もし天井が崩れてフォルチュナ氏の頭の上に降りかかってきたとしても、これほど悲惨な状態に彼を陥れることはなかったであろう。彼は口をぽかんと開け、目には激しい狼狽の色が浮かび、茫然自失の態であまりにぺしゃんこになっていたので、ウィルキー氏はどっと笑いだした。それでもフォオルチュナ氏は必死に態勢を立て直そうとした。しかし溺れる人間と同じで、無闇に水を飲んで流されるばかりだった……。
「い、いや、私に説明させて下さい」と彼はもごもごと言った。「ど、どうか……」
「ああ、もう無駄ですよ……僕は自分の権利を知ってます。いいですか、もう既に口頭での交渉は終えて、明日か明後日、合意書に署名することになっているんです……」
「誰との合意書ですか?」
「ああ、それは、個人的な事柄なんでね」
彼はココアを飲み終え、コップに冷水を注ぐと、それを飲み、口を拭ってテーブルから立ち上がった。
「あなたをドアまでお送りしませんけど、御勘弁願います……さっきも言いましたが、ヴァンセンヌで人を待たせているので。僕の馬、『ナンテールの火消』って言うんですが、それに千ルイ賭けてるんで。友だちはその十倍も賭けてますがね……出走時に僕がいなかったら、どんな騒ぎになることやら……」
そう言うと、もうフォルチュナ氏などそこに居ないかのように、大声で呼び立てた。
「トビー! おい、間抜けのろくでなし! どこに行っちまったんだ! 馬車の用意は出来てんだろうな? ステッキを早く! それと手袋、競技用双眼鏡! シャンパンも忘れるなよ……アリュメット(オードブル用のパイ)も! ちゃんと新品の制服を着るんだぞ……ぐずぐずするなよ、この馬鹿、遅刻しちまうじゃないか……」
フォルチュナ氏はこの場を後にした……。
呆けたような茫然自失の後には凄まじい怒りが続き、今まで経験したことのないような勢いで頭に血が上った。目の前に赤い雲が垂れ込め、耳鳴りがしていた……。脈を打つ度にハンマーで殴られたように頭がぐらぐらした。その程度があまりに酷かったので彼は恐くなった。
「これは脳卒中を起こす前触れだろうか」と彼は思った。そして周囲の物がすべてグルグル回り出し、床が足の下で崩れそうに感じたので、彼は階段の真ん中に座り込み、この危険な眩暈が通り過ぎるのを待った。意志の力で怒りを抑制し、古今の知恵の助けを借りて精神のバランスを取ろうと努力した。再び階段を降り始めようと決心するまでにたっぷり五分は掛かった。ついに通りに出たとき彼の表情は引き攣り面変わりしていたので、シュパンはそれを見て震えあがった。
「なんてぇこった!」彼は呟いた。「ボスは酷い目に遭わされたんだ」4.15