計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

新年度、最初の週末です。

2008年04月05日 | 気象情報の現場から
 新しいクラス、新しい職場、新しい○○が始って最初の週末となりました。でも・・・当職にとっては何の変化も無い4月の幕開けと相成りました。

 新年度がスタートしても、新入社員が入ってくる事は無いので、私の予報業務やR&Dを手伝ってくれる若手はいません。何を隠そう、未だにこの私が最年少なのだ!まあ、私の業務はある種の匠の技なので、教えようとして教えられるものではありません。自ら学び、高める事でしか業を究める事は出来ないでしょう。私が出来るのはあくまで、その道を大まかに示す事だけでしょうね・・・で、後は頑張ってね♪としか言いようがありません。

 最近は局地気象の予測に関するR&Dも進めているのですが、つくづく感じているのは・・・結局、大切なのは「現象の本質を抉り出す事」であり、基本的なコンセプトは「Simple is Best」なのだと言う事。複雑な問題を複雑なまま解けるのは「理想」。でも、それを求めていたのではいつまで経っても問題が解決しない・・・。それならば、問題を如何に簡単化して解く事ができるか。それこそが腕ならぬ「知恵の見せ所」なんだろうな・・・。

 気象庁の量的予報ガイダンスも、ある視点で見るとそれなりに高い精度を誇りますが別の視点で見ると、また新たな課題が見えてくる事があります。その課題に特化した独自予測モデル式を構築する事で相補的な予測手法を確立すると言う試みも検討しています・・・がここでは詳しくは書けません。場合によっては、そもそもGPVから独自予測モデル式を構築する手法自体に限界がある事もあります。こういう場合はニューロモデルを投入しても、もはや改善できる望みは・・・。そういう場合の対処法としてはもはや人間の感性しかないんだろうなあ。まあ、何でもかんでも予報プロセスのぜ~んぶを自動計算システムに丸投げせしめるという思想は、そもそも無理があります

 気象予測のR&Dでまず大切な能力と言えば「自分の持っている知識や経験を縦横無尽に使いこなす」能力です。知識は後からでも学ぶ事ができますし、新しい知識を学び続けるのは当然の事です。日々勉強する事は前提として、頭に多くの知識や公式を詰め込んでも、その価値は使う事で初めて発現します。私のこれまでの知識や経験は、R&Dの様々な局面で駆使されています。それでも、なかなか思うような成果が出ないのです。毎日が試行錯誤の連続です。このプロセスを通じて経験を積み上げていくのです。

 と・こ・ろ・で、今週に入ってからは街中でも、リクルートスーツに身を固めた新入社員らしき人の群れを見かけます。導入研修中は同期の仲間と一緒なので和気藹々と和やかな雰囲気で、傍目に見ているこちらからは何だか楽しそうにも映ります。きっと夢と希望に満ち溢れているんでしょうね。でも、そんな今がまさに「華」だったりして・・・。

 本当の会社生活は、研修が終わり配属が決まって、OJTが始ってから・・・と言えるのかもしれません。私の最初の会社は入社直後1週間が導入研修で、それから約3ヶ月は故郷の設計開発部門でのOJTでした。あの頃が一番充実していました(もちろん気象の道に入る前の話ですが・・・)。まあ、人事異動で本部に飛ばされて(「栄転」なんて口が裂けても言うものか)から、真の会社社会の恐ろしさを知る事となったのです。あの当時、将来に絶望的な不安を抱えて目の前が真っ暗になったのも一度や二度ではありません。その精神的発作が起こった時は、一心不乱に不安に苛まれました。

 でも、あの頃は本当に自分の人生について真剣に悩み、考えた時期だったと思います。本当に色々な勉強をしました。そして今、思うのは自分に出来るのはただ如何なる時も人事を尽くして天命を待つのみ。未来に挑むためにも、過去を悔やむ事無く、未来を憂う事無く、今この時を精一杯生きよう、と言う事です。

 また、人生においては重大な決断しなければならない局面もあります。その時に大事なのは、他人の言葉に惑わされる事無く「自分で」決める事です。他人にとっては所詮は「他人事」なんです。だから、無責任にも好き放題言えるのです。例えば、自分の夢のために転職しようとして家族に相談して、猛烈に反対される事もあるでしょう。そんな話はザラです。それでもその反対を押し切っていけるかどうかです。

 別に良いんですよ・・・自分の意思を強引に押し切っても、その行為に罪悪感を感じる必要はありません。逆に、反対された位で「じゃあ諦めます」って言う程度だったら「最初から辞めちまえ!」としか言いようがありません。最終的に自分の事を理解して責任を負って行くのは、他ならぬ自分なんです。だからこそ、最後は「どこまで自分自身を信頼できるか」と言う所に帰結するのです。行くも一つの決断ですし、諦めるも一つの決断です。でも自分の力で、自分の意思で、自分で納得した上で、決める事ができたのであればそれは尊い決断なのです。大事なのは「周囲に流される」のではなく「自分の意思」です。

 そして、自分自身を信頼できるようになるためには、ありきたりですがそれなりの努力を重ねるしかないですよね。肩に力を入れすぎず、適度に頑張って行ければ良いのではないでしょうか。
コメント
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