エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-IX-10

2023-10-03 10:13:52 | 地獄の生活
「戻ってくるだなんて」と彼は口の中で呟いた。「まっぴら御免だね! いい加減な連中だ。俺の『お宝』を手にした途端、あいつらが何をするかと思っただけで……!」
 しかしこの恐怖はすぐに消え去った。彼はフォブール・サン・ドニへの最短距離の道を辿りながら、自分の作戦が功を奏したことに満足していた。
 「ようし、これであの子爵の奴を捕まえたぞ」と彼は思っていた。「ダンジュー・サントノレは番地が百もない通りだ。たとえ一軒ずつ虱潰しに当たったとしても、たかが知れてる!」
 彼が帰宅すると、いつものように母親は編み物をしていた。それが殆ど完全に視力を失った彼女に出来る唯一の仕事だったのだが、彼女の仕事への熱中ぶりは凄まじかった。
 「ああ、お前帰ったのかい、トト」と彼女は嬉しそうに言った。「こんなに早く帰ってくるとは思わなかったよ。良い匂いがするだろ? お前は夜も働いていたからさぞ疲れてるだろうと思ってね、お前のためにポトフを作っておいたんだよ……」
 帰宅したときいつもそうするようにシュパンは母親に敬意と愛情の籠ったキスをした。それはフォルチュナ氏を大いに驚かせたものだ。
 「おっ母さんはいつも優しくしてくれるね!」と彼は言った。「でもさ、俺、残念ながら出かけなきゃならないんで、一緒に夕食を食べられないんだよ」
 「でもお前、約束したじゃないか」
 「うん、そうなんだけど仕事があってさ、悪いね、仕事なんだよ……」
 律義者の母親は頭を振った。
 「仕事仕事って、いつもそればっかり!」と彼女は答えた。
 「そういうこった!一万フランも年利収入がありゃ別だけど、そうでない人間は……」
 「お前が真面目に働く人間になってくれたんで、トトや、あたしゃ本当に嬉しいんだよ。でも、お前はちょっとばかりお金お金って言いすぎるんじゃないかねぇ。それが心配なのさ……」
 「つまりおっ母さんは、俺がまっとうじゃない仕事をしてるんじゃないか、って心配なんだね……でもさ、おっ母さんもいて、ムッシュ・アンドレもいてくれる……俺が二人のこと忘れると思うかい?」
 母親は黙ってしまった。シュパンは仰々しくも自分の寝室と呼んでいる物置部屋に入って行くと、素早く身支度をした。格子模様の古いズボン、黒い毛織のシャツ、防水布のハンチング姿から、手持ちの中の一番新しく、一番綺麗なものへと着替えた。それが終わり、髪の毛をあるやり方で梳かしつけると、実際見違えるようになった。フォルチュナ氏のもとで働く従業員から、よくある不良青年へと変身したのである。夕方の六時から真夜中まであちこちのカフェや劇場をうろつき、昼の間はいかがわしい店で手垢のついたカードをひねくり回して過ごすという、あの手の連中の一人である。それはかつてのシュパンの姿でもあった。回心する前のトト・シュパンが再現されたのである。10.3


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