◎ジェイド・タブレット-12-3
◎ニルヴァーナ-3
◎ニルヴァーナとその実感-3
◎石、岩、遠景、黄金、愚者
神仏には、有の相と無の相があるが、ニルヴァーナは、無の相の側。
ニルヴァーナは、もとより言葉では表現できない。維摩居士のように黙っているのも一手だが、そんな木で鼻をくくったような応対でよしとされる時代は過去のものになった。
ニルヴァーナは、属性で言えば、至福、歓喜、至真、至善、至美、円満具足、欣喜雀躍などが挙げられるが、言葉で表現できないと言われている以上、文字通りであるはずがない。
ニルヴァーナとは、GOD、ヤーウェ、ゼウス、中国の天帝・上帝、天御中主神、道、太沖など様々な名で呼ばれている。
ニルヴァーナのシンボルとは、真理のシンボルだが、石、岩などが用いられ、山水画では遠景としても登場する。西洋錬金術なら黄金。タロット・カードで愚者がニルヴァーナのシンボルとして用いられているのは、洒脱である。まるで、唐代の禅僧普化を思い起こさせるようだ。
『神とは絶対の未知自身だ!』(前掲書P122から引用)
『すべてがニルヴァーナだとしたら
なぜニルヴァーナに目覚めるための
冥想修行という
果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか
すべてがニルヴァーナだからだ』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジP10から引用)
さはさりながら、ニルヴァーナを数少ない個人の実感として謳っている文を挙げてみる。