◎入ったら中は広いが、邯鄲の夢のようなものかもしれない
芭蕉晩年の五句。
『嵐山藪の茂りや風の筋』
(嵯峨日記)
嵐山のふもとにかけて風が渡り筋ができている。その視点の在り処よ。
『うきわれをさびしがらせよ閑古鳥』
(嵯峨日記)
閑古鳥を一人で聞くのはそれだけでも寂しいが、静寂の中、愁いに一人沈む自分には、閑古鳥を聞かせてもらった方がましである。
(悟った人でも気分の上下はある)
『宿かして名をなのらする時雨哉』
(小文庫)
時雨が降ってきたので、名乗って一夜の宿を借りることになった。時雨の機縁によるおもてなしはありがたいことだ。
『ともかくもならでは雪のかれお花』
(雪の尾花)
長い漂泊の旅の末に枯れ尾花のような野垂れ死に寸前の様子だが、ともかくも生きている。
『蛸壺やはかなき夢を夏の月』
(猿蓑)
明石の浦に旅寝して、蛸壺にはまった気分で夢を見る。人生で『はまる』『はめられる』シーンはあるものだ。それはある意味で人為ではない、自分では動かすことのできない大きなカルマの重さを感じさせられるシーンである。壺中天は入ったら中は広いが、それは、蛸が蛸壺で見る夢のようなものかもしれないのだ。邯鄲の夢、黄粱一炊の夢。