◎ジェイド・タブレット-10-29
◎垂直上昇への仕掛け-29
◎大逆転と倒立-8
◎無限は信じられんほど魅惑的なのだ
平たく言えば、中心太陽(central sun)に飛び込むことが神人合一であって、大逆転、倒立である。
中心太陽へ飛び込むことを深淵に飛び込むと表現しているとしか思えない場面が、カルロス・カスタネタ・シリーズにある。
ドン・ファン・マトゥスは語る。
『「いったん無限のなかへ入ってしまったら、わしらに頼って連れ戻してもらうわけにはいかんぞ」ドン・ファンが言う。
「そのときはお前の決断力が要求される。もどってくるかこないかを決められるのはおまえだけだ。それからこれも警告しておかなきゃならんな。無限とのこの種の出会いを生き残れるのは、ほんの一握りの戦士・旅人にすぎんということをだ。
無限は信じられんほど魅惑的なのだ。だから混乱と圧迫と騒音と苦痛に満ちたこの世界へもどってくるのを、戦士・旅人はこのうえなくつまらないものに感じる。
いいか、よく覚えておけよ、とどまるかもどってくるかを決定するのは、道理にかなった選択の問題ではなく、それを意図することなのだということをな。
もしもどってこない方を選べば、おまえは大地に呑み込まれたように消えてしまうだろう。だがもどってくる方を選ぶなら、ベルトをしっかり締めて本物の戦士・旅人のように自分の任務が完了するまで待たねばならん。その任務がどんなものであろうとも、そしてまた成功におわろうと失敗に終わろうともだ。」』
(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房P295-296から引用)
無限とは中心太陽のこと。飛び込もうとチャレンジした者の多くは宇宙の藻屑として消えてしまう。
最後にカスタネダはこれに飛び込むが、なぜか断崖に向かって勢いよく走っていて深淵に飛び込むと書いてある。
飛び込んだ先のことは、言葉で表現できはしないので、何も書かれてはいない。
師匠ドン・ファン・マトゥスは、飛び込む時の気構えを『最高に理性的な気持ちで行わなければならん』(上掲書P296から引用)と戒める。チベット死者の書の死のプロセスでの、醒めていよ、意識清明にということである。