◎OSHO流というもの
(2010-07-10)
1985年OSHOバグワンは、オクラホマシティで毒を盛られた。OSHO自身の証言や様々な報道によると、連邦検察局主導で、11月4日から11月5日の2日間にオクラホマ郡拘置所に、OSHOは収監された。
彼は、そこで汚れたマットレスだけを渡されて、毛布も枕も与えられなかった。OSHO周辺は、そのマットレスの中に中レベルの放射線源が仕込まれていて、その放射線によって、彼の言語能力や免疫系を破壊しようとしたと見ている。この結果、右を下にして寝るOSHOは、後年右耳に重度の感染症を起こし、右下顎の骨の痛みで歯を9本抜き、右手首の骨、右ひじ、右肩に痛みを抱えることになったと見る説がある。
更に拘置所内で、素性の知れない男が、味も香りもない二切れのパンを持ってきて、急いで食べるように勧めた。OSHOはこれを食べた直後に吐き気を催した。OSHOと彼の主治医はこのパンに殺鼠剤として用いられるタリウムと多量の鎮静剤が含まれていたと見ており、その証拠にOSHOは、その2日間に起きたことをほとんど覚えていないという。
OSHOには、この事件の後、骨の痛み、動作障害、脱毛、体重の減少や健康の全般的な不調が始まる。食欲もなくなり、味も感じなくなった。そして講話などで、毒を盛られて、体調が戻らないことを繰り返し語って、1990年1月病死した。
(参考:OSHOアメリカへの道/マックス・ブレッカー/メルクマール)
まず熟達したクンダリーニ・ヨーギならば、強い放射線を発する物質があれば、何か異常を感じるものだろうし、また毒入りパンを差し入れられても、毒のあることを見るものなのだろうと思う。
ここは、OSHOは、運命に従順に、放射性物質入りマットレスで眠り、毒入りパンも食らったと見たい。つまりソクラテスが毒杯を拒まず従容と飲みほしたように、自分の運命への従順さという視点もあるのだろうと思う。
釈迦は、その死因となる腐ったきのこを差し入れた金属細工職人の子チュンダをかばった。OSHOはどうか。
OSHOが覚者であることは間違いない。
しかしながら、OSHOは毒を食らったことでその寿命が20年短くなったことを嘆く一方で、ロールス・ロイスを乗り回し、数千人の前で、自分の脇に肉感的な数人の女性を踊らせるそのスタイルは、宗教というものについての既成概念を破壊するという名目ではあるものの、首尾一貫して純粋と言えるものだったのだろうか。