◎神知る人の心の中にある
“Amenty Meditation Way”。何十年か前の夏の東京都内のどこかの木立で、この看板を目にしたことのある人もいるかもしれない。
アメンティとは古代エジプトの書にアメンチーとして出てくるのを読んだ人もいるかもしれない。
アメンティは古代アトランティスの中央官庁兼最高神殿のことで、そこからトオスの系流とダンテスの系流が発する。ダンテス・ダイジはこの講話で、アメンティの復興を目指すことを宣言しているが、これは、この世代に限らず、向こう1万2千年の千年王国、みろくの世において、ダンテスの系流たちが生き続けることを期待する。
“Amenty Meditation Way”とは、その道場の名だ。
要点は、
1.トオスの系流
固定した形式を重んじる組織宗教。個々のメンバーは、必ずしも自身が神人合一することを最終目標としているわけでもない。
2.ダンテスの系流
組織に依らず、自分らしい生き方をしながら、自分自身が神になることを目指す。
ダンテス・ダイジの講話から。
『ダイジ「道場っていうのはね、君たちはすでに知ってるはずだ。それはアトランティスの時代にあったアメンティっていうのが、基本的な形式なんだ。そして道場には二つのタイプがある。
一つは仏教の流れって言ってもいい。トオスの系統なんだ。その系統っていうのはどういうのかっていうとね、形式を中心に置く。だからもうガチガチだ。とにかくすべての形式を守るってことだけが要点。
それはどういう意味かって言ったらね、個々の人間の事情なんかどうでもいいんだ。とにかく宇宙という花を開かせるためのさ、基本的な流れっていうのを守ろうとするためにある。だから、形式だけ残ってりゃあ、伝統だけ残ってりゃあ、誰かそれに一致する奴がさ、百年に一人でも千年に一人でも出てくる。とてもとても長い展望を持ってるんだ。
だからこそ君たち、君たちはまともに鏡見てごらん。自分でさえ本当は知っちゃいないことがわかるだろう。知ってるつもりになってるだけだ。よく見てみろ、鏡を。初めて見るようなもんさ。本当にまじに見たら。あれ、この人誰だ?そのくらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして、宇宙っていうのは、君たちの神秘さと同じだけ神秘だ。それはまさに、一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。そしてそれは花開こうとひとりでに動いている。それで何だっけ?」
弟子「もう一つの流れは?」
ダイジ「それは形式の方の立場ね。どっちにしても、永遠の展望の上に立ってるっていうこと。宗教といってもいいし、成熟と言ってもいいし、あるいは君たちが最終的に安心する場所って言ってもいいし。そういうものは、無限の時間の中で成立している。無限の時間だ、本当の無限の時間だ。
宇宙ができ、宇宙が死に、宇宙が生まれ、宇宙が育ち、宇宙がセックスし、宇宙が死ぬ。また宇宙が生まれる。そして、幾たびも幾たびも幾たびも幾たびも宇宙は繰り返す。
そしてその中でもってさ、宇宙は宇宙自身を喜んでほしいと思っている。そのために君たちみたいな、神経症みたいなろくでもないのを生むんだ。そして、花開かせる。
それが形式の方から行くとトオスの系統、すなわち仏教とかキリスト教とか、ああいうがっちりした伝統とやり方を決めて、と
にかく形式っていうのが大切だ。禅宗がその一番純粋な形だ。座禅の作法。朝起きる時間。何もかもガチガチだ。で、みんな狂っちまう。まあ、ろくに見性なんかしてる奴、一人もいやしない。もう日本の禅宗も終わりだろう。だが、そんなことは本当はどうでもいい、禅宗の立場からは。とにかく形式だけ守りゃあさ。そのうち、1億年後にでもそれにあてはまる人間が出てくる。
それを待ち続けてるんだ。それが道場の形式だ。
そして、俺の道場の形式。すなわち君たちの道場の形式。それはそうじゃない。それはダンテスの系統だ。それはアメンティのやり方だ。それはどういうものかっていうとね、君たちの一つ一つ、君たちの今の立場の一つ一つ、それをよりよく味わっていくんだ。君たちの恋愛、君たちの楽しみ、君たちのあこがれ、その一つ一つをね、楽しむんだ。で、禅門っていうのは、ある意味では完全に純粋なものをそこにポンと置いておく。そして、アメンティっていうのはそうじゃない。全般的な雰囲気っていうのを作るため。
たとえば、ある人がある社会形態の中で生きている。ところがどうしても適応できなくなる。そしてもしアメンティというものの努力が、種がそこに蒔かれていなければ、そいつはもうまったく無駄な人間だ。が、その雰囲気が少しでも残っていれば、奴がひとりぼっちで自分の部屋に籠っているのを、『奴はノイローゼだ』って言ってる反面、心のどこかでは、『何か奴の中に真実への何かがあるんじゃないか、何か奴を守ってやらなくちゃいけないんじゃないか』、そういう思いが起こる。それがアメンティだ。
そして、1万2千年前に花が一度開いた。君たちがだよ。そして、その花は散って、その種が延々と続いて、今また新しい花を開こうとしている。ここ30年のうちに。そしてその花が見事に開けば、そこから種ができる。そして次の1万2千年の間、その種が続くだろう。これは人間の努力にかかっている。決して、放っておけば成立するようなものじゃない。
もし放っておいてそういう種というものを守らなかったら、人間というのは、もうどうしようもない苦悩の中でのた打ち回ってね、破局しちゃうだろう。そこが不思議な所さ。
つまりね、君たちがいなきゃ神は成立しないんだ。一方、神がいなきゃ君たちは成立しない。
だから、今君たちに守れって言ってる道場っていうのはね、その1万2千年間の種をまくためだ。だって幾度も幾度もその道場に接することになるんだぜ、君たちは生まれ変わり立ち代わり。
自覚はしないかもしれないけど。が、いずれにせよ、一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で、花が開くっていうことだ。だからとにかく、この30年のうちに君たちの花を開かせねばならない。で、花が開くっていうのはね、すべての存在っていうのが、存在自身を、祝福するっていうか、賛美するっていうか、そのときすべてが(不明)、すべてが。そういうわけで、1万2千年間の人間の努力っていうのは、いまやその限界点まで達してるんだ。決して、いわゆる西洋文明がでっち上げたさ、価値観とか何とかに惑わされる必要はない。
君たちがね、道場を守り、そして自分の修行、何も全部を切り離して何かになる修行じゃない。人と触れ合ったり、さまざまなことをしながら修行するんだ。ただ必要なことは、心の底からの誠意でもってそれをやっていくっていうこと。それが存在の唯一の意味なんだ。どんなに
馬鹿げて見えるにしてもね。」』
ダンテス・ダイジの時代観では、次の一万二千年は、至福千年。それは、すべての人が神知る時代。
現代は神知る人はとても少ない。ところが老若男女を問わず、人生航路上の様々な出来事の中で、不適応になったり、うつになったり、ひとりぼっちで自分の部屋にひき籠もっているような場合もある。周囲の人がそんな人を見て、人間失格だとか社会人失格だとかクズだとかダメ出しをしないで、認めたり守ったりして行く雰囲気づくりが狙いなのだ。
『アメンティっていうのはそうじゃない。全般的な雰囲気っていうのを作る』
その雰囲気の中で、神を知る、悟りが花開く。開花した花は実をつけ、時代の花の種となって、千年王国が続いて行くのだ。
その雰囲気造りには、『君たちがいなきゃ神は成立しない。一方、神がいなきゃ君たちは成立しない。』という原理があり、人が努力しなければ、その種は蒔かれない。
なぜ雰囲気か。花は、かそけく失われやすいものだから、それが生え花咲ける雰囲気の場所にひっそり咲くだけのものだからである。
それなくして人類滅亡回避もないというのも現実。
また、その雰囲気を作るには、組織宗教に依らず個人として実際に悟りを持って神と共に生きる人物が何人か出てくることが必要だし、悟りとは何か、神とは何かを説明するテキストも必要だと思う。
このダンテス・ダイジの談話は、初耳な用語と世界観が多く、さらに悟りとは何かが大体見当がついている弟子と、将来の転生において悟りとは何かが見当がつくであろう弟子向けに語られているせいか、短い文章の中に内容が恐ろしくぎっしり詰め込まれている。だから前提知識のない人が読めば、とても晦渋な文章である。
そして、“Amenty Meditation Way”という道場は、どこかの街や山の中や浜辺に建物としてあるわけではない。始まりは、確かに建物としてあったにせよ。神知る人の心の中にあるのだ。