◎世俗の幸福や成功を求めないことと冥想修業に命をも捨てようということ
ダンテス・ダイジが語った釈迦成道直前の一週間の悪魔との戦いぶりについては、そのものずばりの出典は見つからなかった。ただ悪魔の本質とは何かを知ることができる。
基本線は世俗の幸福や成功を求めないことと冥想修業に命をも捨てようというもので、その点を様々な形をとった世俗の誘惑やら悪魔の形をとった悪魔が試しに来るというものではあるが、出家もしていない、冥想修行を始めようとも思っていない若者向けには、ダンテス・ダイジの説話はわかりやすい。
さて、この時、釈迦は苦行を打ち切っていたが、まだ痩せていたという。
参考までに佛伝の『悪魔の来襲』を挙げる。
『2悪魔の来襲
佛伝などによれば、太子は一大決意のもとに座を占められると、その晩の初夜、中夜をすぎて、後夜すなわち翌日の早暁に、世界人生の真理をさとって、佛陀となられたとせられる。なお伝によれば、太子は前日の夕方までの日中に、種々の悪魔の襲来を受けたとせられるし、後世の伝記や、絵画、彫刻などには、悪魔襲来の情況が、きわめてくわしく劇的に記述されている。悪魔の来襲については、佛伝によれば、成道の前と後との二回あったとせられ、成道後の場合は、佛陀が世の人人に説法を開始すれば、人々は邪悪を遠ざかることになり、それだけ悪魔の領域がせばまり、悪魔の活躍する余地がなくなるので、これに抗議するためである。古い原始経典の中には、成道前の悪 魔の来襲について、次のように述べられている。
ネーランジャラーの河畔で、理想を達成するために、
禅定に執心し、努力をもっぱらにしている私に、
悪魔は悲観的な言葉をもって近づいて来た。
「あなたはやせて顔色が悪く、死に瀕している。
あなたの生きる望みは千に一つしかない。あなたは、
生きるべきである。命あってこそ善も行なうことができる。
命長らえて、梵行を積み、聖火に供物を捧げれば、
多くの福徳が積まれるのに、いたずらに努めてもむだである。
精励への道は、苦しくて行ないがたく、到達しがたい。」
かく語りつつ、悪魔は私の近くに立った。
このように語るかの悪魔に、私は告げた。
「無法者の親類よ、波旬よ、お前がここに来て私に、
勧めている世間的な福徳は、私に用はない。
福徳を求めている人たちに、お前はこれを説くべきである。
私には信仰と精進と智慧とがある。このように
努めている私に、お前はなんで生きることを求めるのか。
私の努力の風は大河の水をもれさせるだろう、
なんでわが体内の血が涸れないことがあろう。
血が涸れれば、胆汁も痰も涸れるであろう。
肉が尽きる時は、心はますます静まり、また
わが意識も智慧も禅定も、確立するであろう。
このように確立して、最高の楽が得られれば、わが心は、
世俗の欲を求めない。見よ、私がいかに清くあるかを。
お前の第一の軍は欲である。第二は不楽といわれ、
第三の軍は飢渇であり、第四は渇愛といわれる。
第五の軍は憂欝と眠りであり、第六は怖畏(おそれ)といわれ、
第七は疑惑であり、偽善と強情が第八の軍である。
また利得や名誉や尊敬を求め、
虚名と、自らほめ他をけなすのは、
これもお前の軍であり、悪魔の軍勢である。
悪魔よ、怯者はこれに敗れるが、勇者は勝利の楽を得るであろう。
私はムンジャ草を敷いてお前と戦おう。敗れる身の
いとわしさよ。もし敗れて生きるより、戦って死ぬほうがよい。
シャモン、バラモンのうちには、敗れ去る者がある。彼らは
善行者たちのたどり行く理想への道を知らない。」
眷族とともに武装した悪魔の軍勢を四方に見て、
『私はけっしてこの場を動くまい。」と、戦うべく私は立ち向かった。
「世の中の多くの人々は、お前の軍に耐えないかもしれないが、
あたかも石で土鉢を破るように、智慧をもって私はお前の軍を破る。
正しい思雅を自由にし、意識を確立させて、
私は広く世人を教化しつつ、国から国へと遊行しよう。
私の教えを信奉する人々は、放恣(わがまま)ならず、心をもっぱらにして、
憂いあることのない理想の境に至るであろう。」
「七年間私は世尊に付きまとって来た。
しかし意識正しい佛陀には、ついに機会を得なかった。
それはあたかも肉の色をした石の周囲を鴉が、『おそらくここに
柔らかい、おいしい肉があるであろう。』 とて、歩き回るに似ている。
鴉が美味の肉を得ないで、そこを捨て去るように、
自分もそのようにゴータマをいとうて去るであろう。」
悲しみに沈んだかの悪魔の腕から、琵琶は落ちた。
意気消沈した悪魔は、そこから消えうせた。
右の文中に、悪魔が七年間太子をつけねらったとあるが、伝によれば、太子が出家する時にも、 悪魔が、「あなたは家にあれば必ず全世界を統一する転輪王となって、栄華をきわめることができるであろう。」とて、太子を阻止しようとしたとせられる。その出家時から、足かけ七年を経過していると考えられる。』
(釈尊の生涯 水野弘元/著 春秋社P77-81から引用)
古代インドの文章はこのような雰囲気であって、ややのんびりしているが、ジャータカ(釈迦前生譚)では、前世の釈迦が太ももの肉を切って与えたりなどもっとグロなのもある。ただそのような調子では、現代人に与えるインパクトは大きくはないということはあろう。
釈迦成道直前の一週間の出来事を調べようと原始仏教経典を当たる人もいるだろうから、がっかりする前に参考までに挙げてみた。
またそういう目で見ると、稲生物怪録は、稲生平太郎の大悟直前の悪魔の来襲と見える。
この時代も、世俗の幸福を追求することが悪魔だと主張してもなかなか賛同を得られるものではないのだが。いわんや釈迦が自らの肉体も命も捨てると言えば、「自殺はよくない、生きることが大切。なぜなら人の命は地球より重いから。」などと反論されもする。
それでも往かざるを得ない釈迦のような人もいるのだ。