9:30
瀬見温泉を散策です。
10:22発の陸羽東線なので、出発まで時間があります。
瀬見温泉には、義経と弁慶にまつわる伝説が多く、こちらの
「産湯」は、弁慶が岩を割って見つけ出した温泉のモニュメントで、飲泉が可能。
観光案内パンフは屋根がついている写真だが、実際にはついていなかった。
湯前神社
飲泉の奥にあります。
文治3年に弁慶によって発見された瀬見温泉の守り神で、亀若丸の産湯として使われたといわれています。
建立の年代は定でないが、度々の火災にあい、現在の本堂は享保年間(約1718年)頃に再建されたものとされている。
祭神は湯の守護神である薬師如来と不動明王が祀られている。
欄間や木鼻の彫物は、初代 出羽の勘七木竜の作といわれている。祭礼は毎年九月一日である。
毎年、9月1日には義経を偲び中尊寺、毛越寺の僧侶による供養祭が行われます。
瀬見温泉散策マップ
30分ほどしか時間がありませんが、義経と弁慶の伝説の場所を周ってみました
伝説ガイド
兄頼朝の追ってを逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治三年(1187)に、最上地域を通ったとされています。なかでも瀬見温泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音や弁慶の笈掛け桜といった義経主従にまつわる数々の伝説、旧跡が残されている
薬研湯
夜に降った雨の影響か?
川の水量が多いのか?
岩が水に埋もれている感じ?
薬研湯〈やっけんのゆ〉
産湯を探して谷川をくだった弁慶が、川辺に湯煙りを見つけ、なぎなたを砕いたところ温泉が湧き出てきた。
瀬見温泉の由来について
文治三年(1187年)春、兄頼朝の追討を逃れ、奥州平泉に落ちのびる義経主従13名が、亀割峠を越え当地にさしかかった時、かねて身重の北の方が急に産気づき途方にくれた義経は亀割山中の観音堂に北の方を休ませ、弁慶は産湯を求めて沢へと下った。浅き瀬、を見て川を渡り紫雲立ちのぼる川辺の大岩を薙刀で突き破ると不思議にも白龍昇天のごとくお湯が噴き出たという、このお湯でまもなく生まれた若君の産湯を使い数日をこの地で養生し回復をまって平泉へ向かったという、これが瀬見温泉発見の由来である。
http://semi-onsen.com/yoshitsune/
喜至楼
本館玄関とその周辺建物は、山形県内に現存する最古の旅館建築物と言われ、館内の建具や彫刻や装飾品なども歴史的なものが数多く残っているそうです。
瀬見温泉の入口にあり、最上川にかかる「亀若大橋」。
瀬見橋が亀若大橋として造られたそうです。
義経の子は亀割山にちなんで亀若丸と名付けられました。
亀若丸は産声をあげなかったと言われており、
赤子ながら、父が追われる身であることを悟っていたと言う説があるのです。
その赤子が、初めて産声をあげたのが、
子が鳴くという字をあてた、現在の鳴子と伝えられています。
https://shiten3403.exblog.jp/29718041/
奥に見えるのは
位置的に弁慶大橋でしょうか?
だいぶ増水しているようです
でも、意外に水面は澄んでいます
酒は
このきみ
男は
弁慶
弁慶の力酒
おみやげにどうぞ
と描かれている
“このきみ”はココで売っているみたいです
㐂至楼と記されています。
「㐂」は「喜」なので、喜至楼のことですね。
何かで壊れてしまったのか??
写真とは大きく違う様相です。
▼写真は2012年なので10年前ですね。
http://semi-onsen.com/log/?l=293011
喜至楼
円形の壁が大正ロマンぽくて、レトロですね。
今なら、エモいと言うんでしょうか
9:49
日帰り入浴もできるそうです。
露天風呂があるといいんですけどね。
http://www.kishirou.com/sp/
9:49
宿に戻ってきました
9:57
お土産コーナーを覗いてみました
きんつば風の“硯石”というお菓子がお勧めのようです。
【弁慶の硯石】
義経の子(亀若丸)の名前をつける際、弁慶が硯として墨をすったとされる岩です。近くの岩では弁慶の足跡や馬の足跡が見つかるかも知れません。
https://yamagatakanko.com/attractions/detail_10283.html
10:08
宿の前で記念撮影
青森、秋田、山形の旅も今日が最終日となりました。
10:13
宿の方が車で送ってくれて、瀬見温泉駅に到着
本日の旅程です。
仙台を経由して、震災後、やっと開通した常磐線で東京を目指します。
常磐線というと茨城のイメージですが、実は仙台まで行くんです。
瀬見温泉を散策です。
10:22発の陸羽東線なので、出発まで時間があります。
瀬見温泉には、義経と弁慶にまつわる伝説が多く、こちらの
「産湯」は、弁慶が岩を割って見つけ出した温泉のモニュメントで、飲泉が可能。
観光案内パンフは屋根がついている写真だが、実際にはついていなかった。
湯前神社
飲泉の奥にあります。
文治3年に弁慶によって発見された瀬見温泉の守り神で、亀若丸の産湯として使われたといわれています。
建立の年代は定でないが、度々の火災にあい、現在の本堂は享保年間(約1718年)頃に再建されたものとされている。
祭神は湯の守護神である薬師如来と不動明王が祀られている。
欄間や木鼻の彫物は、初代 出羽の勘七木竜の作といわれている。祭礼は毎年九月一日である。
毎年、9月1日には義経を偲び中尊寺、毛越寺の僧侶による供養祭が行われます。
瀬見温泉散策マップ
30分ほどしか時間がありませんが、義経と弁慶の伝説の場所を周ってみました
伝説ガイド
兄頼朝の追ってを逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治三年(1187)に、最上地域を通ったとされています。なかでも瀬見温泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音や弁慶の笈掛け桜といった義経主従にまつわる数々の伝説、旧跡が残されている
薬研湯
夜に降った雨の影響か?
川の水量が多いのか?
岩が水に埋もれている感じ?
薬研湯〈やっけんのゆ〉
産湯を探して谷川をくだった弁慶が、川辺に湯煙りを見つけ、なぎなたを砕いたところ温泉が湧き出てきた。
瀬見温泉の由来について
文治三年(1187年)春、兄頼朝の追討を逃れ、奥州平泉に落ちのびる義経主従13名が、亀割峠を越え当地にさしかかった時、かねて身重の北の方が急に産気づき途方にくれた義経は亀割山中の観音堂に北の方を休ませ、弁慶は産湯を求めて沢へと下った。浅き瀬、を見て川を渡り紫雲立ちのぼる川辺の大岩を薙刀で突き破ると不思議にも白龍昇天のごとくお湯が噴き出たという、このお湯でまもなく生まれた若君の産湯を使い数日をこの地で養生し回復をまって平泉へ向かったという、これが瀬見温泉発見の由来である。
http://semi-onsen.com/yoshitsune/
喜至楼
本館玄関とその周辺建物は、山形県内に現存する最古の旅館建築物と言われ、館内の建具や彫刻や装飾品なども歴史的なものが数多く残っているそうです。
瀬見温泉の入口にあり、最上川にかかる「亀若大橋」。
瀬見橋が亀若大橋として造られたそうです。
義経の子は亀割山にちなんで亀若丸と名付けられました。
亀若丸は産声をあげなかったと言われており、
赤子ながら、父が追われる身であることを悟っていたと言う説があるのです。
その赤子が、初めて産声をあげたのが、
子が鳴くという字をあてた、現在の鳴子と伝えられています。
https://shiten3403.exblog.jp/29718041/
奥に見えるのは
位置的に弁慶大橋でしょうか?
だいぶ増水しているようです
でも、意外に水面は澄んでいます
酒は
このきみ
男は
弁慶
弁慶の力酒
おみやげにどうぞ
と描かれている
“このきみ”はココで売っているみたいです
㐂至楼と記されています。
「㐂」は「喜」なので、喜至楼のことですね。
何かで壊れてしまったのか??
写真とは大きく違う様相です。
▼写真は2012年なので10年前ですね。
http://semi-onsen.com/log/?l=293011
喜至楼
円形の壁が大正ロマンぽくて、レトロですね。
今なら、エモいと言うんでしょうか
9:49
日帰り入浴もできるそうです。
露天風呂があるといいんですけどね。
http://www.kishirou.com/sp/
9:49
宿に戻ってきました
9:57
お土産コーナーを覗いてみました
きんつば風の“硯石”というお菓子がお勧めのようです。
【弁慶の硯石】
義経の子(亀若丸)の名前をつける際、弁慶が硯として墨をすったとされる岩です。近くの岩では弁慶の足跡や馬の足跡が見つかるかも知れません。
https://yamagatakanko.com/attractions/detail_10283.html
10:08
宿の前で記念撮影
青森、秋田、山形の旅も今日が最終日となりました。
10:13
宿の方が車で送ってくれて、瀬見温泉駅に到着
本日の旅程です。
仙台を経由して、震災後、やっと開通した常磐線で東京を目指します。
常磐線というと茨城のイメージですが、実は仙台まで行くんです。