散歩写真をBGP(Back ground Photo)に
日々の徒然、主にたべもの。
わたしの居場所~M's Lunch Boxes



大人の社会科見学、今回はちょっと写真中心で。
これといって説明することもないのですが 整然と並んだ弁柄工場のようすが
色といい、たたずまいといい とても心惹かれるものがありました。

江戸末期から昭和47年に近くの銅山が閉山するまで弁柄の産地として稼働していた吹屋。
このべんがら館は明治時代の工場を復元したものです。



ローハという弁柄の原料(磁硫鉄鉱)を焙烙(ほうろく)に盛って土窯のなかにたくさん並べ
700度の火力で1日~2日かけて焼きます。すると赤褐色の焼燬となります。





焼燬を水洗碾き臼にて 水を加え沈殿させることで選別し 
さらに水車を用いた石臼で挽いていきます。





その後水槽の中で何度もかきまぜて酸を抜いていき 天日乾燥すると 粉末の弁柄となります。

テレビで工業用ロボットのレポートなど見ていると
こういうものを作り出すひとは ネ申 だな と毎回思うのです。
先人の道理にかなった生産施設は さらにパイオニアとしての尊敬の念を感じます。

実は今 わたくしが凝っているのは
ざらっぽい鉄分を含んだ土に 彫を入れ焼きあがったところでそのくぼみに弁柄を置き
さらにその上からジルコンという白い釉薬をかけてるという装飾。
白い釉薬に この弁柄の鉄分が浮き上がってくるのが とても好きなのです。

ついつい 勢いで黒弁柄と赤弁柄の粉末を買ってしまいましたが
一回に使う量は実に微々たるものなので これで一生分のマイ弁柄となってしまいそうです。

サテ

べんがら館を見学した後は 夫がどうしても行きたいという広兼邸へ。
同じ場所を目指してきたわけですが 微妙にそれぞれ関心が違うので
バランスが取れているといえば取れているということになりますか…。

そちらへ向かう途中にあるのが 笹畝坑道という 銅の採掘場。
こちらも吹屋の産業として大正末期まで銅の採掘でにぎわい、
昭和に入って復元整備されたものです。



鍾乳洞化はたまたハリー(大脱走)かという洞窟です。



側溝には銅の成分を含む青い水が流れています。



採掘場のドームのようなところには ちょっとぎょっとしますが
当時の労働者さんたちも。



こうして 歴史上の産業を知るたびに
酷使されたであろう労働者に手を合わせる思いがします。
少しふざけたようなリアクションをしつつ、その過酷な労働と搾取を思うと。

ひんやりとして穴から出てしばらく行くと
その搾取によって財を成したであろう庄屋の邸宅にたどり着きます。



「八つ墓村」のロケにも使われたというこのお屋敷、二階建ての母屋から
土蔵3棟 楼門 長屋 石垣つくりで 離れも。





どこへ行っても釜場というか台所は興味があり、
煮炊きしたものを想像するのはとても楽しい。



面白かったのは 日本庭園の中にあった 水琴窟。





手水鉢の横に作られた穴に 竹を通して水を落とすと
かすかに ころころと音を立てる仕組み。



これは静かな場所でないと 楽しむことができません。
鶯のほーほけきょとのアンサンブルの風情があって素敵。

なんともわかりやすいキャラクター「べんがらくん」の道案内版もここで終わり。
お決まりのソフトクリームを食べて(我が家はいつもこれで〆ます)
デンジャラスなスタートからの一日が終了。

なんと ナビは高速ではなく一般道を推奨していたりする。
そして そのほうが所要時間もかなり短いということが判明して
朝の冷汗はいったい何だったのだろうという思いを胸に 玉島へ向かうのでした。

………………………吹屋編はこれで終わり。 


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