◎ジェイド・タブレット-11-8
◎アートマン-8
◎夢の中で意識的になって、はじめて現実を知ることができる
第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの間のサマーディについて、このように図式化すると、これを正統的な理論として、あるいは体系として実践訓練しようとする人が出てくるのだが、OSHOバグワンはそれを戒める。
『夢の世界全体を知るつもりなら、ヨーガやタントラやその他の秘教的訓練が導入されなければならない。どのタイプの夢にもそれと対応する現実があり、マーヤー全体が明らかにされないなら、幻想の世界全体が明らかにされないなら、現実を知ることは不可能だ。現実は、幻想を通じてしか明らかにされない。
だが私の語ってきたことをひとつの理論として、ひとつの体系として受け取ってはならない。ただ それを出発点にして、意識的な心で夢見ることを始めなさい。夢のなかで意識的になってはじめて、現実を知ることができる。』
(秘教の心理学/和尚/瞑想社P143から引用)
何が夢で、何が現実か。マーヤー、無明全体を知るとは、迷いの世界のすべてを知ること。
これを解くのに参考になりそうな詩がある。ダンテス・ダイジの詩【そしてあなたは私自身】から
『幾度も幾度も繰り返される夢
夢見つづけるブラフマン
無数の意識の流れ
輪廻し 上昇しあるいは再び下降し
そして帰り着こうとする流れ
眠り続けるブラフマン
一人の人間の中にある無限の宇宙
あらゆる生類達の多様多元の宇宙
一人の人間の中に接弦する多元宇宙
夢見つづける宇宙
久遠の時の中の遠い遠い夢
うつし世の胸高鳴る甘美な悦び
そして苦しみ 深い深い嘆き
夢見つづけるブラフマン
目覚めることのない久遠の夢
すべてを秘めて眠るアガシャの夢の海』
(絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジ/森北出版社P72-73から引用)
※アガシャ:「天と地とを結ぶ電話/J.クレンショー 著/谷口清超訳/日本教文社1968」の目次に「アガシャの哲學、アガシャの言葉 」とあるが、アガシャとは古代霊らしい。
一人の人間の中に無限の宇宙があり、あらゆる生類達に多様多元の宇宙があり、一人の人間の中に接弦する多元宇宙は夢見つづけているが、そのあらゆる夢を覚めて見よということだろう。
それがマーヤー、無明、幻想全体を知るということ。それは一瞥でなく、幻視でなく、体験とは言えない体験なのだろう。
また『意識的な心で夢見る』とは、クンダリーニ・ヨーガの手法。それでもって荘周は、荘周が夢の中で胡蝶となったのか、それとも胡蝶が夢の中で荘周になったのかと悩んだ。それは、単に妙な夢を見たということではない。どちらが幻想で、どちらが現実だったのか。