アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOが毒を盛られた事件

2023-08-23 11:57:10 | 究極というものの可能性neo

◎OSHO流というもの

(2010-07-10)

 

1985年OSHOバグワンは、オクラホマシティで毒を盛られた。OSHO自身の証言や様々な報道によると、連邦検察局主導で、11月4日から11月5日の2日間にオクラホマ郡拘置所に、OSHOは収監された。

彼は、そこで汚れたマットレスだけを渡されて、毛布も枕も与えられなかった。OSHO周辺は、そのマットレスの中に中レベルの放射線源が仕込まれていて、その放射線によって、彼の言語能力や免疫系を破壊しようとしたと見ている。この結果、右を下にして寝るOSHOは、後年右耳に重度の感染症を起こし、右下顎の骨の痛みで歯を9本抜き、右手首の骨、右ひじ、右肩に痛みを抱えることになったと見る説がある。

更に拘置所内で、素性の知れない男が、味も香りもない二切れのパンを持ってきて、急いで食べるように勧めた。OSHOはこれを食べた直後に吐き気を催した。OSHOと彼の主治医はこのパンに殺鼠剤として用いられるタリウムと多量の鎮静剤が含まれていたと見ており、その証拠にOSHOは、その2日間に起きたことをほとんど覚えていないという。

OSHOには、この事件の後、骨の痛み、動作障害、脱毛、体重の減少や健康の全般的な不調が始まる。食欲もなくなり、味も感じなくなった。そして講話などで、毒を盛られて、体調が戻らないことを繰り返し語って、1990年1月病死した。

(参考:OSHOアメリカへの道/マックス・ブレッカー/メルクマール)

 

まず熟達したクンダリーニ・ヨーギならば、強い放射線を発する物質があれば、何か異常を感じるものだろうし、また毒入りパンを差し入れられても、毒のあることを見るものなのだろうと思う。

ここは、OSHOは、運命に従順に、放射性物質入りマットレスで眠り、毒入りパンも食らったと見たい。つまりソクラテスが毒杯を拒まず従容と飲みほしたように、自分の運命への従順さという視点もあるのだろうと思う。

釈迦は、その死因となる腐ったきのこを差し入れた金属細工職人の子チュンダをかばった。OSHOはどうか。

OSHOが覚者であることは間違いない。

しかしながら、OSHOは毒を食らったことでその寿命が20年短くなったことを嘆く一方で、ロールス・ロイスを乗り回し、数千人の前で、自分の脇に肉感的な数人の女性を踊らせるそのスタイルは、宗教というものについての既成概念を破壊するという名目ではあるものの、首尾一貫して純粋と言えるものだったのだろうか。

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覚者は周囲に覚者だと気づかれると殺されがち

2023-08-23 07:39:57 | 人と神の「実際のところ」

◎本物は実は危うい

 

OSHOバグワンが、悟りを開いてから20年間それを公言しなかった理由を明かす。

それは、周囲に覚者だと気づかれると殺されがちだからだ。

 

『認識  RECOGNITION

あなたは果して自分が仏陀を認識することができたと思うだろうか?さて、当然のことながら、いまや二五世紀もたってしまったおかげで、仏陀はますます大きな存在に、とてつもなく巨大な存在になってしまっている。彼は美しい朝日のように地平線にぼうっと大きく浮かんでいる。あなたは人々が彼を見逃してしまったなんて信じられない――だが、彼らは彼を見逃した! 彼の父 ですら彼を、彼が光明を得たことを認めることができなかった。彼の妻ですら彼を、彼が光明を得たことを認めることができなかった。彼を認める勇気を持っていたのはほんの少数の人たちだけだった――

 

なぜなら、彼を認めたら自分の生き方を変えなければならないし、彼を認めたらもはや同じままではいられないからだ。覚者(ブッダ)を認識するということは、あなたは目覚めつつあるということだ・・・・・

 

人々はまったく無意識に生きている。ブッダを認識するどころの話ではない――あなたは自分が誰なのかさえ知らない!

気がついていなかったら、あなたは本物の宝石を見逃してしまうかもしれない。だが、気づいていたら、そんなことはありえない。 すべてはあなたの〈気づき〉にかかっている・・・・・。

 

一九五三年に光明を得たあと、私はなぜ沈黙を守っていたのかと、多くの人が私に尋ねた。二〇 年近くにわたって、私はそのことを誰にも一言も話さなかった。誰かが自分でそれを疑ったのでないかぎり、誰かが自分からこう尋ねたのでないかぎり――「あなたには何かが起こったように見えます。それが何なのかはわかりませんが、ひとつだけ確かなことがあります。何かが起こって、あなたはもはや私たちと同じではありません―しかもあなたはそれを隠しています」

 

その二〇年間に、私に尋ねた者は一〇人にも満たなかったが、そのときでさえ彼らの望みがほんものだと感じられるまでは、私はできるかぎり彼らを避けた。しかも彼らがそれを秘密にすると約束して初めて、私はそれを彼らに告げた。彼らはみんなそれを守ってくれた。いまでは彼らはみなサニヤシンになっているが、彼らはちゃんと約束を守り、それを秘密にしてくれた。私は言った。「待ちなさい。正しい時機が来るまでは待つがいい。そのとき初めて私はそれを公言しよう」

 

私は多くのことを過去の覚者(ブッダ)たちから学んだ。イエスが自分が神の子であることをあれほど声高 に主張していなかったら、人類ははるかに多くの恩恵を得ていたことだろう。全国の遍歴を終えるまではそれを公言しないようにしようと、私は固く心に決めていた。そうでなかったら、私は殺されていただろう――あなた方はここにはいなかっただろう。旅することを、大衆に解け込むことを、町から町へと動きつづけることを終えたとき・・・・・。私は二〇年間、絶え間なく動きつづけていたが、ボディガードはひとりもいなかった・・・・・。 そして絶えず危険な目に遭っていた。石が私に投げつけられ、靴が私に投げつけられた。

 

二四時間も列車で旅をしてある町に着いたときも、群衆は私がその駅で降りることを許さなかった。彼らは私をむりやり帰らせようとした。私を列車から降ろそうとする者たちと、少なくとも自分たちの町には降ろしたくないと考える者たちとのあいだで争いが起こりそうになった。

 

もしそれを公言していたら、私はいともたやすく殺されていただろう。公言することは何の問題もなかったし、それは実に簡単なことだった。だが、二〇年間、私はそれについては完全に沈黙を守った。いまやそれを理解できる人々が充分に集まったと知ったとき、私は初めてそれを公に口にした。私は自分に好意を寄せる、自分に属する人々を充分に集めていた。いまや自分の小さな世界をつくることができる、もはや群衆や大衆や愚かなやじ馬たちとはかかわっていないとわかったとき、私は初めてそれを明らかにした。

THE BOOK OF THE BOOKS, Vol.11』

(英知の辞典/OSHO/メルクマールP452-454から引用)

 

イエスも殺され、禅の達磨も殺された。OSHOバグワンもアメリカで殺されかけた。

Amenty Meditation Wayで言っている『雰囲気を作る』とは、悟った人を殺さない雰囲気を作るということである。

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