アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

また3月がやってくる

2023-08-14 20:08:30 | 時代のおわりneo

◎黄昏の感じ

(2012-02-28)

 

また3月がやってくる。私は予知能力も霊能力もないので、この世の終わりをありありとビジョンで見るなんてことはできない。でも覚醒した人がちょっと将来を覗くことがあって、そのあまりの悲惨さに驚くなんてことはあるらしい。

 

しかし、そんな特殊能力がなくてもこの世の立替について、過去予言者によって語られた断片をつなぎ合わせれば、どうなるかということは大体想像がつくのではないか。

 

曰く、日本の立替は、始まったら半年で終了。

曰く、立替の始まりは、3、4月または8、9月。

曰く、生存確率は、2%切るかもしれない。

曰く、立替立直しの後は、現代文明の利器はほとんど残らない。(そうでないと新文明なんてのはないってのは理屈に合う)

曰く、火の雨が降る。

曰く、東洋は火で滅び、西洋は水で滅ぶ

曰く、こうした天変地異の前にさる勢力が世界を統一する。

曰く、立替立直しは日本が先行する。

 

 

意外にも立替シリーズのプロローグは大地震と大津波で始まったが、1年たってもそれぞれの生き方を改めること、悟りに向かって冥想しようなどという動きが主流にはなっていない。

 

逆にまた大地震大津波がくるかもしれないので、非常食、非常用品、避難場所、避難経路など非常時のサバイバル対策に余念がない。その生き方を変えていないので、またディザスターは起きるから、その対症療法をということが主流である。

 

天変地異の発生は、地球物理の確率の問題ではなく、その時の民心の動向による。地獄的な想念の人が大半であれば、いつかその地獄がこの世に現出するのを天変地異と言う。そうした心の病原を断たなければ、日本は、改心、悔悟しきるまで、何度もそうした天変地異に襲われるだろう。

 

病原を断つとは、日々悟りに向かって坐ることである。

 

人はこうしたものをネガティブ予言というけれど、ネガティブな将来が来るような現在の生き方をしているのは誰か他の人なのだろうか。ネガティブ予言は下層霊界=地獄をビジョンで見た人が、ネガティブ予言だという説もあるにしろ。

 

しかし、功利、自分のメリット、金、生活レベルを落とさないことばかり重要と考えて毎日生活していけば、自分の身を捨てて他人に尽くすなんて発想は出てくるはずもなく、こうして不毛な地獄的想念の人間ばかりになったのが今の日本なのではないか。

 

東北関東大地震の被災者のことを単に運の悪い人と見て、自分も運が悪ければそんな天災に遭遇するかもしれないというところで、洞察が止まっているのではないだろうか。

 

そして大量死。

 

OSHOバグワンの「神秘の次元(P223)」によれば、死の影は死に先立つ6か月前から兆すという。この6か月が死に先行する黄昏である。人は、この6か月間、一日中黄昏の感じが消えずにいる。通常ならば1日のうちで睡眠前の1時間しか発生しない黄昏の感じが最後の6か月は日中の常態となるという。

 

大量死の6か月前には、そうした気分が世の中全体に満ちるだろう。「時間がない」って感じの人も。その雰囲気を感じた時、予知能力のない私は、ホンチャンの立替立直しが近いことを知る。

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三身(法身、報身、化身)を七つの身体で説明

2023-08-14 07:13:45 | 覚醒のアーキテクチャー

◎報身はある種のバイブレーションか

 

三身(法身、報身、化身)を七つの身体で説明しているのは、OSHOバグワン。

一般に三身とは、法身(真理そのもの)、報身(人々の救済に現れる仏・菩薩)、化身(応身。歴史上の仏陀など、衆生教化の対象に応じて現れた仏) などと定義される。

 

OSHOバグワンによれば、

化身:

『まず最初に見ることができるのは、化身だ――それは光の薄い層の身体で、肉体より四インチほど大きい。それは肉体のすぐまわりにある四インチ幅の光のオーラ、ごく柔らかな光のオーラだ。 これは「転生の身体」であり、それゆえに、人が死ぬ前―キルリアンが発見したように――人が死ぬ六か月前になると、この身体は消え去ってゆく。それは人の存在の内側に収縮する。それが中心に戻り、大きなオーラがただの光の点になるには六か月を要する。そしてこの小さな光の点は、あなたの身体がまだここにとどまっているあいだに転生する。』

(ボーディダルマ/和尚/めるくまーるP443から引用。)

 

雑誌ムーのファンならキルリアン写真は知っているだろう。この光の層は、誰でも見えるわけではないが、覚者にポジティイブな関心を持つ人(学生)が覚者を見れば見れるという。『人が死ぬ六か月前になると、この身体は消え去ってゆく』とあり、また6か月後の死の時点では点として存在しているからには、肉体の死後数時間で崩壊すると言われるエーテル体のことか。おまけにこれは転生までするというし。

これは霊衣のこととは思えない。

 

報身:

『だが、もうすこし理解の深い人々は、より神秘的な身体、この薄い光の層の背後に隠されている、仏教の教典中では「報身」として知られている、さらに厚い光の層の身体を見ることができる。それは充分に瞑想を続けてきたため、このうえもなく報いを受けている人にのみ生ずるもの だ。そのような人は、この世における最高の宝物、最高の報いである完全な静寂を知るに至っ ている。報身は、静寂の身体だ。だが、それはゴータマ・ブッダに非常に接近した人たちにしか見ることができない。』

(上掲書P444から引用)

 

『報身とは、実際には、〈存在〉が誰かの瞑想、誰かの静寂を認めて、その人の上に花々を振りまいている状態のことだ。誰かが光明を得たとき、〈存在〉はこのうえもなく幸福を感ずる。なぜなら、

〈ひとりの人物の光明〉(エンライトンメント)は結果的に多くの人々の〈光明〉のきっかけになるからだ。それは何世紀にもわたって続いてゆく長い長い連鎖になりうる。たとえば、ゴータマ・ブッダの〈光明〉をきっかけとするなにかが、いまだに人々を〈光明〉へ導く誘因になっている。二五世紀も経過したのに、それはいまだに続いている。それは連鎖反応だ。』

(上掲書P445から引用)

 

覚者と同じ変容を求めている覚者の弟子だけが、覚者の報身を見ることができる。

つまりたゆまぬ冥想により完全な静寂を実現した覚者は、ある種のバイブレーションを発生させるものであり、たとえば “弟子”が釈迦の故地に行けば、そのバイブレーションを死後2千5百年後でも感得できるものだと言っているように思う。誰にでも感じられるものではないだろう。

 

ダンテス・ダイジは、大本教の奥津城でそのバイブレーションを感得したという。

 

報身は、身体という表現だが、七つの身体のように誰にでもあるボディではなく、完全な静寂を実現した者にのみ起こるバイブレーションなのではないか。

 

法身:

師と混じり合い溶け込んだ弟子(帰依者)だけが、師の法身(真理そのもの)を知る。だが達磨は、帰依者は師の法身を自分と別物だと認識しており、まだ「私」が残っている段階と戒める。その先にからりと晴れた虚空、大空(真理)がある。

 

一般に定義される三身とは別のパースペクティブでOSHOバグワンは見ているが、常識的社会人にこれを説明するのは容易ではない。またそもそも霊的な見方でもない。

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