葉から、

「人から見て、(きもの姿が)きれい美しいは 自分にとってきつく つらい。人が見て きたないは、自分にとって楽だ。」

いつも きもの姿が美しく楽に着ているようだった杉村春子さん、舞台で観客の目にさらされて見られていると言う緊張感がすきのない美しさのもと。

苦もなく きものを着こなして居られた杉村さんにして、きものを着ることに、このような気の張りを持っておられた。

この気の張りが、内面の美しさまで引き出し 美しいが上に美しいと、人は見る。

美容にかけては、最優先の現代女性も杉村春子さんのように、気の張りを持って、きもの着用に挑戦してみては如何。


「きものの現場」2 +展示会

2007年04月17日 | きものの現場

前記事と同日。

東京の呉服屋さんの連盟(呉盟会)の伝統行事の赤札市で春秋2回行われる。今回は、50回記念で衰えぬ人気の会。

呉服小売店が、在庫商品を特価にして持ち寄り、それぞれの顧客を呼ぶ。市価の、2,3割方安く、半額以下の黄札商品もあり高額品もこの機会にと、金、土、日の三日間お客が切れない。

商品は安いばかりでなく、高級呉服店の店主や、目利きの仕入れ係が選んだ逸品ぞろい。

お客も日ごろから、目の肥えた上顧客主体である。一方娘の成人式の振袖を選びに来る人もいる。

来場客の3割が、和服姿で買いものに来る人たちで、よい着物をきちんと着こなしている。というのも、仕事柄きものを着る人たちで、きものが必要な人たちが多いからだ。吉天の分類で行けば、職業的にきものを着る人たちに当たる。つまり趣味と仕事が一致した人たちともいえる。 茶道や、邦楽、邦舞、華道、着付け教室の講師、和事に携わる人々。

呉服屋が、無理に勧めなくても自分に似合う着物を自分で選べる人で、本物の良さをよく知っている。安くてもB反市の品ではない。

もちろん、きものが好きで日常的にきものを着ている愛好家も多いと思うが、東京一円の広い地域からすれば僅かであろう。

この会に限って、需要と供給のバランスが保たれて長続きしているゆえんである。


「きものの現場」 1+ 茶会

2007年04月16日 | きものの現場

4月25日(日)大安

茶会にお出かけの人

30台はじめの女性お二人、浅緑色(萌黄色よりもやや薄い)の紋綸子色無地のきものに、帯は黒地に有職風桐菱文様の袋帯。帯揚げは洗朱色の絞り染め、帯締めは、同じような朱色。草履の鼻緒も薄い朱色で統一感あって色彩的にはよくまとまっている。残念ながら長襦袢の袖が一寸ほど短くちょっと出てきそう。

もう一人の方、きものはろうけつ染めの線描に紅型風の彩色の御所解模様の小紋。更紗でもない、あまり見かけないきもの。帯は樺色(かばいろ)に、箔使いの正倉院模様の袋帯。

ややあって、駅のコンコース急ぎ足の方。薄墨色の地色の訪問着に桜の花木の模様。帯は黒地。

四人目の方、電車の中。鮮やかな萌黄色の色無地のきもの。短い道行きのコートは、濃い臙脂色か、ワインレッドか。帯不明。コートときものの色がかけ離れてしまった。

気温高め、まずまずの天気で、いずれの方も茶会に赴くところ。

お日柄もよく、明治記念館などに行けば、きっと多くの和服姿の人々が見られたことであろう。


新鮮・陳腐そして・・

2007年04月15日 | 一行法師

いつも新鮮でありたいと思いつつ、何時しか陳腐になっている。

陳腐の腐の漢字は、よく見ると雁垂れ(ガンダレ)に、付く肉で出来ている。肉が付くと腐るのか。メタボ? 皆の衆 ご用心、ご用心。

テレビの番組も、各局それぞれ4月は番組改更で、新鮮さを出そうとしているが、変りばえ無く今のところ目立ったものは無い。

ところで、保険会社のコマーシャルが多い。あの多額の広告宣伝費は、どこから出ているのかと常々思っていたが、損保、生保の多額の不払いで各社の首脳陣が、揃って頭を垂れていた。「稔るほど、頭を垂れる稲穂かな」 何の事は無い不払いで稔ったので頭を垂れているのだ。

視聴率の高いゴールデンタイムにがんがんCM打てるのは、不払いで稼いだ金だ。にゃろめ!!

メディアもCM料ガンガン入るところは、お得意様だから不払いであろうと、何であろうと、糾弾する事は無い。

この構図は、今の日本、あらゆるところにあると思ってよい。

いたは、ってやがらあ~

新鮮・陳腐についてが、思わぬ横道にそれた。許されい。


「きものの現場」レポートにあたって

2007年04月14日 | きものの現場

過日、六本木の東京ミッドタウンに出向いたときのこと。ミッドタウン半日歩き回ってきものを着ている人に出会ったのは、帰りがけに出入り口での中高年女性一人であった。何十万人に、一人と言うことになる。

粋な着こなしのその女性に声をかけてみると、少し太ってきたから体形を隠す為にきものを着ているとのことであった。

当節、日常に街なかで普通に行き交う人の中で和服姿の人は誠にまれである。

婦人雑誌や、きもの関連雑誌などで、モデルさんや、女優さんが きれいにきものを着ているのは、編集者の作り事で、絵になるように出来ている。

現実の世界と著しく乖離しているように思える。

現実の着物姿が、そのまま映し出されて まともなのは、小津安二郎監督の映画に見るような場面で、昔の大女優がごく自然に着ている姿だ。

現代の映画やドラマでも、女優さんのきもの姿のシーンは出てくるが毎日きものを着て生活をしてない人の場合は、着物を着せられて演技をしているように見て取れる。

そこえ行くと、さすがに歌舞伎界の人たち(役者夫人)は、文句なしに着物姿が板についていて何の違和感もない。むしろオーラさえ感じられる。

素人の女性も、きものが好きで毎日の生活をきもので通している人は、そのまま「きもの美人」の称号を差し上げたいほどである。

これから「きものの現場」では、次の事柄で展開して行こうと考えます。(単なるきものウオッチングで、大上段に構えて論じる事でもないのでお気軽にどうぞ。)

1)きものを着ている人と、その場面。

2)きものの流行、(主として、昭和30年代以降の)。

3)きものの着こなしと、コーディネイトを見る。

4)きもののこれから。

    1)のきものを着ている人と、その場面について

     イ、職業的にきものを着ている人。

     ロ、習い事できものを着る人。

     ハ、きものが好きで、毎日のようにきもので生活している人

     ニ、冠婚葬祭できものを着る人。

     ホ、リサイクルきものを買ってアンティークに着る人。

場面の例・観劇、相撲見物、和食レストラン、和の場面、茶会、舞踊の発表会、一流デパートや、呉服店の顧客としてショッピング、夏の花火大会などでの若い人のゆかた、結婚式場、神社仏閣、観光などなど。

鳥の目、虫の目できものを見てゆきます。次回から具体的に記事にしてまいります。