アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

田中陽希GreatTraverse-7

2024-05-05 12:40:45 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎利尻水道死の彷徨

(2021-06-04)

 

グレートトラバース百名山一筆書き踏破は、既に99座を踏破。田中陽希の軽口が前途の困難を予感させる。

 

2014年10月23日午前8:20田中陽希は、シーカヤックで、利尻島の対岸の豊富町稚咲内(わかさかない)港を出発。直線距離25キロの海を6時間で渡る計画だった。つまり午後2:20には到着予定だった。

 

ところがあいにく利尻水道には風速10mの南風が吹き荒れ、海は時化ており、風に弱いカヤックには悪条件だったが、この後五日間は更に風が強くなり、百座目の利尻富士も雪に覆われることが確実となることから、敢えて出航を決断したのだった。

 

最初の3時間は順調で、ほぼ12kmを進んだ。だが波高3mの海は更に時化て、風速20mにも達し、体力的にも限界。到着予定時刻を過ぎた午後4時には、カヤックが転覆。

 

田中陽希はカヤックから投げ出され、再度カヤックに乗り込もうとするが、波浪のためなかなかうまく行かない。海中で7分経過し、これ以上カヤックに戻れないと低体温で死の危険があると思われた矢先、何とか船に戻り、漕艇を再開した。

 

この時、偶然にも風が弱くなり、スピードが上げられたのは僥倖だった。午後5時半カヤックは到着予定港より10キロ北に流され、利尻島雄忠志内(おちゅうしない)漁港に到着。

 

カヤックを陸揚げする田中陽希の手はかじかんでおり、手足は凍えて身体はふらついていた。そして生死の境をどうにか生の側に転げたことで、彼は人目もはばからず涕泣し、無言。生きていてよかったとつぶやくこともできないほどのショック状態。(字幕ではしゃべったことになっていたが)

 

振り返ると、津軽海峡も利尻水道と同様の潮の流れが速い海路のカヤック航海だったのだが、そこが順調すぎたのかもしれない。

 

伴走船がついていたけれど、NHKも鬼の冷徹さで救助しない。こういうのを番組にしてよいのか。幼児も思春期も見るのだ。だが、これぞアドヴェンチャー。シナリオもので生死を賭けさせることはできない。

 

Meditationの道も最後は生死を超えるのだから、まあ同じで、最終段階の直前に神仏の加護が見えると言うというのは、似たり寄ったりか、などと思い直す。

 

稲生平太郎もイエスも釈迦も最終段階の直前に魔王が登場し、それをクリアしないと成道できない。北欧神話のオーディンの箴言にも最後にクリアするまで油断してはならないというニュアンスのことわざがある『夕方になってから昼を誉めるべきだ。(死んで)焼かれてから女を、ためしてから剣を、嫁にやってから娘を、渡ってから氷を、飲んでしまってから麦酒をほめるべきだ。』。

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田中陽希GreatTraverse-6

2024-05-05 12:24:50 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎インテリジェンスの場、高山と海

(2021-05-30)

 

高山の登山には、聖と俗の二つの面がある。

聖の側は、冥想修行であって、人跡稀な高山を以って修行の場とするケース。俗の側は、インテリジェンスすなわちスパイの通信伝達場所として高山を用いるケースである。

 

まず俗のケース。

アストラル・トリップで人と出会える猛者ならいざ知らず肉体でもって高山で文書を通信しようとするならば、まず装備が問題となる。

 

8千メートル峰14座を無酸素で最初に登頂したラインホルト・メスナーも、凍傷で指を失わない、低体温にならないための装備を重視している。

 

要するに体温を上げる特殊な訓練をしなくとも、装備でもって登山することを狙っているわけだ。山には冬山の厳寒あり、4千メートル級になると、高山病がある。

 

インテリジェンスとは、人に知られない場所で重要情報を交換するのが基本。関所がないところで情報交換する。日本でも山岳修験は、役行者の昔からあり、山岳に神代文字の碑や神文が残っているところを見ると、各時代の為政者の目を逃れ、山岳修験者として情報通信や秘密交渉していたのは、古代からあったのだろうと思う。

ところが、その形態の情報通信では情報量が少ないものであるから、いざ戦争になる局面では、軍師の脇にシャーマンが鎮座し、シャーマンの受信した情報でもって戦略を定めていた。日本古代の三韓征伐では、シャーマンである神功皇后が表に立ち、審神者兼軍師である武内宿禰が戦争指導をしていたが如くである。

欧州では、修験はないが、欧州アルプスを中心に登山家という人物が、ナチスの時代に至るまで山でインテリジェンスしていた形跡を推測できるものだ。

平地での戦争が終わると敗者サイドではその地から離れて隠れ里ができる。日本では平家の落人が売りの温泉地があったりするが、それは水軍主体であった平家ではなく、実は源氏なのだという説もある。

田中陽希GreatTraverseでは、結構一般的でない登攀ルートを辿る。昔の修験者、山岳専門の間者とは、実質獣道みたいな場所を通行していたのだろうとか、徳川家康の伊賀越え逃避行とか、坂本龍馬の脱藩ルートとか、難行苦行していたであろう山越えルートを田中陽希は軽々と進むのは、心地よい。

 

また田中陽希は津軽海峡を手漕ぎカヤックで4時間半で渡り切った。津軽海峡を渡るのがそれほど容易なら、古来もっと大勢の人数が北海道に渡っているはずだが、そうはなっていない。

 

日本武尊の当時、船と言えば、巨木をくり抜いた丸木船に毛の生えた程度のものだったらしい(古代の船についてはいろいろ読んでみた)。古事記では、日本武尊の東征において、相模から上総に浦賀水道を渡ろうとした際、突然暴風が起こって海が荒れ進退窮まる。そこで、なんと后の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が日本武尊に替わって海に入り生贄となると暴風が収まった。この水路が横須賀市走水。これはインテリジェンスが効かなかった例。

 

こうした秘密情報も重要だが、インテリジェンスの8割は公開情報と言われる。

冥想修行者は、人が見ていないところでも、人が見ているところでも善を行い、悪を行わないもの。諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)が基本。

あらゆる公開情報がマインド・コントロールとなる時代。すべてを感じ取っていくことができるほどに人間は進歩したのではないだろうか。

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田中陽希GreatTraverse-5

2024-05-05 12:20:17 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎日本の水平における神秘を極め尽くす

(2021-05-29)

 

田中陽希の、急登を常人の倍以上のスピードで進む能力も一種の超能力のようなもの。20代で大峯千日回峰行(一日で48キロの山道の往復を繰り返す)を満行した塩沼亮潤大阿闍梨も50代になって、それを振り返り「人間のやることではない。」などと評していたが、そのスピードだけでなく、無事故で進めることも一つの奇跡である。

奥山の道を進めば、風雨あり、熊、猪、鹿、猿、蛇あり、意識のゆらぎでの霊異あり、ロードでは自動車の危険がある。田中陽希GreatTraverseでは、この辺は風雨雪程度しか画面には登場しないが、磐梯朝日国立公園朝日岳では、登山道に熊の糞が点々と落ちており、熊道であることを示していた。

田中陽希が、足元が不安定になる濡れた木の根、細かいガレ(大小さまざまな岩や石がゴロゴロ散乱しているもの)場を進むには、一歩一歩これを踏んだら次にどうなるかを瞬時に予測して進むと語っていたが、特に下りでは、それが重要。だがそれは、誰でもできる技ではない。

 

また四囲をガスに覆われて視界が効かなくなると、人の心理は内側に下降していくもの。このようなシーンは、TV的には何も面白くないので、すべてカットされているが、冥想ヲタク的には、この辺に関心がある。一般にこのタイミングで狐狸が登場し化かされるものである。狐狸は、見かけは人として現れるもの。

そういう画面に出てこないいろいろな障害を承知している人なら、彼のツアーの偉大さを一層わきまえているのだろう。

そして百名山ツアーを成功させる、田中陽希の過去のカルマの集大成も無視はできない。

 

百名山、三百名山を登り切るということは、シンボリックには、日本の水平における神秘を極め尽くすということであり、そういうことが起きたということは、次には垂直に進むしかないということでもある。

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田中陽希GreatTraverse-4

2024-05-05 12:17:24 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎登ってはいけない山-2

(2021-05-28)

 

さらに大江山。

『古事記』崇神天皇の段では、崇神天皇の弟である日子坐(ひこいます)王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、土蜘蛛の玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討った。

また用明天皇の時代に、聖徳太子の弟の麻呂子(まろこ)親王の鬼退治伝説がある。

また一条天皇の時代、長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らが大江山に住む鬼(酒呑童子)を征伐したという伝説もある。

 

出口王仁三郎は、

『大江山は日本の悪霊の集まつて居る所である。山の中腹を邪気線(死線)が六十間位の幅で取り巻いて居る。されば此山に登る事は危険な事である。大抵の人間がこの邪気に犯されると思想まで悪化して了ふのである。元伊勢の内宮から、外宮にかけて霊線が通つて居る、この霊線は良い線で、これを突破して大江山に登つた大本信者は悪霊の教唆によつて、遂に信仰から離れて行くものが多い。』(水鏡/大江山と邪気線/出口王仁三郎から引用)

 

※大江山の東南東に10キロほどの山道を行くと元伊勢内宮がある。外宮(豊受大神社)は内宮から4キロほど南であり、この間に良い線があるわけだ。この元伊勢に行った人でないとこの文はわからないのではないか。

 

ところが、どんなパワースポットでも、白でも黒でもない大勢の人が繰り返し登れば、その霊線は弱まるということはあるのではないか。よって次のような歌が出てくる。

 

『大江山鬼の住家は八衢(やちまた)の都大路に宿をかへたる』(出口王仁三郎全集第7巻歌集 巻下 道歌より引用)

 

そういう訳で、今この時代に、現世に地獄が移っていることの悲しさよ。

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何のためにニルヴァーナに向かおうとするのか

2024-05-05 03:11:42 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-10-33

◎垂直上昇への仕掛け-33

◎成道の瞬間のスローモーション解析-1

◎人間には結局苦悩と絶望からの救いはないから・・・

 

人は暫時の死のためにクンダリーニ・ヨーガを極めようとするわけではない。本当の幸福を求めているだけのこと。

だが、人間には結局苦悩と絶望からの救いはないから人間を越えたものに向かう。

それを骨身に染みてわきまえているものだけがこの道に進んでくる。

 

ニルヴァーナの覚醒を成功と見れば、このトライアルは分の悪い戦いかもしれない。

何よりも二重の不確実性がある。

そして生還の確立も高いとは言えない。

そして人はそれぞれに人生の目的を抱えて生まれてきている。未達成に終われば、犬死と評価されたり、来世があれば来世に持ち越すなどと自己欺瞞なことを思ったりする。

それでも人は今生の最後の息一息まで、生きていさえすれば何か生きる意味があるのだ。

その一息の絶える時まで、正直に真剣に取り組もうとする姿勢があれば、そのようにニルヴァーナに向かう人をそしることはできない。

だからこそ、その困難さゆえに、クンダリーニ・ヨーガの成功者である釈迦は、冥想修行者達から英雄であると認められるのだ。

 

なおエヴェレストでは、ヒラリーとテンジン初登頂以前には何人も死に、初登頂後も人は今でも登り続けるが、時々死人を出す。また生命を求めて成功確率の低い手術に向かう人も絶えないものだ。

 

さてクンダリーニ・ヨーガでは、上昇。一方只管打坐では、身心脱落であって、下降。

方向性は表面上逆方向だが、ここに述べるようなクンダリーニのエネルギーコードが全チャクラから分離して、肉体外に出て七つの次元を上昇するプロセスは、只管打坐では急速に起こるので自分でも気づかれにくいというのがダンテス・ダイジの示唆である。

この点でもクンダリーニ・ヨーガの方が只管打坐より繊細、精密であることがうかがえる。

だからと言ってクンダリニーは、上昇することが眼目ではなく、以下の説明のように、クンダリニーのエネルギー・コードが最終的にニルヴァーナに覚醒することが眼目である。

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