広報邂逅記

広報宣伝に携わる私が、世の中の面白いこと、美味しいものや温泉鉄道旅を紹介します。(⌒∇⌒。)三(。⌒∇⌒)。

ブログ200309 JR東日本 AIアナウンス?のイントネーションの酷さ~咳エチケットと窓開け~南武線の野...

2020-03-09 20:04:44 | 食べ物
今朝、電車に乗っていたら、咳エチケットや車内換気のために、窓を開けようというアナウンスが入った。

とても眠そうな気だるい女性の声だった。
イントネーションや、息継ぎも変だったので、多分AIの声ではないか?

車内アナウンスなんだから、もっとはつらつとした声にして欲しいものだ。

というより、車掌さんが乗ってるんだから、車掌さんが話せばいいだろうに。
その方が、味があるし皆も聞く耳を持つだろうに。

▼窓開け呼びかけのニュース
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20200304/1000044978.html

ところで、写真の通り、今どきの窓は開け方が難しい。
しかも、人が座っているので、さらに開け難い。

できれば、ホームにいる駅員さんが祖とから開けてくれるのが、一番有難いし揉めなくてすむ。

アナウンスだけではなく、実行して欲しいものだ。



さて、
JR東日本の南武線には、クリスペプラーばりの美声の車掌さんがいる。
どおせなら、この方のアナウンスを録音して流してくれれば、コロナで疲弊している皆なの心も和むことだろうに。

なんでも、機械的に処理する風潮というのは、いかがなものだろう。
人生が無機質になりがちだ。


▼南武線 美声 車掌の野澤さん
https://matome.naver.jp/m/odai/2142516610874777601


ちなみに、2018年の新宿駅新南口のビアガーデンで本物クリス・ペプラーさんがDJしたこともあるらしい。
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ブログ200305 イタリアの高校の校長先生が生徒に宛てた心温まるメッセージ

2020-03-09 08:24:17 | 食べ物
イタリアの高校の校長先生が生徒に宛てたメッセージがとても良いと話題になっている。

数百年前に大流行した伝染病「ベスト」を引き合いに、休校で学校に来られない生徒たちに向けたらものでした。

イタリア・ボルタ高校
ドメニコ・スキッラーチェ校長

学校は休校になりましたが、お話ししておくことがあります。
当局の慎重な判断を尊重しますが、
皆さんには冷静に
集団の妄想にとらわれることなく
必要な予防をした上で
「いつもの生活を送ってください」と言いたいです。
こんな時だからこそ、散歩をしたり
良い本を読んだりしてください。

元気であれば、家に閉じこもっている
必要はありません。

ズーパーや薬局に駆け込むのはやめましょう。
マスクは病気の人が主に必要なので
彼らに譲りましょう

病気が急速に世界に広がっているのは、
私たちの時代が残した結果で
何世紀も前には速度は
少しだけ遅かったですが、
同じように広がりました。

それを止めることができる壁は
存在しません。

このような出来事での
最大のリスクの一つは
社会生活や人間関係に「毒を盛ること」と
市民生活を野蛮にすることです。

外国人への恐怖!権力同士の争い
感染源のヒステリックな捜索
専門家への軽蔑、デマ、ばかげた治療法、
必需品の盗難!医療機関の緊急事態…
目に見えない敵によって
脅かされていると感じる時には
同じ人間同士なのに
他人を脅威や潜在的な侵略者のように
見たりする危険があるというのが
先祖から受け継いだ本能なのです

14世紀と17世紀の伝染病の時と比べ
私たちには近代的な医学があり
進歩し正確になりました。

私たちは社会組織と人間性という
貴重な財産を守るべく
合理的な考えを持つようにしましょう。

もしそれができなければ
伝染病が本当に勝ってしまうかもしれません。

では、早いうちに また学校で
待っています

------------------------------------------------------------------------


病人にマスクを譲ること、まさにその通り。
病人や医療従事者、疾患のある高齢者など、本当に必要な人にマスクは譲るべきだ。

ましてや、買い占めてネットで法外な値段で売るなんて言語道断。

自分さえよければいいなんて、
天誅である。

集団の妄想や人間関係に毒を盛るということも、心に響く。
見えない不安が心を荒ませるのであろう。
そういう時こそ、皆んなが協力しあって乗り越えたいものだ。

どこかの国のように。やられたからやり返すみたいな、民度の低いことはしたくない。
人間として正しく生きたいものだ。

マスクはともかく、デマに絆されてトイレットペーパーを買い占めるのはやめよう。

必要な人に届くように譲り合う精神で。

もうすぐ311である。
あの震災の時に助け合った気持ちを忘れずに。

そして、震災の時に窃盗に入ったヤカラに天誅を。





人間関係に毒を盛ってしまうこと、集団の妄想にとらわれてしまうこと。。
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ブログ190815 青春18きっぷの旅 二日目~山形県 山寺に登ります ~山寺駅→羽前千歳駅→新庄駅

2020-03-06 18:17:40 | 食べ物
16:01 山寺駅発の仙山線


再び、青春18きっぷの旅の始まりです


羽前千歳駅で乗り換えて、本日の最終目的地「新庄駅 」まで行く予定です。


こちらは、15:00に仙台を出で16:01に山寺に到着する仙山線の停車駅と時刻。


山寺から羽前千歳までは15分程度


羽前千歳の構内図です。
ホームの看板を見ると、仙山線側にオレンジと緑で塗られているけど、2番線にも奥羽本線が停まることがあるのだろうか?


16:15 羽前千歳駅に到着

16:16山形駅へ向かう仙山線をお見送り


1番線は仙山線、2番線は奥羽本線のようです。


羽前千歳駅で合流し、両方とも山形へ行くようです


こちら側の駅名標は
オレンジと緑で塗られていて、奥羽本線と仙山線の両方が停まるのでしょうか?

前出の構内図では、そうはなってないけど。。。


16:23
山形へ行く奥羽本線。
新庄へ行く奥羽本線もこのホームだから、登り下りともに、1番線のようです。

たまに停まるのかな?


ポイントの所で線路がクロスしているのがいい風景です。


よく見ると仙山線側には、車留めがあります


のとかで、いい風景です


16:29
定時運行で新庄行きの奥羽本線がきました
三両編成です。


16:47 乱川駅

なんか、この駅名、江戸川乱歩を想像してしまうのは、わたしだけ?

無人駅では、車掌さんが降りて清算してます。
東京では見られない、ローカルならではの光景です。


16:52 さくらんぼ東根駅
三両編成だから、ワンマンではなく、車掌さんが乗ってるのかな?
ワンマン用のお金入れも右手にあります。

さくらんぼ東根駅といえば、GWの山形新幹線連結不具合事件で、隣り合わせになった女の子が降りるといっていた駅ですね。

福島からは、かなり遠いですね(^_^;)
あの時、いったい何時に着いたのでしょうか?
無事にお家に戻れているといいのですが。。。

そして、駅名にもさくらんぼとついてますが、東根は佐藤錦が有名です。
従姉がいつも東根のさくらんぼを送ってきてくれます♪超美味しいです。


17:35 新庄駅に到着です!
終着駅なので、車止めが見えます。


別のホームに「奥の細道」号なるものが停まってました。

本日の青春18きっぷの旅はここで終了
でも、本日の旅はまだまだ続きます。
今夜は秘湯と呼ばれる肘折温泉に宿泊予定。

これから、さらにバスで1時間の旅が続きます。

つづく


▼新庄から奥の細道のブログ
https://4travel.jp/travelogue/10431827


こちらは、山寺~羽前千歳までと、羽前千歳~新庄までの停止駅と到着時間


1時間10分の旅でした。
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ブログ190815 青春18きっぷの旅 二日目~山形県 山寺に登ります ~山寺周辺と山寺駅

2020-03-06 18:13:55 | 食べ物
15:15
仙台へ向かう電車です


本当は橋を渡る所を撮りたかったのですが、間に合いませんでした((T_T))


まあ、撮れただけでもいいか。


▲旧山寺ホテル

往年の輝きを残す旧山寺ホテル。
登録有形文化財の旧山寺ホテルは、2012年からやまがたレトロ館として無料で入ることができるそうです。

ホテルだと思って写真を撮りましたが、レトロ館だったんですね。

時間があったので、見学すればよかった。
なので、中の様子は投稿しつあった詳しい感想を引用。

かなり老朽化しているようなので、皆さん寄付してあげてね。


《感想》
結城泰作のペン画約120点が常設展示されています。1階は大女将さんに案内してもらったと思います。2階大座敷からの立石寺の眺めは素晴らしいものがあります。随所に往年の姿を留めていますが、老朽化のよる痛みもあり保存活動による修復が必要の状態でした。無料ですがこの素晴らしい建物を保存するには来場者の寄付も大きな支えになることでしょう。2階に無料コーヒーコーナーも用意してあり、コーヒー代を寄付してお暇しました。


▼旧山寺ホテル
https://fregrantedolive.hatenablog.com/entry/2018/12/09/210000

http://yamaderahotel.hateblo.jp/about

https://blog.goo.ne.jp/obenben/e/2d808d7f57ab7d23fa363f88ed6805ed


15:31
我々が乗る電車は16:01なので暫し休憩
駅に近い方がギリギリまでのんびりできるので、駅前のお店に入る

▼焔藏(えんぞう) 山寺店
https://s.tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6007535/top_amp/

https://www.enzou.jp/


甘味は売り切れで、
珍しくかき氷を選んでしまいましたが、甘かった(^_^;)

後で調べたら、十割蕎麦が有名らしいお店でした。

https://retty.me/area/PRE06/ARE162/SUB16201/100001135256/4630026/

意外に山形は蕎麦とうどんが美味しいんですよね。


15:55
山寺駅です


16:00
仙台方面からの電車が見えてきました。


左に見切れているのは、駅の横にある見晴らし台です。

けっこう皆さん上ってました


橋を渡る仙山線
ちょっと小さい。。


上記を引きで撮ってみました。

我ながら、なかなか良く撮れています!


16:00 入線


16:01 山寺駅発 山形駅行きの仙山線です。

おすこさんの念願であった、
岩にしみ入る蝉の声がライブで聴けて良かったです。
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ブログ200212 英雄たちの選択 奥の細道~閑けさや岩にしみ入る蝉の声~青春18きっぷの旅 番外篇

2020-03-04 14:11:49 | 食べ物
半年近く遅れて2019年8月の青春18きっぷで旅をした山寺のことを記していたら、大好きな磯田先生がMCをしている「英雄たちの選択」で、松尾芭蕉特集をしていた。

奥の細道は江戸 元禄時代の1689年(元禄2年)から元禄4年(1691年)の旅の際の俳諧および紀行ですが、断片的に知っているだけで、ちゃんと行程を追って初めて観てみました。


芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたる1689年(元禄2年)に、門人の河合曾良を伴って江戸を発ち、奥州、北陸道を巡った旅行記。


全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って、元禄4年(1691年)に江戸に帰ったそうです。


奥の細道の刊行は翌年の1692年(元禄5年)だそうです。
番組では、沢山の推敲がされた文献も紹介されてました。


即興というよりは、熟考されて創っていたことを今回、知った


二人の旅の目的は師として敬愛する西行法師の500回忌にあたる元禄二年(1689年)に、西行法師や古(いにしえ)の歌人が詠んだ名所・歌枕を訪ねる巡礼の旅だとされています。
そのため、奥の細道には歌枕が多くみられます。

▼奥の細道のブログ
https://wabisabi-nihon.com/archives/18229


芭蕉は元禄時代に伊賀で生まれ、津藩の大名 藤堂家に仕えていたので忍者 隠密説もあるが、それは定かではない。
ただ、俳諧だけの巡礼旅だけではなく、幕府のために情報収集という役目も兼ねていたのかもしれない。
それは、供として連れ立った門人の曽良の存在だ。

曽良は後に江戸幕府の巡見使随殷となり、大名。監視や情報収集を担った人物だった。
芭蕉の奥の細道は、はたしてどんな旅だったのか?
芭蕉が隠密である証拠はない。

そんな曽良を伴い元禄二年3月27日、奥州へ向けて出発。
千住で見送りにきた友ともたちとも別れ、
全長2400Km、五ヶ月に渡る壮大な旅の始まりである。


蝉の声が鳴り響いているのに、閑さやとはどういうことか?


蝉が鳴いている現実とは違うレベルの静かさだと、まず思った方がいい。
そうすると、それは心の世界であろうと言うことになるわけでです。
テラスが空中に張り出してくる、そこに立つと空の真ん中に立ったような気分になるんですよね。
そういう場所で、おそらく詠んだ
岩に染み入るように津々となく蝉の声を聞きながら芭蕉の心は青空の世界に遊んでる。
静かさの中で芭蕉の心が浮遊している句ではないか?
歌枕の中をずっとたどってきた芭蕉が時間が押し流していくこの世を
どうやって生きていったらいいかという疑問を抱いていた芭蕉が宇宙の静けさに初めて直面するところの句である


立石寺の閑さやの句から越後路の荒海やの句まで、本当に月と太陽と天河がならんでいるが、まさに「不易流行」ということが句の形で示しているのではないかと思うんですね。


流行
宇宙というのはさまざまに動いているように見えながら


不易
実は何も変わらない姿を大昔から未来に渡ってとどめている

この世は変化しているように見えながら
実は何も変わらないというのが
この宇宙の実態で
つまり、
変化=不変
ということなんですね。


絶えず、うつろうように見えるこの世も、宇宙から見れば永遠不変である。
不易流行という世界観を得て、芭蕉の度は日本海に沿って続けられた。



最後に驚いたのは、芭蕉はただの俳諧おじさんだと思っていたら、江戸では治水工事などを個人で請け負う、なかなかの商売人であったことだ。
あの神田上水も芭蕉が絡んでいるとか。

治水工事には、緻密な傾斜で水を下流へ流す、計算や、費用・賃金計算などもできなくてはならない。
さらに、工事を行う人足も集めなくてはならないので、それなりの信用と人望も必要だ。


今回の青春18きっぷの旅をきっかけに、芭蕉の句を改めて理解することができ、とても感慨深い旅の経験となった。


おまけ

英雄たちの選択にゲスト出演者された
嵐山光三郎さんは、
山寺での
岩にしみ入る蝉の声
の蝉の声は、
自分に俳句を教えてくれた蝉吟(せんぎん/仕えていた藤堂良忠公)に対する思いからどおしてもいかなくてはいけないという芭蕉の思いがこの句に入っていているのではないかと。
暑いなか、上っていく立石寺の石段を蝉吟声を聞きながら、芭蕉は蝉吟のことを思い出しながら詠んだ追悼句なんじゃないかと、考えながら自分も上ると、こっちまで胸につまってくる句ですね。


嵐山光三郎さんと言えば、笑っていいともの編集後記のおじさんのイメージだったが、久しぶり拝見した。

松尾芭蕉の研究者というか、題材にいろいろと執筆していて、賞もとっているようだ。

調べたら、磯田さんとこんな本も出していた
今度、読んでみようかな

▼影の日本史にせまる~芭蕉は、あるレベルでは忍者だった
https://books.j-cast.com/2018/11/07008212.html


NHK BS 英雄たちの選択
2020年2月12日 20:00 OA
“奥の細道”への道~松尾芭蕉 五・七・五の革命~
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